講師 神津 仁
神津内科クリニック
1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。
縄文海進は日本人に豊富な海の幸、山の幸をもたらした。3月号で菱の実の話をしたが、日本列島は特に植物性食料が豊富な地域だった。その木の実の粉を使って作られたクッキー状の食べ物が遺構から見つかり、「縄文クッキー」と呼称されている。Wikipediaによれば「縄文時代の食事の再現メニューとして調理されることがある植物質のクッキー(またはパン)、または動植物質のハンバーグ状の加工食品のことである。(中略)1990年代から2000年代にかけて、博物館や埋蔵文化財センターの体験学習やイベントなどでしばしば再現された。縄文時代に植物質の粉食が行われていたことは想定されているが、レシピや形状についてはあくまで推測の域をでないものである」と説明がある。
イベント参加者の声を聞くと、意外とこれが美味しいらしい。作り方の資料を載せておくので、お菓子作りの得意な方はご自分で試作してみると楽しいかもしれない。しかし後に述べるように、縄文時代の堅果類のアク抜きなどの処理は、村人が総出で食料工場生産システムを使って組織的に行われていた事が分かっており、趣味のクッキー作りとはわけが違う。生存のための食糧生産であり、堅果類の保存・加工という重要な工程を経て食べられていたもののようだ。
縄文クッキーは、縄文時代の極初期から作られていたといい、長野県の曽利遺跡においてはじめて発見され、これらのクッキー状炭化物は、主に住居内の炉の灰中から発見されるため、余熱で焼かれたものであると考えられている。土器を用いてカユ状に煮て食した方法と並び、これらは縄文人にとって主要な粉食方法であったと考えられている。
主食の堅果類
高根沢町図書館/高根沢町デジタルミュージアムの資料に述べられているように、「縄文時代は気侯の温暖化によって植生が変わり、それまでの旧石器時代と異なり、多くの植物食料を獲得できるようになった。土器が発明され、煮炊きすることによって、さらに多くの植物を食料とすることを可能にした」時代であった。以下に資料を抜粋させて頂く。
実際、遺跡からはクリ・クルミ・トチ・ドングリなどの堅果類をはじめ、ヤマグワ、マタタビ・ニワトコなど60種ほどの食用植物が確認されているが、遺存を確認しにくいユリやヤマイモなどの根茎類、コゴミ・ゼンマイ・ワラビ・フキ・タラ・キノコなどの山菜を加えると、現在とそれほど変わらない400種以上の食用植物があったものと考えられている。
この中で、安全かつ大量に採集でき、カロリーも高く保存備蓄が可能な堅果類は、縄文人が最も好んだ食料である。特にクリは天然の甘味があり、アク抜きなどの手間が要らず生でも食べられ、まさに縄文人の主食であった。縄文時代の遺跡からのクリの出土は多く、青森県三内丸山遺跡ではクリのDNA(デオキシリボ核酸)を分析した結果、実が大きくてDNAのパターンが揃っていることから、クリ林の維持管理が行われていたことも予想されている。また、クリは柱などの建築部材としても多く用いられており、縄文文化を発展させる重要な植物であったことは間違いなかろう。
ところで、狩猟採集民である縄文人は、採集よりは狩猟のイメージが強く、肉を主食としていたように思われがちである。しかし、近年の縄文人の骨に残る安定同位体である窒素と炭素の割合の分析から、縄文後期の内陸に位置する長野県北村遺跡では、タンパク質の80パーセントをクリやクルミなどの木の実をはじめとする植物から摂取していたことが明らかになった。また、海浜の千葉県古作貝塚でも、タンパク質は植物・魚介類・獣肉類からバランス良く摂取されているものの、カロリーの80パーセント前後が植物に基づくことが明らかにされており、内陸部、海浜部に関係なく、本州の縄文人の食生活において木の実をはじめとする植物への依存が想像以上に高かったことが分かる。
