目次
前回の続き。
現在アルツハイマー病の「原因」とされている「アミロイドβ」なのだが、果たしてそうなのか?大いに気になるでしょう?
6. アミロイドβは犯人なのか、現場にいた目撃者なのか

アミロイドβがアルツハイマー病に関係していること自体は、まず間違いない。APPやプレセニリンという遺伝子に変異がある家族性アルツハイマー病では、アミロイドβの産生や処理に異常が生じ、若年で病気を発症する。また、21番染色体を3本持つダウン症では、21番染色体上にAPP遺伝子が存在するため、比較的若い年齢から脳にアミロイドβが蓄積しやすい。つまり、少なくとも一部のアルツハイマー病では、アミロイドβが病気の上流に存在する。ただし、一般的な高齢発症のアルツハイマー病では、アミロイドβだけで全てを説明することはできない。脳にアミロイドβが多く蓄積していても、認知機能が保たれている人がいる。一方で、認知機能が大きく低下していても、アミロイドの量だけでは症状の程度を説明できない場合がある。認知機能の低下とより密接に関係するのは、むしろタウ蛋白の広がりや神経細胞の脱落だとも言われている。さらに、脳血管障害、αシヌクレイン、TDP-43、炎症、インスリン抵抗性、ミトコンドリア障害など、複数の病変が重なっている高齢者も多い。病理解剖をすると、教科書通り「純粋なアルツハイマー病」だけを持つ患者さんより、複数の病理が混在している方が珍しくない。人間は長く生きるほど、病気まで混ざり合ってくる。肝臓病でも、脂肪肝だけ、ウイルス肝炎だけ、アルコールだけという患者さんばかりではない。脂肪肝があり、糖尿病があり、酒も飲み、過去に肝炎ウイルス感染もあるという方がいる。脳も同じなのだろう。アミロイドβは重要な犯人の一人ではある。しかし、単独犯ではなく、複数犯による事件なのかもしれない。あるいは、アミロイドβの蓄積は病気の原因であると同時に、脳が炎症、感染、代謝異常、毒性物質などから身を守ろうとした結果でもある可能性が指摘されている。だとすれば、アミロイドβだけを取り除いても、アミロイドβを作らせた脳内環境が残っている限り、病気そのものは止まらない。火災現場から煙だけを吸い出しても、火元が燃え続けていれば意味がないのと同じだ。
7. タウ蛋白は神経細胞の中で何をしているのか

もう一つの主役がタウ蛋白である。タウ蛋白は本来、神経細胞内にある微小管を安定させる働きを持つ。神経細胞は、細胞体から長い軸索を伸ばしている。中には1メートル近い長さになるある。その長い軸索の中で、栄養物質、蛋白質、ミトコンドリアなどを運ぶためのレールが微小管だ。タウ蛋白は、このレールを支える枕木のような役割をしている。ところがタウ蛋白が過剰にリン酸化されると、微小管から外れ、互いに凝集して神経原線維変化を作る。支えを失った微小管は不安定になり、神経細胞内の輸送システムが障害される。食料も燃料も交換部品も届かなくなった都市が機能しなくなるように、神経細胞も次第に働けなくなり、最後には死んでしまう。しかも異常タウ蛋白は、神経回路に沿って隣接する細胞へ広がる可能性がある。この広がり方が、アルツハイマー病の症状の進行と比較的よく一致する。初期には記憶を司る海馬や嗅内皮質周辺に病変が現れ、その後、側頭葉、頭頂葉、前頭葉へと広がっていく。最初は新しい記憶が作れなくなる。次第に言葉、計算、判断、空間認識が障害される。さらに進行すると、食事、着替え、排泄、歩行など、日常生活全般に介助が必要となる。最終的には嚥下機能や運動機能まで低下し、肺炎などを契機に亡くなる方も多い。アルツハイマー病は単なる「記憶の病気」ではない。脳のネットワークが少しずつ切断されていく、全脳性の疾患なのだ。
8. ついに登場した「原因に働きかける薬

