記事・コラム 2023.08.04

中国よもやま話

【第13回】誰もが彼らを無視できない~香港の摩天楼に潜む陰の実力者

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

香港は1997年6月30日まで160年近くにわたり英国の統治下にあり、社会主義化を免れた。その結果、香港には中国古来の習俗が多く残り、その一つに「風水学」がある。

風水学の歴史は長く、その基盤となった思想は、中華文明とともに誕生したとみられる。

そもそも、文明は自然界の規則性を発見したことから始まった。その最たるものが、時間の規則性である暦(こよみ)だった。

文明の始祖たちは、天体の運行や出没位置を観察し、時間的な規則性があることを発見。かつては“神のみぞ知る”と思われた季節の巡りも、天体運行の周期性によって予見できるようになった。こうして暦が編纂され、それは農耕文明の発展に貢献した。

殷王朝(商王朝)の甲骨文に刻まれた「十干十二支」の循環表
右は拓本、中央は書き起こした甲骨文字、左は現代の漢字
李圃「甲骨文選注」第55ページに収録
十干十二支は考古学的に実在が確認された最古の王朝も使用

中国の暦は“甲、乙、丙…”の「十干」(じっかん)と“子、丑、寅…”の「十二支」で表現され、六十周期の「十干十二支」が成立した。

中華文明による自然界の探求は、その根本要素にも向かった。世界の根本要素を“陰”と“陽”に分けた二元論の「陰陽思想」が誕生。陰陽思想で未来を占う「易学」も生まれた。さらに、万物が“木、火、土、金、水”の五元素から成るとする「五行思想」を体系化した。

十干十二支、易学、陰陽思想、五行思想は中国社会に深く浸透し、根本要素の周期性、関係性、法則性が複雑に絡み合った宇宙観が確立。根本要素を分析することで、複雑な事物の働きを予見する試みが発展した。

中央に方位磁石がある「羅盤」
周囲には十干十二支や八卦を表示

これを不動産に応用したのが風水学であり、その専門家である風水師が使う「羅盤」という道具には、十干十二支、易学、陰陽五行の思想が盛り込まれている。


有名な風水師の蘇民峰(中央)
香港のテレビ番組にも数多く出演

香港社会では風水の良し悪しが、建物や墓地の位置や方向を決める際に、重要な判断材料とされる。風水が運気を左右するからだ。

香港でビルなどを建てる際は、風水師に報酬を支払い、その判断を仰ぐ。風水が悪ければ、それを回避する工夫を風水師が提案。それが建物の外観や周辺の景観に影響する。


左は剣のような中国銀行タワー
中央は強固な盾のような長江実業の本社ビル
右端は大砲のようなHSBC本店の屋上クレーン

このような香港社会だが、中国への主権返還が決まると、変化が生じた。その一つが85年4月に始まった中国銀行タワーの建設。このビルの設計では、風水師の助言を仰がなかった。すると、ちょっとした騒ぎが起きた。

このビルは剣のようなデザインであり、その刃が周囲に殺気を放っていると、風水師たちは主張。86年12月に当時の香港総督が急死したのも、このビルが原因と指摘した。

そこで、香港総督府は風水師の話を聞き、中国銀行タワーの方角に柳を植え、殺気を防いだ。中国銀行タワーの刃はHSBC本店ビルにも向いていた。そこでHSBCは大砲のような形の屋上クレーンを中国銀行タワーに向けて設置し、殺気に対抗した。

99年に完成した長江実業の本社ビルは、中国銀行タワーとHSBC本店の間にある。そこで、風水師の助言を聞き、双方の殺気を防ぐため、外観を強固な盾のように設計した。

この“風水戦争”の真相は、失業を恐れた風水師の策略だったのかも知れない。返還後も権威を保つ風水師たちは、 今日も“陰の実力者”として香港の摩天楼を裏で操る。