私は信州生まれなので、くるみに馴染みが深い。「長野県は日本一のくるみの産地」というのが、数少ない長野県人の自慢の一つだ。Google検索すると「日本のくるみ生産量は長野県が約50t(2022年)で全国シェア54.7%以上を誇る1位であり、特に東御市が一大産地です。国内の約8割が長野県産で、主な品種はシナノグルミです」と出てくる。しかし、Net上の他のデータを参照すると、以下のように青森県が生産量日本一と出てくる。
AIが嘘をつくことは今の常識だからなんともいえないが、とりあえず「日本で一二を争う生産量を誇る」長野県のくるみだといえば納まりがつくかもしれない。どちらにしても、子供の頃からたくさん食べていたことは間違いない。
縄文時代に食べられていた日本の在来種はオニグルミで、私の故郷の長野県佐久市で採れる。販売店の商品説明にはこうある。
「鬼胡桃(おにくるみ)は、縄文の時代から食用とされてきた日本古来の在来種で、自然の山に自生している胡桃です。現在の国内流通量はわずか1%以下といわれ、幻の木の実と呼ばれています。鬼胡桃の特徴はその名前の通り、鬼のように硬くゴツゴツした殻。殻が堅いだけでなく厚みもあるので、ハンマーなどを使わないと割ることができません。食用部分も少ししかないのですが、市販されているカシ胡桃などに比べるとタンニンが少ないので味は渋みが無く、濃厚でクリーミーと言われ、独特な風味を持つため根強いファンも多くいます」
最近この鬼胡桃を通販で買って味わってみているが、素朴な味で何となく縄文人の味覚を共有出来ている気がしている。長野県東御市にある道の駅を運営する「有限会社雷電くるみの里」のHPを見ると、自然の木から恐らく縄文人も同じような採取方法をしていたと思われるような原始的な方法で今もくるみの実を落としていた。人間の営みは数千年の時を超えて繋がっている。
堅果類のアク抜き
木の実、特に堅果類は保存が可能で生産性が高いことから、縄文人の重要なタンパク源であった。クリやクルミは熱処理をすることにより、柔らかくより美味になるが、生でも食べられる。しかし、ドングリやトチはアクが強く生では渋くて食べられない。高根沢町図書館/高根沢町デジタルミュージアムの資料「アク抜きと調理」にはこのような説明が載せられている。
ドングリについては煮沸して水に哂すことによりアクは取れるが、トチのアクは非水溶性のためそれだけでは食べられない。民俗例によると、トチの実は乾燥→温め→皮むき→煮沸→水晒し→灰汁につける→洗いといった多くの工程を経てはじめてアクが抜け食料となる。灰の量、湯の温度などにはかなりの熟練が必要で、難しい作業であったと考えられる。また、水哂しを効果的にするために、トチの実を前もって磨り潰していたことは、多数の石皿や磨石の存在などから想像することができる。
アク抜き処理されたトチやドングリは、粥状に煮て食べたり、団子状に練って汁に入れたり、蒸したり、焼いたりして食べたものと思われる。これらに、シカやイノシシの肉のミンチを混ぜたり、塩などで味付けを行ったことが山形県押出遺跡をはじめ、全国各地から出土しているクッキー状炭化物の分析で明らかにされている。
国立歴史民俗博物館には、川口市教育委員会・川口市遺跡調査会から提供された「埼玉県赤山陣屋跡遺跡トチアク抜き復元イメージ図」が展示されている。あくまでもイメージ図であるので、現場を見てきたように描かれてはいるが、小川から水を引き、村人たちが協力し合って作業する様子は、見る人に違和感を与えないほど日本の情景に溶け込んでいる。彼ら彼女たちの服装を現代のものに着せ替えて、さらに道端にリヤカーや自転車を置いても何ら違和感を覚えないのではないだろうか。不思議だ。
しかも、この図に付けられた以下の説明を読むと、この単純に見える工程には、数千年前すでに高度な加工技術が使われていた事が分かる。縄文人の知恵にはただただ感心し恐れ入るしかない。
今日につながる縄文時代の食事文化
旬の食材が多く集まる農産物直売所の「秋川ファーマーズセンター」をTV番組で紹介していたのを見て、バイクでshort touringをするのにちょうど良い距離なので数年前からあきる野に行き始めた。
