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記事・コラム 2026.07.01

神津仁の名論卓説

【2026年7月】日本人の起源、縄文人 その(XIV) 人々の暮らし〜編組製品と衣服〜

講師 神津 仁

神津内科クリニック

1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。

下宅部遺跡からは多くの編組製品が出土された。その他の低湿地遺跡からも、本来なら腐敗して見ることの出来ない植物繊維から作られた生活用具が、数千年の時を経て我々の手元に考古学的観察研究可能な遺物として残された。以前丸木舟のことでお世話になった「八国山たいけんの里」を訪ねた時に、小さな考古館、博物館でありながら、展示内容のレベルの高さに感心した。

特に、縄文人が植物利用に優れていたこと、編組製品の作成技術が私の想像を超えて素晴らしかった事に驚愕した。私が織物や植物による細工物に疎い事もあるだろうが、縄文人の編組技術を再現した研究、技術職までもがその素晴らしさを称賛している。これに関しては、国立歴史民俗博物館の工藤雄一郎博士が素晴らしい編著を出しているので是非手に取って読んで頂きたい。

縄文人の植物利用

考古学者が利用する技術にレプリカ法がある。縄文土器を作る際に、彼ら彼女らは土の上に直接置いて作ったのではなく、敷物の上に置いて作ったらしい。敷物は、大きな葉であったり、編組製品だったりしたので、土器の底にそれらの圧痕が残っていた。それをシリコン樹脂で丁寧に採取し、それがどの様な素材であったか、そしてどの様な織り方、組み方をしていたのかを研究するのがレプリカ法だ。「八国山たいけんの里」の館内を巡って、以下の展示の鮮やかな文様を見た時に、TVの宣伝ではないが「え〜っ!?」と思わず声が出てしまった。私にとって、まだ縄文時代に触れ始めたばかりの頃だったので、その驚きは衝撃だった。それからどんどんと沼ってしまったのはご承知の通りだ。

編組製品の技術

繊維状にして加工する技術そのものは旧石器時代から知られていて、動物の靭帯は毛皮の衣服を縫うのに使われていた。細長く背丈の高い植物から繊維質を取り出して加工することは、温暖になって植生環境が整う縄文時代に盛んになった。大麻、蒲、コウゾ、カラムシなどは糸や縄を、蔓性植物や木の皮からはザル、籠などが作られた。

レプリカ法から得られた資料から、用いられた植物を特定するのはなかなか難しいらしい。下宅部遺跡から出土した素材は、葉鞘の植物性珪酸分析によってネザサ節の機動細胞が検出されたことから、アズマネザサであることが同定されたという。東北大学鈴木三男名誉教授を代表とする、編組製品を植物学や技術的な視点から復元・研究する専門家チームである「あみもの研究会」が復元したのはこのアズマネザサを用いたものだったが、かご工芸作家として参加した本間一恵氏は、佐倉氏に材料を採取に行った際「アズマネザサは比較的どこにでもある素材ということで刈り取ったのですが、じっさい私のような植物学の素人が見ると、他のタケやササとの見分けがなかなかつかない」状態だったと書いている。当時の刈り取り方法は不明だが、磨製石器が使われたのかもしれない。ヒゴを採取するにも、その方法を推測するわけだが、どうも叩き棒で真上から木の台に乗せて叩くときれいに割れるので、四分の一、八分の一のヒゴが作れることが分かった。縄文の実践知だ。

編組技法は「網代」「ござ目」「もじり」「四つ目」「木目ござ目」「波形網代」「(連続)枡網代」「開き網代」「六つ目」「ヨコ添え巻き付け」などの技法があり、それに編む間隔によって「二本飛び網代」「二本超え、二本潜り」「一本超え」「三本越え」など、部位によっても編み方を変える、といった複雑な技法が、既に縄文人達によって熟知されていたようだ。

あみもの研究会

「あみもの研究会」による復元実験を終えて、先述の本間一恵氏はこう述懐する。

これまで「あみもの研究会」による復元実験を通じて、縄文時代のかごをいくつか編ませてもらいましたが、素材に対する選択眼や、いつどういうものを採取するのか、それらを使いこなす目、スキル、手の技の熟練度、技法の発達など、縄文人の技術はほぼ完成段階に近いように見えました。これだけかごを編む技術がシステム化され、その方法を共有していたわけですから、4000年前、7800年前というのは、つい昨日のような、今と変わらないような時代と言えるかもしれません。それより前、かごを編む技術がここまで発展するのにいったいどのくらいの長い時間があったのでしょうか。

縄文時代には、現在では見られない技法や、現在使われていない素材、加工方法なども確かにあり、復元実験を通じてそれらを発見することができました。そして、今と同じような技法が縄文時代にもあり、現在も同じことをしているということも再認識しました。ウドカズラやイヌビワなどの現在では使われていない素材やそれらの加工方法、あるいはツルを叩いてかごを作るということも、私は今まであまり見聞きしていなかったので、縄文時代の素材の選択や加工方法というのはとても面白いと思いました。

現在は、物を入れるかごはかちっとしたもので、身にまとったり、着たりする布や織物は柔らかいまったく別のものとして私たちは認識するのですが、植物の繊維を利用して編んでものを作るという意味では、織物からかごまで全部一続きになっているのだと思います。柔らかいかごがあってもいいし、荒々しい縄も繊維を叩いて使えば柔らかいひもや糸になっていきます。そのあたりを別々のものと考えず、一続きだったという前提のもとで考えてみたら、また新しい発見があるのではないかと思います。