長い間、アルツハイマー病の薬は、神経伝達物質を調整して症状を一時的に改善するものが中心だった。ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンなどである。これらは現在でも重要な薬だが、病気の原因そのものを取り除く薬ではない。車に例えるなら、傷んだエンジンを修理するのではなく、残った性能をできるだけ効率よく使う薬である。そこへ登場したのが、レカネマブとドナネマブという抗アミロイドβ抗体だ。抗体によって脳内のアミロイドβを認識し、除去を促す。レカネマブは米国で2023年に通常承認され、日本でも同年承認された。ドナネマブも米国で2024年に承認され、その後日本でも承認されている。対象は、アルツハイマー病による軽度認知障害または軽度認知症の患者さんで、検査により脳内のアミロイドβ蓄積が確認されている場合に限られる。既に中等度以上へ進行した患者さんを元に戻す薬ではない。臨床試験では、一定期間における認知機能や日常生活能力の悪化を、偽薬群より遅らせる効果が示された。ここは表現に注意が必要だ。「認知機能が改善した」のではない。「低下する速度が緩やかになった」のである。坂道を下っている人を上へ引き戻したのではなく、下る速度を少し遅くしたと考えた方がよい。患者さんや家族からすると、「高額な薬を使って、点滴を繰り返し、MRI検査も受けて、それだけなのか」と感じるかもしれない。その気持ちは分かる。しかし、アルツハイマー病の進行を原因レベルで遅らせることが、無作為化比較試験で示された意味は小さくない。百年以上閉ざされていた扉が、数センチだけ開いたようなものだ。数センチでは人は通れない。しかし、扉が絶対に開かないものではないと分かった。これは次の治療法を考える上で大きな違いである。
9. 効果だけでなく、副作用も見る必要がある

抗アミロイド抗体には、ARIA(Amyloid-Related Imaging Abnormalities)と呼ばれる特有の副作用がある。脳浮腫を主体とするARIA-Eと、微小出血や脳表ヘモジデリン沈着を主体とするARIA-Hである。多くは無症状だが、頭痛、錯乱、視覚異常、めまい、吐き気、歩行障害、けいれんなどを起こすことがある。まれではあるが、重篤な脳出血に至る可能性もある。特にAPOE ε4遺伝子を持つ人では、ARIAのリスクが高い。抗凝固薬を使用している患者さんや、もともと脳内に多数の微小出血がある患者さんでは慎重な判断が必要になる。治療前だけでなく、治療中も定期的なMRI検査が必要だ。2025年には米国食品医薬品局が、レカネマブ投与患者に対する、より早期のMRI監視を推奨する安全性情報を追加している。
新薬が出ると、効果ばかりが注目される。しかし臨床医が考えなければならないのは、「効くか、効かないか」だけではない。その患者さんにとって、得られる利益がリスクと負担を上回るかである。通院頻度、点滴時間、MRI検査、医療費、家族の付き添い、本人の価値観まで考えなければならない。軽度の段階で少しでも長く自立生活を維持したい方には、大きな意味があるかもしれない。一方、頻回の通院が大きな負担になる方や、脳出血リスクの高い方には、別の選択が適切かもしれない。新しい薬ができたから、全員に使えばよいという話ではない。
標準治療は基準であって、患者さん一人一人に合わせて調整する必要がある。この点は癌治療も認知症治療も同じだ。
血液検査でアルツハイマー病を調べる時代
診断の面でも大きな変化が起きている。これまで脳内のアミロイドβ蓄積を調べるには、アミロイドPETや髄液検査が必要だった。PETは高額で、実施できる施設が限られる。髄液検査には腰椎穿刺が必要で、患者さんの負担もある。そこで期待されているのが血液バイオマーカーだ。特にリン酸化タウ蛋白の一種であるp-tau217は、脳内のアミロイドやタウ病理を比較的高い精度で反映することが分かってきた。2025年には米国で、アルツハイマー病に関連するアミロイド病理の評価を補助する初の血液検査が承認された。血液検査だけで全てを確定診断できるわけではないが、専門検査が必要な患者さんを選別する手段として期待されている。将来、健康診断の採血で、血糖、コレステロール、肝機能と一緒に、アルツハイマー病のバイオマーカーを測定する時代が来るかもしれない。ただし、先ほども述べた通り、測定できることと、無症状の人全員を測るべきことは同じではない。陽性になった人に何を説明し、どのような治療や生活介入を行い、どの頻度で経過を見るのか。その社会的な仕組みが追いつかなければならない。
アルツハイマー病は、本当に避けられないのか
