会員登録者数 55,000人突破!!

記事・コラム 2026.08.01

神津仁の名論卓説

【2026年8月】日本人の起源、縄文人 その(XV) 縄文人の精神世界

講師 神津 仁

神津内科クリニック

1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。

いよいよこの連載も最後を迎える。あまりにも縄文人の事を知らなかったので、知りたい一心でついつい深掘りして、結局沼ってしまった。正直、最初は15ヶ月に渡って縄文人について書くことになろうとは思ってもみなかったが、縄文時代に関する資料や正書を読み進めていくうちに、縄文人の全体像を自分なりに探求し、理解したいと思うようになった。

今までの名論宅説の記事を辿って読み進めていけば、縄文人に関する知識があまりなくても、縄文時代を概観できるように書いたつもりだが、DNAを含めた考古学研究の進歩に伴い新しい知見が見つかって、今までの定説が覆る可能性もある。参考資料を読み込んで書いているのだが、その全てを載せるわけにもいかないから、あえて割愛した部分も多い。そこは各号巻末の資料を当たって頂ければさらに理解が深まるだろう。今回は連載の最後に縄文人の精神世界にfocusを当ててみた。

縄文人の精神世界とそのbackground

縄文人の精神世界に重要なkeywordがある。長野県諏訪郡にある井戸尻考古館元館長の小林公明氏によれば、それが「月」、「ヒキガエル」、「水」、「女性+赤ちゃん」で、この4者は「4身一体」なのだという。

井戸尻考古館HPより

上の写真は、藤内遺跡から発掘された「半人半蛙文有孔鍔付土器」で、蛙の背中が女性器を表し、赤ちゃんの誕生を模しているのではないかと考えられている。

ウイーン大学で日本と中国の民族学を学び、ドイツフライブルグ大学日本学教授となったネリー・ナウマン教授によると、縄文人の思考方法は「呪術宗教的思考方法」であり、象徴的思考(シンボリズム)の形を取っているという。その視点から縄文土器や土偶を分析すると、「月のシンボリズム」がkey wordとして浮かび上がる。シンボリズムは具象化するときにレトリック(修辞法)を介して目に見える形になる。縄文人が主に使ったのは「誇張法」と「隠喩法」であると、「月と蛇と縄文人」の著者大島直行氏は考える。ちなみに、ナウマン象で有名なナウマン博士(ドイツの地質学者)は、日本におけるゾウの化石研究の端緒を拓いた人物で、(その博士の業績を記念して「ナウマンゾウ」と名付けられた)ネリー・ナウマン教授とは別人である。

誇張や隠喩は、絵画や彫刻などの芸術作品にも見られる。性に関する表現は特にそうだが、時代を経て現代まで、人間が多様に、そしてパッションを込めて表現を試みる精神世界の表出方法の一つといえる。以下の2枚の写真は、加賀乙彦と徳田良仁の編著「芸術と狂気」で、「絵画における性-原始絵画からハンス・ベルメールまで-」の章を書いた石濱淳美氏(産婦人科医、性科学者)が提示した資料だ。左はエジプトのミン神を描いた壁画だが、男性器が勃起した状態で描かれている。ミン神は雨や作物の豊穣、生殖力を司る神として信仰の対象として崇拝されてきた。石棒を男性器と見立てて祭祀を行った縄文人の発想と似ている。右は山や川、草原や滝という長閑(のどか)な地方都市の風景を描いたようで、実は横たわる裸婦を描いたシュールレアリスムのフランス画家アンドレ・マッソンの絵画だ。隠喩(metaphor)を使った表現は、特に生命と性に関わるものには多く見られる。

芸術家の岡本太郎は、1951年に上野の東京国立博物館で、新潟県出土の縄文時代の火炎土器と青天の霹靂的出会いをした。その感動を「みづゑ」という美術雑誌に「縄文土器論-四次元との対話」という一文で残した。それは芸術家である岡本太郎が、縄文土器からインスパイアされて、縄文人の世界観、精神世界に引き摺り込まれた結果だった。大阪万博の時に造られた「太陽の塔」は有名だが、Wikipediaによれば岡本は「『何のために絵を描くのか』という疑問に対する答えを得るため、1938年ごろからマルセル・モースのもとで絵とは関係のない民族学を学んだ」といわれている。

岡本太郎は縄文土器を観察し、そこに縄文人の動物とかかわる世界観が描かれていることを見抜いた。そして縄文土器は、命を奪わなければならない動物との折り合いをつけるために作り出された呪術宗教的な造形であると考えたのだ。

