講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

王冠を戴く獅子は英国、龍は中国を象徴
中国本土と香港は法域が異なる。 1842年の「南京条約」で英国の植民地となった香港 は、1997年7月1日に主権が中国本土に返還された後も 「英米法」の法域 に属す。
「香港基本法」の第五条 では、社会主義の制度と政策を実施せず、従来の資本主義制度と生活方式を50年間は変更しない と規定。第八条では 「コモン・ロー」(英国普通法)と「エクイティ」(英国平衡法) を中心とする法制度についても、「香港基本法」に抵触したり、香港の立法機関が改正したりしない限りは、これらを保留することを明記している。

1685年から続く英国法曹界の伝統
2026年1月の式典
ただし、中国が香港の主権を取り戻したことに合わせ、最終上訴裁判所は英国の「枢密院司法委員会」から、香港の「終審法院」に変更 された。終審法院の 首席裁判官(首席法官) は、他国に居留権を持たない 中国国籍の香港市民 であることが義務づけられた。
しかし、「英米法」の高度な専門家を確保するため、他の英米法の法域から裁判官を任命 することが可能。2025年時点も香港では英国や豪州の国籍を保持する裁判官が多い。
香港の弁護士(律師) は英国と同じく、「法廷弁護士」(バリスター)と「事務弁護士」(ソリシター) に分類される。香港の華人で初めての法廷弁護士は、1877年に就任した伍廷芳。 香港の弁護士制度は長い歴史を有する。

1877年に英国で法廷弁護士に
英領香港、清王朝、中華民国で活躍
一方、中華人民共和国 が成立してからの中国本土では、弁護士制度の歴史が半世紀にも満たない。 ただ、それ以前は弁護士制度があり、これを含めれば一世紀以上の歴史がある。
1912年に中華民国が成立 すると、香港で活躍した伍廷芳は、孫文が率いる南京臨時政府の「司法総長」に就任。 西洋に合わせ、弁護士制度を含む新たな法体系の確立 を目指した。しかし、袁世凱が政権を掌握 したことで、伍廷芳は辞職し、その構 想は挫折 した。
袁世凱が率いる北洋政府は、1912年9月に「律師暫行章程」を公布。 これが 中国初の公式な弁護士制度 となった。1949年10月に中華人民共和国が成立 すると、弁護士は1957年の「反右派闘争」で「右派分子」として弾圧 され、1966年に始まったプロレタリア文化大革命(文革)で一掃 された。

に抵抗する江青(毛沢東の妻)
1980年8月に「律師暫行条例」が公布 され、弁護士は「国家の法律工作者」として復活。 最初の仕事は文革を主導した江青をはじめとする 「四人組」の特別裁判 だった。ただ、この裁判では被告のほとんどが弁護人は不要として、自身で弁明した。このように 文革は弁護士の消滅と復活に深く関連 した。

地元中学校で2016年10月21日開催
地方では重大犯罪の判決を時々公開
この大会では見物人が千人以上に
弁護士の資格試験が始まったのは1986年。 この時点で中国本土の弁護士は、ほとんどが職務経験ゼロだった。「律師法」(弁護士法)が施行されたのは1997年。 弁護士は 「社会のために法律サービスを提供する有資格業務者」 と定義された。2007年の法改正では 「委任や指示を受け、当事者のために法律サービスを提供する有資格業務者」 と再定義。社会の変化に合わせ、位置づけも変わった。
法治主義の確立は時間を要す。中国は法治国家だが、実践経験が浅いのは否めない。 理想を目指して、今後も司法改革が続くだろう。