ここまで読むと、「結局、脳にアミロイドがたまったらどうしようもないのか」と暗い気持ちになるかもしれない。しかし、そうとも限らない。2024年のLancet認知症委員会は、教育、難聴、高血圧、喫煙、肥満、うつ、運動不足、糖尿病、過度の飲酒、頭部外傷、大気汚染、社会的孤立に加え、中年期の高LDLコレステロールと未治療の視力低下を含む14の修正可能な危険因子を示した。これらに適切に対応することによって、認知症の約45%を予防または発症遅延できる可能性があるとしている。もちろん、45%という数字を、「生活習慣を改善すれば45%の人が絶対に認知症にならない」と読むのは間違いである。集団全体で見た場合に、危険因子への介入によって認知症の発症を相当程度減らせる可能性があるという意味だ。遺伝的素因があっても、発症時期を遅らせることには意味がある。仮に認知症の発症を5年遅らせられれば、本人が自立して生活できる期間は延び、家族の介護負担も大きく変わる。
- 高血圧、糖尿病、脂質異常症を治療する
- 運動する
- 難聴や視力低下を放置しない
- よく眠る
- 人と会話する
- 脳卒中や頭部外傷を防ぐ
こう書くと、何だかありきたりに見える。皆さんは、もっと画期的な答えを期待しているかもしれない。
「毎日これを一錠飲めば認知症になりません」「この点滴を受ければ脳が若返ります」
残念ながら、現時点でそのようなものはない。
しかし、ありきたりに見える対策には、多くの研究で積み上げられた根拠がある。
医学では、派手な新薬より、地味な生活介入の方が長期的には大きな効果を持つことがある。
ただし、これは「本人の努力が足りないから認知症になる」という意味では決してない。
どれだけ健康的な生活をしていても発症する人はいる。逆に、不摂生でも発症しない人もいる。
病気は道徳の成績表ではない。危険因子を減らすことは発症確率を下げる手段であって、患者さんを責める材料ではない。
脳だけを治療しても足りない
アルツハイマー病の研究は長い間、アミロイドβという一つの標的に集中してきた。その結果、抗アミロイド抗体という最初の成果が生まれた。これは大きな前進である。しかし同時に、アミロイドβだけを除去しても、病気の進行を完全には止められないことも明らかになった。
なぜだろう。すでにタウ病理が広がっているからか。神経細胞が失われた後では遅いからか。脳内の炎症が続いているからか。血管が傷んでいるからか。ミトコンドリアが働かず、神経細胞がエネルギー不足に陥っているからか。インスリンが脳内で正常に働いていないからか。腸内細菌や口腔内細菌が全身の炎症を介して影響しているからか。
おそらく答えは一つではない。アルツハイマー病とは、アミロイドβだけの病気ではなく、蛋白質、免疫、代謝、血管、老化が絡み合った複合的な疾患なのだろう。だから将来の治療も、一つの薬だけではなくなると思う。
- アミロイドβを減らす
- タウの異常な広がりを抑える
- 過剰な神経炎症を調整する
- 脳血管を守る
- インスリン抵抗性を改善する
- ミトコンドリアの機能を維持する
- 睡眠や感覚機能を整える
- 必要であれば、失われた神経回路の再生を促す
癌に対して手術、放射線、抗癌剤、免疫療法を組み合わせるように、アルツハイマー病も複数の病態を同時に治療する時代へ向かうのではないか。
そして、ここからが「医者の知らない医療の世界」である。アルツハイマー病とパーキンソン病、さらに糖尿病という、一見まったく別に見える三つの病気を細胞レベルで眺めると、驚くほど多くの共通点が浮かび上がってくる。
- インスリン抵抗性
- ミトコンドリア障害
- 酸化ストレス
- 慢性炎症
- オートファジーとリソソーム機能の低下
そして、正常なら処理されるはずの蛋白質が凝集し、細胞の中や周囲に蓄積していく。
- アルツハイマー病ではアミロイドβとタウ
- パーキンソン病ではαシヌクレイン
- パーキンソン病ではαシヌクレイン
- 2型糖尿病では膵島アミロイドポリペプチド、いわゆるアミリン
病変が起こる場所も症状も異なるが、細胞が壊れていく筋書きには、どこか似たものがある。
この三つは、本当に別々の病気なのだろうか。それとも、同じ根を持つ「兄弟」のような病気なのだろうか。
次回から、その一本の線を辿ってみようと思う。