冬には旬の白菜が、春には春キャベツが並び、季節ごとに大根、ネギ、のらぼう菜など、安く新鮮なものが買えるので、65Lのユーティリティバッグ一杯にして自宅に帰ってくる。近くのスーパーでも最近は良いものが買えるが、あきる野の野菜はとても美味しい。旬の白菜は口に繊維が残らず、柔らかくて肉厚で自然な甘さがある。春先に行った時には、旬の竹の子や山菜を買って帰った。
魚は礼文島の「島の人」という魚介類専門の店から取り寄せる。北海道の紅ホッケは東京のものとは大きさが違う。中型が29cm、大が30cm、特大になると34cm以上になる。4月に春を告げる魚と言われるニシンを取り寄せたが、これも大変美味しかった。北海道から東北地方北部の縄文人も岸辺に押し寄せるニシンの群れを捕らえて美味しい塩焼きを食べたのではないだろうか。日本人には、山の幸、海の幸をありがたくいただく文化的要素が、その遺伝子に刻まれているのだろう。
西田正規氏は、その著書「人類史のなかの定住革命」の中で、縄文人の生きた日々を想って以下のように綴っている。
村人は、季節の変化を味覚の変化として印象に刻みつけた。春には、ほろ苦いフキやウド、湖の魚や貝がなければならない。夏にはサザエのあの複雑な味がなくてはならないし、マグロを口いっぱいほおばりたい。クリやシイの実、多くの種類の果物やキノコ、ヤマイモや球根が秋を告げる。冬に、女たちは活動をやめて家にこもり、男たちが持ち帰る脂ののった肉が、寒気のなかの人びとを暖める。ワナで獲れるカワウソやテンの毛皮は、肉を煮る土ナベのそばで女たちが腕をふるって暖かい衣服に仕上げることだろう。
多様な食料を利用する「タコ足」的な生業活動は季節によって配置され、季節の味をもたらす。このような食事に親しんでいた人びとは、しだいに季節によって変化する味覚のスペクトルを充実させていった。ここで賞味されるのは、季節がもたらす味の変化であり、調理は最低限におさえられ、食品自体が持っている微妙な味がそのまま生かされたであろう。形がくずれるほど煮込んだり、カラ揚げにしたり、強い香辛料を使って調理したりすることは、縄文時代の人びとのするところではあるまい。年中同じ物を食べ続けることも、彼らの望むところではなかったにちがいない。
これに対して、二、三種類の限られた食料に強く依存する農耕民や牧畜民の生活は、縄文時代の生業を「タコ足的」と表現するならば「一本足的」生業と呼ぶにふさわしい。このような生活様式は年中同じ食べ物で生活するという方向へ向かうことから発達したことは明らかである。とすれば、縄文時代の人びとは、それとは全く逆の方向を目ざした人びとであったと言わなければならない。縄文時代の人にとって、保存されたナッツは冬を越すためのものであり、春になって新鮮な山菜や魚や貝が手に入ればもう食料としての役目を失うのである。
日本の食文化は、自然の恵みとしての多種多様な食材の素材を生かした、世界でも稀有な独特なものである。来日する外国人の殆どは日本の食を求めて来て、その豊さに感動してまた来たいと望むという。いやいやそれほどでも、と我々は謙遜するが、我々は縄文人の末裔であり、縄文人の生き様が我々を形作っている。
しかし、今の日本の現状を見る限り、この偶然にも幸せな人々の生活がいつまで続くのか、と心配になる。
(7月号に続く)
資料
- 縄文クッキー(Wikipedia):https://ja.wikipedia.org/wiki/縄文クッキー.
- 主食の堅果類(高根沢町図書館/高根沢町デジタルミュージアム): https://x.gd/VuHvp.
- 北代縄文広場「縄文クッキーの作り方(富山市埋蔵文化センター)」: https://x.gd/kpi8u.
- 天空菜園: https://tenku-saien.net/o-walnut/.
- 有限会社雷電くるみの里「信濃くるみの収穫2015」: https://raidenkurumi.jp/pages/53/.
- アク抜きと調理(高根沢町図書館/高根沢町デジタルミュージアム):https://x.gd/DKQeG.
- 島の人:https://x.gd/dcQEs.
- 西田正規:人類史のなかの定住革命, 講談社, 2023.






