講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
北回帰線は古来より、世界を南北に分ける境界線だった。古代エジプト文明では北回帰線の付近に位置するナイル川のエレファンティネ島が、南のヌビア文明との境界線であり、この島は「南への玄関口」と呼ばれた。

数々の伝承によると、このエレファンティネ島にある井戸は、夏至の日に太陽光が底まで届いたという。この知識を手掛かりに、古代ギリシャのエラトステネスが世界で初めて地球の全周を計算した話は有名だ。ただ、伝説の「エラトステネスの井戸」は実際のところエレファンティネ島ではなく、付近のどこかにあったらしい。
インドでは北回帰線の付近が、アーリア系言語とドラヴィダ系言語の分布境界線だ。これはインドを南北に分ける境界線でもある。
東アジアでは北回帰線が、中華世界と東南アジア世界の境界線だった。秦帝国に始まる中国の歴代王朝は、その版図を南へ拡大したが、北回帰線を越える統治は長続きしなかった。

北回帰線より南では、太陽が天頂に達し、影が消える現象が起きる。この現象を英語では「ラハイナ・ヌーン」と言い、北回帰線では夏至の正午にだけみられる。

雲南省墨江(2021年6月21日)
北回帰線より北では、この現象は起きない。南北の回帰線に挟まれた地域では年に二度みられ、赤道では春分と秋分に起きる。
強力な太陽光が頭上から射す北回帰線の南は熱帯地域だ。自然環境や人々の生活様式は、温帯地域と異なる。そのうえ、北回帰線から南下するほど、年間を通じて太陽が北に見える期間が長くなる。古代の中国人にとって、北回帰線の南は「異世界」だった。
現在の北回帰線は、中国の広東省、広西チワン族自治区、雲南省を通る。これらの地域は少数民族が多い。民族分布からも、北回帰線が中華世界の南限ということが分かる。

だが、一部の中国人は王朝支配を脱し、北回帰線の南に新天地を求めた。中華文明の担い手である漢民族は、方言や文化によって、いくつかの「民系」に分かれる。このうち東南アジアに進出したのは、福建省を中心とする「閩民系」(びんみんけい)の漢民族が中心だった。
福建省はリアス海岸が続く地域であり、航海術と海上交通が発達。閩民系の人々は、古代から「航海の民」だった。
15世紀に明王朝の永楽帝は、宦官の鄭和に大航海を命令。その大艦隊は東南アジアに拠点を築き、インド洋各地を探索した。この大航海を担ったのは、閩民系の人々だった。彼らはジャワ島のスラバヤ、スマトラ島のパレンバン、マレー半島のマラッカなどに移住。現地人とは異なる民族グループを形成した。

台湾の中華民国僑務委員会によると、海外に住む中華系の人々(海外華人)は19年末で4921万人。これはスペインの人口を超える規模。うち7割の3445万人が、東南アジアを中心としたアジア州に住む。
マレーシアでは人口の2割が海外華人。シンガポールでは5割以上に達する。東南アジアの華人財閥は、地元経済界の一大勢力。タイのチャロン・ポカパン、マレーシアのケリー・グループ、シンガポールのホンリョン・グループ、インドネシアの・サリム・グループなどが有名だ。

香港は北回帰線のすぐ南に位置し、中華世界と東南アジア世界を結ぶ要衝。香港株式市場の上場企業には東南アジアの華人財閥のグループ会社も多い。二つの世界に住む中華系の人々が交わる香港は、こうした地政学的な優位性も有している。