石巻赤十字病院が人気の研修病院になる
東日本大震災後の石巻赤十字病院は初期研修の人気病院になりました。
石井:東日本大震災の救急対応で、石橋先生が全例を応需する方針を掲げられたことが人気になった理由の一つだと思います。
石橋:仙台市内の病院であれば、救急を断っても何とかなるかもしれませんが、石巻ではその感覚で断ってしまうと、患者さんが行くところがなくなってしまうんですよね。
今は救急部には何人の先生がいらっしゃるのですか。
石橋:専従は専攻医を入れて6人ほどいます。それに加えて、初期研修医が4、5人いるので、常に10人ぐらいはいる体制です。
初期研修医はフルマッチしているんですよね。
石橋:有り難いことに、フルマッチの状態で来ていただいています。人気病院かどうかは周りが決めることなので、私はあまり気にしていないですが。
石井:石巻赤十字病院は全国の研修病院ランキングでベスト30に入っていたよ。
石橋:そんなランキングがあることも初めて知りました(笑)。
石井:どこかのサイトに載っていた。宮城県でランクインしたのは仙台医療センターと石巻赤十字病院だけで、1位が虎の門病院だったと思う。
石巻赤十字病院の人気の秘密は救急の充実ですか。
石井:多分そうでしょう。救急のような医療が好きな人が集まってくるんでしょうね。
石橋:見学に来る人や学生さんには救急が魅力だと言っていただくことが多いですね。
石橋先生は初期研修医の指導にあたって、どのようなことに気をつけていらしゃるのですか。
石橋:指導にはあたっていないんです。今は医師免許を使っていない、マネジメントだけの有り難い立ち位置でございます(笑)。
金田先生の手術
金田:俺なんか、最後まで医師免許を使って、現場にしがみついていたのに。周りから嫌がられながらも(笑)。
石井:嫌がっていないですよ、先生。
金田:俺は仕事が好きだったんだね、きっと。
金田先生は今も非常勤で外来をなさってますよね。
金田:私は甲状腺を専門分野にしています。本来はほかの分野が専門だったのですが、甲状腺はとてもニッチというか、患者さんが死なない病気なので、大学で誰も研究しなくなったんです。そのため、くすぶっている人間が貢献できるというユニークな疾患分野でした。そんな分野に従事していると、後期高齢者であるにもかかわらず、まだ患者さんを診ていることになります。先々週いらした患者さんなんて「先生に手術していただけるんですか」と聞いてこられたから、「手が震えるし、目が見えないけど、やらせてくれるの」と言ったら、「いえ、若い先生にお願いします」と言われました(笑)。まあ、そうだよね。
最後に手術をしたのはおいくつのときですか。
金田:院長になってからも1年ぐらいはやっていた。本当はもっと早くに手放さないと危ないんだけれど。要するに、自分の欠点というものはなかなか分からないんだね。それに、あまりにも権力が強くなると、そういったことを諫言してくれる人がいなくなる。だからプーチンや習近平みたいになってしまう。私の同級生や後輩にもそういう人がいるんで、「お前、習近平みたいになっているから早く辞めろ」と声をかけている(笑)。理事長や顧問のようなポジションに20年ぐらい就いている人には「余人をもって代え難しと思っているのはお前だけだ」とも言ったよ。
石井:そういう先生方にそんなことをおっしゃれるのは金田先生だけですよ。
金田:会うたびに「習近平、辞めろ」と言ってるんだけどね。皆、立派な男たちなんだよ。でも権力は腐敗するということを身をもって分かっていないんだ。
石井:先生はご謙遜されていますが、先生の甲状腺の手術はとても勉強になりましたよ。先生は本当にお上手でした。
金田:誉めてくれる人がいるって、とっても嬉しいことだね。
石井:僕は前からほうぼうで言っていますよ。
金田:誉めてくれる人がめったにいなくなったから、年に1回ぐらいは誉めてよ(笑)。
石井:いいですよ。今度、お邪魔します。金田先生に「甲状腺の手術のコツって、何ですか」と以前、伺ったことがあります。甲状腺の手術では残さないといけない神経などが色々とあって、難しいものなんです。簡単に言うと、リンパ節郭清といって、脂肪の組織みたいな神経だけを残して取るみたいなことをするときに、凡人だと「どうしようか」と悩みまくることになります。それで金田先生に「どうやって、やるんですか」とお尋ねしたら、「残すもの以外は全部、取れ」と言われたんです。それを聞いて、「細かい、名もないような神経などは気にせずに、手術書に書かれている残すべき神経以外は全て取ればいいんだ、なるほど」と思ったことがありました。
