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記事・コラム 2026.09.01

神津仁の名論卓説

【2026年9月】米国の医学部事情(I)

講師 神津 仁

神津内科クリニック

1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。

1988年から1990年まで米国留学をしていた。当時は米国留学というと一大決心が必要で、1ドル128円程度の円安もあり、子供達が小学校に上がってあちこち車で旅しようと思って手に入れたセドリックのステーションワゴンを売って留学費用を作ったのを覚えている。この車はリアサスが柔らかくて、最後部座席に大人が二人乗ると車体にタイヤが擦れるため、リーフサスペンションを2枚入れて補強した愛車だ。

当時「ルーツ」というTVドラマが1977年にアメリカで大ヒットし、日本でもマスコミが取り上げて話題になった。作家アレックス・ヘイリーの自伝的小説を基に、西アフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人青年クンタ・キンテと、その一族の壮絶な半生を描いたものだ。私の父は長野県から東京に出てきて開業医になった。母は東北大学病院で看護師をしていて父と知り合い、宮城県を後にして父と鎌倉の鶴岡八幡宮で挙式を挙げて、最初は長野県の中込、次に新潟県の糸魚川、次いで青森県の浪岡にと、国鉄嘱託医だった父と共に移り住んだ。終戦後の混乱時期の大きな流れに翻弄された物語を、父からいろいろと聞いていたから、「ルーツ」を見ていた当時の日本人の誰もが自分の出所(ルーツ)を知りたいと考えていたのと同様に、私も子供たちと一緒に自分のルーツを探りに、東北地方にこのカスタムセドリックで4泊5日の旅に出たのだ。1964年の新潟地震により、父が初代院長を務めた浪岡町立病院の院長室の壁には亀裂が入っていたり、母の妹の家に泊まった時に入った風呂は五右衛門風呂で、浮いている板を押して足で押さえて入る昭和時代を体験したりと目から鱗の体験ばかりだった。

初めての米国

ニューヨークのケネディ空港に着いた時に入国に時間がかかり、フィラデルフィアに飛ぶ国内線に間に合わなかった。腹が減ったので、空港内でハンバーガーを頼んだが、その大きさに仰天した。周りを見ると、現地の客はみなハンパーガーをflatに押しつぶしてナイフとフォークで食べていたのでそれを真似して食べたが、米国と日本の大きさの違いという洗礼を浴びて「これがアメリカなのか」とえらく感心したのを覚えている。

フィラデルフィアに着いた時にはもう夜中になっていて、ボスが迎えに来るはずだったが、私が予定の便に乗っていないので、彼は諦めてすでに帰宅していた。仕方がないので初めてのアメリカで初めてタクシーに乗った。空港から橋を渡ってフィラデルフィアの町に入る時は胸が高なったのを覚えている。私が最初に働くことになっていたHahnemann University Hospital は三次救急医療機関であり、夜中でもレジデントが忙しく働いていた。色々と事情を説明してdormitoryに送ってもらい、何もない部屋で着ていた毛皮のオーバーを掛けて横になったが、病院の屋上に頻繁に離着陸を繰り返すヘリコプターのホバーリングの大音響で眠れなかった。

現在WikipediaでHahnemann University Hospital を検索すると「Hahnemann University Hospital was a tertiary care center in Center City Philadelphia.」と出てくる。「was」とあるのは、もうすでにこの大学は倒産してなくなってしまったからだ。

米国の医学部事情

しばらく米国医学部で仕事をしていると、色々と周りが見えてくる。私が所属していたNeurologyの医局は主にperipheral neuropathyを得意分野としていた。私がやっていた研究は、streptozotocin投与によるDM ratに治療薬を投与して、末梢神経障害の強さを電気生理で確認するという研究だった。いつもは実験室にいるが、大学主催の研究会や製薬会社の主催するpower lunchにも出席する。その際には医局に回ってきている研修医と同席する機会もあった。彼らに今後どの科に行きたいのか、と聞くと「稼げるのは眼科だね。神経内科も悪くないけれど、銀行から借りた学費ローンを返さなくちゃならないので、出来ればそっちに行きたい。だけど成績の優秀なやつが最初に眼科の椅子を取ってしまうので、なかなか大変なんだよ」と説明してくれた。

2026年7月20日のMedscapeに、ケンタッキー州を拠点とするジャーナリストであるDonavyn Coffey が書いた“ What the Fourth Year of Med School Is Really Like”には、心臓外科を希望する4年生(日本でいうと医学部6年生)のリアルが書かれていた。

日本ではマッチングという独特の研修医選抜方法がある。AIによると以下のように説明されている。

医学部のマッチング(医師臨床研修マッチング)とは、卒業後に初期研修を行う病院と医学生の希望をすり合わせ、コンピュータを用いて公平に研修先を決定するシステムです。双方の希望順位を基に、独自のアルゴリズムによって最適な組み合わせを決定します。

