目次
金田先生が石巻赤十字病院をご退官されるときのパーティーのお話をお聞かせください。

石橋:盛大にやりましたね。
石井:ウェスティンホテル仙台で盛大にやって、盛り上がりましたね。
金田:あれは面白かったね。
石井:いかに金田先生に怒られたのかという話を一人ずつ話しました(笑)。
金田:忘れていた悪事が明らかになったりして、本当に笑えた。
石井:一番面白かったのは、ある先生が金田先生の部屋に呼ばれて、「帰っていい」と言われたときの話です。その先生が「何でですか」と聞いたら、金田先生が「無知な人間には教えようかと思ったけど、お前が無能だと気づいたので、帰ってよし」と言われたそうで、これが一番爆笑された話でしたね。皆、腹を抱えて笑っていました。その次の週に、私が赤十字病院の敷地内を歩いていたら、金田先生にばったりお会いしたんですよ。そのときに金田先生が私に「石井さー、俺はあんなに酷いことを言うんだな。俺は何てヤツなんだ」とおっしゃいましたが、覚えていらっしゃいますか。
金田:いや、石井に話したことは覚えていないけれども、その先生に言ったことは覚えている。確かに、無知ではなく、無能と言ったんだ。無知や怠惰なのは叱ってもいいが、無能を叱るのはまずい。無能というのは修正不可能だから、それを叱ったのは俺が悪いわけだ。でも、それはあまりにも酷いと気づいて、石井にそう言ったんだろうな。それから、その先生にも「先生が思いつきでそんなことをおっしゃるわけがないから、ずっと熟考されていたんでしょうね」と言われ、俺は人をいじめるために、そんなに考えていたのかと思った(笑)。自分を酷いと思ったし、返す返すも自分を許せなかったので、その先生にも陳謝した。そういうのも含めて、あのパーティーでは悪事がわんさか出てきた。
石橋:私は金田先生に怒られた記憶がないんですよ。周りから見れば怒られていたのかもしれませんし、金田先生からどう思われているのかを聞いたこともないのですが、そもそも怒られているという実感を持たない性格なので、分かっていないだけだと思います。
金田:石橋が来たときはもう怒らなくなっていた時期だった。
石橋:2001年に受けられたセミナーのお話が先ほどありましたね。
金田:その頃から怒らなくなっていた。
石橋:私が石巻に来たのは2001年でしたし、そういうタイミングだったのですね。
金田:その頃から、考えてエデュケーションをするようになったし、部下に対してもパワハラ的なものをできるだけやらないようになっていた。でも、手術上の罵詈雑言はまだ残っていた。そう言えば、その頃にあった内視鏡外科学会の内視鏡胃がん手術研究会で、私が教育の失敗例をあれこれ挙げて、失敗の原因やファクターも話しつつ、最後に「どうやら教育者の教育についての資質があまりにも低かったことが根本原因である」と話したら、爆笑を得ました。
石井;僕はフツーに怒られてましたよ。その研究会、先生が教育の大家だから呼ばれたんじゃないですか。
金田:そうじゃなくてね。1年ごとにテーマを決めていて、そのときは「内視鏡外科医の胃がん手術をどう教育するか」というもので、特に失敗の話はしなくてよかった。いかに開腹するかみたいな話を含めてもいいんだが、私の場合はことごとく失敗しているので、どうすればうまくいくのかみたいな話はできない。ただ、失敗の原因を挙げることはできますということでお受けしたんですよ。でも、最後に「根本原因は私にある」と言ったら、満場割れるがごとき拍手をいただき、光栄でした(笑)。
金田先生は医局ではなく、手術中に怒っておられたのですか。
金田:怒ることもそうだけど、嫌味だね。
石井:そうですね。
金田:怒るよりも嫌味なので、非生産的なの。怒るっていうのは矯正しようとする行為だから、どこが悪いというのを指摘するわけだ。要するに欠点を挙げて、それをどうすれば良くできるようになるのかを教えていくことが怒ることになると思うんですよ。でも、私の場合はまずくなっている事実を取り上げていくだけなので、前向きに良くするような教育の仕方ではなかったと反省しています。その研究会でもそういう話をして、「こういう教育者のもとでは立派な内視鏡外科医は育たない」という結論に持っていった。それから、私も反省して後進を育てたかというと、やはり性格的にも駄目だった。それで、教育から引き上げて、ほかの人に任せるようにしたんだね。でも、その結果、ちょっと大きな事故が起きてしまった。事故が起きるのではないかと予測していた以上の事故が起きてしまったことで、どうすれば良かったのかと考えさせられた。部下たちに「自立しなさい、工夫して自分でやりなさい」と言ってきたけれど、それは私が単に投げただけだということに繋がるのかもしれないと、それも反省した。それならどうすればいいのかと言うと、まだよく分かっていない。難しいね。
石井先生は今は若手の先生に怒らないんですよね。