あみもの研究会のメンバーの一人である、金沢大学古代文明・文化資源学研究センター特任准教授佐々木由香氏は「縄文時代のかご作りからみえた植物資源管理の技術の高さは、世界に誇れるレベルである。また、かご作りは、人が居住している空間の身近な資源を利用して行っており、そこがより遠方に材料を求める土器や石器との大きな違いである。我々の生活に根付いている身近な文化、技術であることが、現在までかご作りが継続する一つの理由となったと考えている」と述べている。

フェルト(felt)は、ヒツジやラクダなどの動物の毛を圧縮してシート状にした繊維品の総称だ。動物とともに生きる人々は、身近にある素材で生活に必要な物を作ったのだろう。Wikipediaによれば「哺乳類の体毛の表面は、ウロコ状のキューティクルで覆われている。そのため、熱や圧力、振動を加えることでキューティクルが互いに噛み合い、絡み合って離れなくなる性質がある。この現象を縮絨あるいはフェルト化と呼ぶが、水、特に石鹸水のようなアルカリ性の水溶液を獣毛に含ませるとキューティクルが開いて互いに噛み合いやすくなり、縮絨はより促進される。この性質を利用して獣毛を広げて石鹸水などを含ませて圧力をかけ、揉んだり巻いて転がしたりすることでフェルトが作られる。性質としては、引っ張りや摩擦に対する抵抗力は比較的弱いが、断熱、保温、クッション性に優れている」ものだ。モンゴルのゲルはフェルトで作られる。北・西・中央アジアの遊牧民には馴染みの深いものだという。

縄文時代の衣服

 縄文時代の衣服の素材は、麻や蒲など、丈が高く植物繊維を有効に活用できるものが使われたと考えられている。しかし私には、縄文人がどうやって大麻から繊維を抽出して糸にし、布を織るのかということが皆目見当がつかない。それで色々と調べてみた。

現在では大麻は規制があって栽培ができないが、地域の伝統行事として許可されている地域がある。それが群馬県東吾妻町岩島地区だ。この地の大麻草栽培は400年の伝統を誇り、かつては「麻の里」と称されるほど栽培が盛んだった。しかし化学繊維の登場で産業が衰退する中、今は有志によって続けられているという。YouTubeに貴重な記録が残されていたので解説をつけてみた。恐らく縄文時代にも同様な過程を経て糸を作り布を織っていたのではないか。

① 地区の有志が総出で3mの丈の大麻草を刈り取る。
② 茎を湯に浸けた後1ヶ月乾燥させ、麻の皮を剥ぐ。この皮に繊維が含まれる。
③ 木の台に乗せてシゴくことで余分な物を落とし、麻糸となる繊維のみを残す。
④ 採取された繊維をより合わせて麻糸とする。残ったオガラは茅葺き屋根の材料になる。

この糸を使って機織することにより麻布、へンプ(hemp)が出来る。ヨーロッパ寒冷地域では亜麻(linen)が栽培されて寝具や衣服に使われる。その両者の違いは以下のようだ。

特徵亜麻(あま)/リネン大麻(たいま)/ヘンプ
植物分類アマ科(一年生)アサ科(一年生)
繊維名リネン(Linen)ヘンプ(Hemp)
質感ソフトで滑らか、毛羽立ちが少ないハリ・コシが強く、やや硬い(次第に馴染む)
産地寒冷地(フランス、ベルギー等)温帯~熱帯(世界中)
特性肌触りが良い、高級感、上品な光沢強度が高い、抗菌性、吸湿性、通気性
利用用途上質な衣類、寝具、テーブルクロス頑丈な衣類、神事用、麻の実(食用)

ヘンプにしても、恐らく繊維を叩いてある程度柔らかくすることで肌触りが良くなるのではないかと思う。縄文人たちの生活の知恵がinnovationを起こしていない訳がない。ただそれが今に残っていないというだけではないだろうか。

縄文人は何を着ていたか

 そうした訳で衣服はどんなものを着ていたかはあまり分かっていない。以下の写真左端は、三内丸山遺跡に試着コーナーがあって私が着てみたものだ。おそらくヘンプなのだろう、若干荒い織の上着は、肌触りは悪いが擦れて痛いという程でもない。うずまき模様や丸、三角などの模様の多い縄文ファッションとしてはスタンダードなのだろう。いろいろな展示を見ても、ファッショナブルとはいえないが、実際に着たところを見てみないといわゆる「着こなし」については判断がつかない。

どの時代にも先駆的な人々や美的な感覚に優れた人達がいるのだから、これらの衣服以上に色彩豊かで洒落た着方をしていたとしてもおかしくない。

(8月号に続く)

資料

  • 縄文人の服装(高根沢町図書館/高根沢町デジタルミュージアム) :https://x.gd/Req0U.
  • 工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館 編「ここまでわかった!縄文人の植物利用」:新泉社, 2014.
  • 工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館 編「さらにわかった!縄文人の植物利用」:新泉社, 2017.
  • 本間一恵 8 下宅部遺跡と正福寺遺跡のかごを復元する:工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館 編「さらにわかった!縄文人の植物利用」:新泉社, 2021.
  • 佐々木由香「編組製品に見る縄文時代の植物利用と加工」:https://x.gd/3W8OZ.
  • Hemp 高さ約3mの大麻草畑 群馬県東吾妻町(YouTube):https://x.gd/CBPY2.
  • 北代縄文広場「縄文人は何を着ていたか」富山市埋蔵文化財センター:https://x.gd/3SoS1.