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記事・コラム 2026.07.05

中国よもやま話

【第68回】中国と古代ローマの類似点~最高指導者に必要なものとは

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

初代ローマ皇帝アウグストゥス
本名オクタヴィアヌス
写真は 1863 年に発掘された全身像

中国の「最高指導者」(中国語:最高領導人)とローマ帝国の「皇帝」は似ている。なぜなら、どちらも国家の正式な称号や職位ではなく、複数の重要な職位と職権を一手に握る人物を指す言葉だからだ。

帝政ローマは暗殺された終身独裁官「カエサル」の養子「オクタヴィアヌス」に始まる。後世の人々は彼を最初の「皇帝」と呼ぶが、そのような職位はローマに存在しなかった。

彼は定員2名の「執政官」(コンスル)の1人として、最高位の政務と軍務を司った。軍事指揮権(インペリウム)を保持する「最高司令官」(インペラトル)のほか、「前執政官」(プロコンスル)としての権限も行使し、広大な版図を支配した。
「護民官」(プレブス)の身体不可侵権や拒否権などを取得したほか、神職を統括する「最高神祇官」(ポンティフェクス・マクシムス)の権威も手にした。


共和政ローマの元老院(セナートゥス)を描いた 1888 年の絵画
左のキケロが右手前のカティナを追求する様子
現代の二院制議会の上院はセナートゥスに由来する。

これらは共和政と変わらない職位と権限であり、「元老院」(セナートゥス)の承認が必要。彼はあくまでも共和政国家の権力者だったが、重要な権限を一手に掌握したことで、後世から見れば皇帝に等しい存在となった。

オクタヴィアヌスが後世に皇帝と呼ばれた理由は、権限の寄せ集めで握った権力の巨大さに加え、その絶大な権威にあった。

彼は「尊厳者」(アウグストゥス)の称号を授与され、元老院の「第一人者」(プリンケプス)と称えられた。晩年は「国家の父」(パテル・パトリアエ)の称号も贈られた。彼自身も「私は権威こそ万人に勝ったが、権力は同僚を超えなかった」と述懐している。共和政国家で事実上の皇帝になるには、権力もさることながら、何よりも権威が必要だった。

中国の歴代最高指導者は、毛沢東鄧小平江沢民胡錦涛習近平の5人とされる。江沢民の時代から、最高指導者とは三つの職位と権限を一手に握る人物を指す。

一つは国家の代表である「国家主席」。これは実権のない儀礼的元首に近い。もう一つは中国共産党の最高機関である中央委員会の「総書記」。もう一つは軍の統帥権を持つ「中央軍事委員会主席」。名目上は「中華人民共和国」と「中国共産党」を冠した二つの中央軍事委員会が存在するが、実質上は一つの組織であり、同一人物が双方で同一職を兼任する。

1992年10月に発足した第14期中央政治局常務委員会の7人
左から胡錦涛、李瑞環、李鵬、江沢民、喬石、朱鎔基、劉華清
この集団指導体制の下で江沢民が中国の最高実力者となった。
最高実力者が国家主席、総書記、中央軍委主席を兼任する体制は、
翌1993年3月の全国人民代表大会で確立した。

これらの職位と権限は集団指導体制の上に成り立っており、中国の最高指導者はローマの「第一人者」に似た位置づけだ。

中国の最高指導者に必要なのは、やはりローマと同じく「権威」だ。例えば、鄧小平は中央軍事委員会主席だったが、国家や党の
トップに就任せず、それでも最高指導者と呼ばれた。それを可能にしたのは、革命と権力闘争を勝ち抜いた権威だった。その威光は彼が見込んだ江沢民と胡錦涛の後ろ盾となった。

一方、毛沢東の後を継いだ華国鋒は、軍と党のトップに加え、国務院総理(首相)も兼ねる中華人民共和国の歴史上で最大の権力者となった。だが、彼には権威がなく、毛沢東の威光を借りたが、権力闘争に敗れ、最高指導者に数えられない。建国のカリスマなき今日、最高指導者の権威強化は、中国政治の中心にならざるを得ないだろう。