金田先生はどなたに手術を教わったのですか。
金田:栗原英夫先生です。栗原先生は一昨年、95歳で亡くなりました。非常に手術が上手な、甲状腺の名医でした。ただ、手術に関しては栗原先生に教わったことを基本にしながら、自分で工夫していきました。
石井:栗原先生は超有名な先生でしたね。岩手県盛岡市で栗原クリニックを開業されていましたが、今はやはり第二外科の先輩の土井秀之先生が継承されています。
石井先生が東北大学の教授に就任する
石井先生が東北大学の教授になられるとき、金田先生がお引き止めになったんですよね。
金田:引き止めた記憶はないな。そもそも教授に抜擢されるという話があったときに「こんなにいい話はないから行ってきなさい」と言った気がする。
石井:先生、そう言わないでください(笑)。引き止めてくださったじゃないですか。最初は「断れ」とおっしゃっていましたよ。
金田:「断れ」と言ったのは教授になったら、あなたの収入が減るからだよ。それでちょっと心配になって、「減るぶんはウチでアルバイトをしたらいい。ウチでその埋め合わせを何とかする努力はするから」と言って送り出したじゃない。
石井:最終的にはそうですけど。最初は「断れ」でしたよ。それから僕が大学の里見進先生のところに話を聞きにいってから報告したら、「じゃ、分かった」みたいな感じでした。
石橋:金田先生は引き止めてはいないと思いますよ(笑)。
石井:病院長が里見先生から下瀬川徹先生に代わる頃で、下瀬川先生からお話をいただいたんです。
金田:私も下瀬川くんから出てきた話というのは聞いていた。でも、俺があなたを引き止めた理由が分からない。
石井:僕も知りませんよ(笑)。
金田:「余人をもって代え難し」みたいな人材じゃないでしょ(笑)。
石井:それはそうです。
金田:少なくとも教授になるのは栄転だし、そういう箔がつくとなると、医師であるお父さんも喜ぶだろうと思った。
石井:分かりました。
石橋:私も金田先生が止めていた認識はないです。むしろ、ご栄転だし、めでたいなという感じでした。
送別会はありましたか。
石井:何にもないです(笑)。当時、病院でちょっと問題があり、送別会などをやっている場合ではないという事情もありました。すごく寂しかったです。ただ、外科の皆との飲み会はありました。
金田:そんなものでいいんじゃない。左遷なら送別会をしないといけないけど、栄転だから送別会はしなくていい。
石井:僕は教授就任のパーティーもしなかった(笑)。金田先生のご定年のときのパーティーは盛り上がりましたね。
では次回はそのパーティーのお話からお願いします。
石井 正教授
東北大学病院 総合地域医療教育支援部
1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。
日本外科学会認定登録医、日本消化器外科学会認定登録医・消化器外科指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。
金田 巌名誉院長
石巻赤十字病院
1947年に山形県西置賜郡白鷹町で生まれる。1972年に東北大学を卒業後、研修医を経て、東北大学第二外科に入局する。1983年石巻赤十字病院に外科部長として着任する。2012年に石巻赤十字病院院長に就任する。2018年3月に石巻赤十字病院院長を退任する。現在は石巻赤十字病院で非常勤医師を務めている。
石橋 悟院長
石巻赤十字病院
1967年に青森県八戸市で生まれる。1991年に旭川医科大学を卒業後、古川市立病院(現 大崎市民病院)で研修を行う。1994年に東北大学第二外科に入局する。2001年に石巻赤十字病院小児外科に部長として着任する。2006年に石巻赤十字病院医療技術部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院救急部長兼医療技術部長に就任する。2011年に石巻赤十字病院救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2014年に石巻赤十字病院副院長兼救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2018年に石巻赤十字病院院長に就任する。
臨床研修協議会臨床研修プログラム責任者、臨床研修指導医、宮城県難病指定医、宮城県小児慢性特定疾病指定医、宮城県身体障害者福祉法第15条第1項指定医師など。