<マッチング決定までの仕組みと流れ>

病院見学と採用試験4〜6年次に気になる病院を見学し、6年次の夏頃に各病院の採用試験(面接や筆記試験)を受けます。

希望順位の登録学生は「研修したい病院のプログラム」を、病院側は「採用したい学生」をそれぞれ希望順位が高い順に 医師臨床研修マッチング協議会 のシステムに登録します。

コンピュータによる組み合わせ計算提出されたデータをもとに、コンピュータが一定のアルゴリズムに従って自動で組み合わせを決定します。この際、学生と病院の双方の希望が最大限叶うように計算が行われます。

<マッチングにおける重要ポイント>

希望順位の考え方「人気だから落ちるかも」と妥協して順位を下げる必要はありません。自分の本当の行きたい順(第1希望、第2希望…)に登録することが最も合理的です。

法的拘束力があるマッチングが成立すると、原則としてその病院で研修を行う義務が発生します。辞退はできないため、辞退する可能性がある病院は順位表に登録してはいけません。

アンマッチの場合どの病院ともマッチしなかった場合は「アンマッチ」となり、秋以降に行われる2次募集の枠で個別に病院を探すことになります。

これに関する説明は読者には不要だと思うので詳しくは触れない。

米国では、USMLE(United State Medical Licensing Examination)という国家試験を受けて合格すると医師としての医療行為が出来るようになる。その内容は「Step1, Step2, OET, Step3」の4つのパートで構成されている。

医学部1年生〜2年生(日本での3年生〜4年生)で学ぶ基礎医学(解剖、生理、生化学、薬理、微生物、免疫、病理など)の習得状況をテストするのがStep1で、2年生終了時に受験する。試験は1日かかり、長文caseを含む択一式で、休憩を含めて8時間を要する。これをpreclinicalと位置付ける。医学部3年生〜4年生ではclerkshipという臨床実習を行い、4年生までにStep2CKを受験してその能力が確認される。これに加えて、医療現場での英語コミュニケーション能力を確認するためにOET(Occupational English Test)が行われる。

Listening, Reading, Writing, Speakingについて、自分のパソコンからapplyしてビデオ通話で模擬患者(教官)とのやりとりで試される。Step2CKの試験時間はStep1テストと同じく9時間を要する。そして最後に、医学部卒業後のResidency1年目にStep3のテストがあり、独立して診療する能力のあることが確認される。このテストには2日間を要する。

お金と時間とストレスのかかる研修先病院選び

“ What the Fourth Year of Med School Is Really Like”で取り上げられたAndrew Kalra M.D.が4年生の時にとった行動は、何も彼に限った特殊なシチュエーションというわけではないようだ。彼はStep2に合格すると、全米各地を飛び回る。Away rotationというのがそのスタイルらしい。彼は自分の大学以外の大学病院や専門医療施設で情報を得るため、数十都市を5ヶ月間、数万ドル(500〜800万円)を掛けて巡ったという。

心臓外科医志望の彼は、著名な心臓外科医とgrill session(口頭試問)するために、あちこち飛び廻り、一日の中でビデオ面談をしてから違う外科医の対面インタビューを受けるなどして、計25回以上の面接を受けたという。

アメリカの外科研修の場合、心臓外科医を目指すレジデントに盲腸摘出や乳がん切除などのトレーニングを強いるのは無駄が多いということで、2007年に Integrated 6 Year Track、略して“I-6”(アイ・シックス)が導入された。そのI-6プログラムは全米で36施設、56人枠しかないのだが、彼はその全てを受験したという。

Donavyn Coffeyの取材に、ある整形外科レジデントは、宿泊、旅費、交通費に1回のaway rotationで平均2000ドル(日本円で約33万円)かかったと答えている。それ以上、5000〜10000ドル(日本円で80万円〜160万円)を費やす学生も稀ではないという。もちろん、自宅やアパートの賃料や生活費の他に必要な金額だから、医学生や若い医師のストレスはどれだけのものがあるのかと思う。ちなみに、AAMC(アメリカ医科大学協会)の推定によると、1回の対面面接に400ドル〜3500ドル(日本円で6万5千円〜57万円)を要しているとのことだ。

Happy ending

2025年の6月から2026年の3月まで、全米何十か所を何千ドルも掛けて巡っていたAndrew Kalraに、3月終わりにthe University of Southern CaliforniaのI-6プログラムからその枠に入ったとの知らせが届いた。これまでの努力が報われたのだ。Kalraはいう。「私は運が良かった。同じくらい努力しても上手くいかなかった才能のある学生はたくさんいるからね」「だけど、本当にストレスなのはこれからさ」と。

資料

  • Hahnemann University Hospital(Wikipedia):https://x.gd/b8dqe.
  • Donavyn Coffey “What the Fourth Year of Med School Is Really Like”https://x.gd/NnsmI.
  • USMLEとは?Step1〜3の試験内容・受験時期・日本の医師国家試験との違い(CES医師国試予備校):https://x.gd/ZBALE.
  • OETスピーキングロールプレイ:成功のための10の必須ヒント:https://x.gd/kVATd.