ところがそこに描かれている世界観は「四次元との対話」であるがため、四次元(霊、祈り、恐怖、怨念、啓示、祖先など)との対話ができない現代人には具体的に読み解くことができない。

岡本太郎が得た結論は、「はげしくても無理がない。あのような美しさは、見るものを意識した卑俗さがみじんもない。つまりわれわれ現代人の考えているような目的だとか意味なんて、まったく汲みとれないほどたくましく、平気でやってのけているのです。(中略)このように平気で、明朗で、くったくのないありかたを、われわれは生きる方法、そして芸術の内容としてつかみとるべきです」だった。

縄文人の精神世界を形成する「月」「水」「蛇」

妊娠・出産は、月経周期が形成されて、排卵と胎盤形成の準備が整ってからだ。女性の月経(menstruation)周期と、月(moon)の満ち欠けの29.5日周期とがほぼ等しいことを観察した縄文人が、月と女性、水を神々しく見ていたことは理解可能だ。出産時に破水して「水」が女性の体内からあふれ出すのを見て神秘な思いを感じたことだろう。ちなみに精液も「水」として月からもたらされ、それを運ぶ使者が「蛇」であるとされていた。

月は月齢で欠けて「死に向かい」、3日の暗黒の後4日目に甦る。月は死と生のシンボルと受け止められていた。中国でも、月と蛙はモチーフとして用いられていて、前漢の思想書『淮南子』には「月中に蟾蜍あり」との記載があるらしい。

中国湖南省長沙市にある馬王堆漢墓で、2000年以上前に埋葬され、保存状態の良い女性のミイラに掛けられていた衣服には、ヒキガエルが月の気を食べている像がある。このヒキガエルは月の光っていない部分(死んでいる月)を表しているという。この衣服の右袖を見ると、太陽には3本足のカラスが住むという伝説を具象したシンボルが示されている。

目の良い縄文人には、月にいるというこのヒキガエルが見えたのかもしれない。

また万葉集には、「月には若返りの水がある」という歌が詠まれている。

天橋文長雲鴨高山文高雲鴨月夜見乃持有越水伊取来而公奉而越得之早物

(天橋も長くもがも高山も高くもがも月読の持てるをち水い取り来て君に奉りてをちしめむはも)

【現代語訳】天上への橋も長くあってほしい。高山も高くあってほしい。月の神の持っている若返りの水をとって来て、あなたにさし上げて、若返らせたいなあ。(巻13-3245)

これも命がよみがえる再生への願いを込めたものだろう。月は古の日本人にとって長い間不老不死のシンボルだった。

月はまた蛇にも通じている。蛇は冬眠、脱皮を繰り返すことで、再生すると理解されていた。「月と蛇と縄文人」を書いた大島直行氏によれば「人間だけでなく、生きるもののすべてが月の水によって生かされるのであり、その水を月からもたらすのが蛇だと考えられました。そして蛇は、形などから男根になぞらえられたのです。月(子宮)と蛇 (男根)は、『死なないもの再生』の象徴の中核に置かれ、さまざまな事象とも関連づけられて一つの体系をなしている」という。蛇もまた命の再生を祈るシンボルだった。

縄文文化と神社信仰

縄文文化の精神性が、神社信仰の中に息づいていることを積極的に主張したのは、民俗学者の吉野裕子氏である(『蛇』『山の神』)。吉野は、縄文の石棒は男根崇拝としての蛇の見立てであり、それは弥生時代以降もさまざまな道具に継承されていったという。それはたとえば、現代の神社信仰の中にもその伝統を垣間見ることができるのだという。

神社の神事はすべからく月の水を運ぶ蛇(男)とその水で身ごもる子宮(女)がおりなす再生(甦り)神事だったのではないかとも考えられ、神事とは「月をめぐる再生の祈りである」と理解する人もいる。神社に設えられたしめ縄は、2匹の蛇が交尾する様をシンボライズしていて、再生と不老不死、活力と生命力への憧れ、願いが込められていると理解されている。

縄文人は蛇をシボライズし、きつく絡み合うオスとメスの交合の様子を縄の撚りというレトリックを用いて不死や再生を表現した。これを土器の表面に回転させたり押し付けたりして「縄文」として伝えることで、縄文人の世界観を継承させていこうと考えたとしてもおかしくない。今もそれが神社のしめ縄として伝えられている。

縄文時代に精神病者はいたのか?

縄文時代は、一つの場所に5、6軒から10数軒の家族単位(5〜6人)の集落を作っていて、妊娠可能な年代になると、他の集落から女性を連れてきて子供をもうけていたと考えられている。乳幼児死亡率はかなり高かったと想像できるから、一人の女性が妊娠・出産する頻度は高かったに違いない。なかには同族婚(近親婚)もあったと理解されるので、劣勢遺伝子の顕在化により遺伝性疾患のリスクが高まりやすかったと考えられる。

近親婚と精神神経疾患関する記載がないかと調べてみたところ、国立精神衛生研究所編「精神衛生研究」第16号(昭和42年)に載った精神薄弱部の桜井芳郎氏、高乗公子氏の論文を見つけた。

この研究によると「近親婚率は国立精神衛生研究所附属精神衛生相談室開設以来満9年間に来所した精神薄弱児534名の調査では4%、沼津市3才児健診849名の調査では2%、松戸市3才児健診1979名の講査では5%で都市化の傾向の遅れている地域に近親婚の多いことがうかがわれる」とのこと。「遺伝負因についてみると近親婚では父母が従兄弟同志のものが6%みられ、住宅地では4%、農村では8%で農村に多い。父母、同胞に精神薄弱の出現している率は9%で住宅地では4%、農村では10%みられ農村に多い」との結果も得られた。医学的所見については「精神薄弱の特殊型が18%を占め、ダウン症候群が多い。また伝染性疾患にもとづく精神薄弱では脳炎、脳膜炎の後遺症がほとんどであり、その他ではてんかんが13%、脳性マヒとその後遺症が26%みられる」とあった。

縄文時代の近親婚についてのDNA調査研究はなさそうなので何ともいえないが、国立科学博物館が古墳時代の墓(岡山県久米三成4号墳)に埋葬された同一家族と思われる人骨のDNA調査を行い、その血縁関係を明らかにしている。

その3体の人骨は父と娘2人であったが、娘2人は異母姉妹であったという。その解説によれば「当時は女性が男性より寿命が短く、再婚事例が多いと考えられている」とあるから、妊娠・出産で亡くなる女性の多かった縄文時代にはさらにそうした事例は多く見られたに違いない。人口の少ない村社会では近親婚も少なくなかっただろうし、その遺伝的な劣位性についての認識もなかっただろうから、桜井氏、高乗氏が指摘した農村における疾病構造はそのまま縄文時代の社会的atmosphereを形作っていた可能性がある。これらを考慮すると、縄文時代には精神神経疾患を持つ構成員が少なからずいて、社会活動や土偶・土器の製作にも何らかの影響を与えていた可能性があるのではないだろうか。中には幻覚を見る者もいるだろうし、不安や恐怖を強く感じて閉じこもる者もいただろう。芸術史を辿れば、「狂気」が人に芸術作品を作らせるpowerやmotivationになっていたことは明らかだ。しかし、平和的で他者に寛大な縄文人がそうした人々を排除することはなかっただろう。彼ら彼女らを内に内在させ、1万年にもわたる安定した争いのほとんどない社会を形成し、持続させたことの素晴らしさを感じるのは私一人だけではないだろう。

エピローグ

縄文時代に興味を持ち始めた昨年の3月、バイクでショートツーリングに通っていたJAあきがわファーマーズセンターへ行く途中に考古館があると知って、実際に縄文が施された土器を見たくて二宮考古館に行った。考古館の展示されている縄文土器(縄文中期)を見た時に、竹串で付けられたような点状の文様に出会って、縄以外にも様々な文様をつけていたことを知った。今から思うと、縄文人の精神世界を伝えた縄の跡が少なくなって、デザインとしての文様が増えてくるのは、縄文人たちが宗教呪術的な世界から少しずつ脱皮して行く過程だったのかもしれない。弥生時代になると、壺には文様は描かれずツルツルの実用的なツボになる。蛇の交合を模した月の使者、再生と命の輪廻を祈って壺に刻んだ縄の跡が消えていくと同時に、縄文人の精神世界もまた次第に消えていったのではないか。キリスト教の世界で神が消えたように。

(完)

資料

  • ものづくりとこだまの国https://x.gd/6wkRz.
  • 万葉百歌(奈良県立万葉文化館):https://x.gd/VGPU9.
  • 大島直行「月と蛇と縄文人」、有限会社寿郎社、2014.
  • 日本遺産 ポータルサイト :国宝 笹山遺跡出土火焔型土器;https://x.gd/SG6LY.
  • 桜井芳郎、高乗公子「重度精神薄弱児の処遇に関する研究—在宅重度精薄児問題に対する心理, 社会的接近—」https://x.gd/ZDEvQ.
  • 特別展「古代DNA-日本人のきた道-」:国立科学博物館, 2025/03/15〜06/15.