石井:石巻赤十字病院にいた頃は初期研修医を怒っていました。今はすぐにパワハラとか言われてしまいますし、怒らないですね。石巻では怒るというか、大人げない指導医として、「小学生」というあだ名でした(笑)。
金田:石井はキレることで、有名だったよね。院内三大キレキャラの一人だった(笑)。
石井:そうです。僕と循環器のある先生と消化器のある先生で、キレキャラ三羽ガラスとも言われていました(笑)。
でもキャラ変されたんですよね。
石井:キャラ変というのか分からないけれど、生産性がないなと気づいたんですかね。
絶対に怒らない救急専門医の友人がいるのですが、ある時彼に「なんで怒らないの」とたずねたら「先生、怒って何かいいことあります?」とニコニコ顔で言われて「なるほど」と思ったんです。
石橋先生は怒らないのですか。
石橋:私は怒っているのかもしれないけど、自分の認識では怒っていると思ったことがないんですよね。でも機嫌が悪いと顔に出ると言われています。
金田:石橋が怒っているところを見たことがないな。
石井:そうですね。
金田:面白かったのは、私が執刀した手術で、石橋が助手で、研修医が鈎引きで入ったときのことです。そこで研修医があくびをしたから、僕が怒ったんですよ。そうしたら石橋が「よっぽど面白くないんでしょうね」と言った。私としてはそういう見方があるんだと気づかされた。要するに、面白くないような環境に研修医を置いた俺が悪いんだと。だから、そういった見方ができる石橋を偉いと思った。
石井:石橋は単に嫌味を言っただけじゃないんですか(笑)。
金田:いやいや(笑)。偉いでしょ、そういう見方はなかなかできないもの。それは手術の教育であっても、全て同じなんですよ。コントロールプリンシプルというものがあって、コントロールできるのは自分しかない。他人はコントロールできないとすれば、何かまずいときには自分のやり方をある程度は変えることを考えるしかない。当たり前のことなんだけれど、それに気づいたのが定年直前だったのが致命的だった(笑)。
他人を変えることはできない
金田:他人を変えられないということに気づいたのはいいけれど、もう少し早く気づいていたらと思ってしまう。他人の人格は変えられないのだから、それを変えようとするのは無駄に決まっている。変えるとするならば状況やシチュエーションを変えて、他人の見方を変えられるようにするのはどうしたらいいのかを考えないといけない。その点、状況を変えることで、部下や若い医師がどのように対応して、変化していくのかを考えていくことに石橋は長けていると思って、見ていました。石橋はかなり優秀な指導者だと思う。
石橋:今の石巻赤十字病院の病院運営の基本はそれです。それぞれがハマる環境に、どうやって置いてやればいいのかなと考え、そういう環境を作ることにしています。環境を変えることができるのは自分しかいません。他人を変えようとすると、ものすごいエネルギーを使うかわりに、そこまでの成果が上がらないですよね。
金田:成果を上げるのは不可能だろう。
石橋:できないですよね。そこにエネルギーを使うのは無駄なので、その人のいいところを見ることにエネルギーを使おうと思っています。
金田:誰かを変えようとすると、おそらく良いところを潰して、めちゃくちゃな形にして、悪いところを少し減らすぐらいにしかならない。だから、他人を変えようとするのは駄目だと思う。
石橋:変えたくなるんですけどね(笑)。とても変えたくなるんですよ。
金田:人が変わってくれたほうがはるかに心地よい。自分を変えるのは苦痛だから。でも、苦痛であっても変えられるんだよね。他人が変わってくれれば愉快だけれど、それは難しいし、不可能だよ。
石井:その文脈で言うと、僕が金田先生に習ったのは組織の正規分布の話です。組織は5%の優秀な人間が上のほうに、5%の無能な人間が下のほうにいる。その下の5%の人間を排除すると、マンパワーが95%になり、その95%がまた正規分布を描くから、下の人間をどんどん排除すると、組織は小さくなる一方だ。だから下の人間を排除せず、その人たちがいることを前提とした形での組織運営を考えなくてはいけないと教わりました。
金田:正規分布の下の5%の人たちは本人は気づかないかもしれないけれど、組織を守ってくれている人たちなんだよね。
石井:そうですね。

金田:その5%を切ってしまうと、その5%よりは上にいて、優秀だった人間がメンタルをやられて、結局は不幸になる。だから下の5%を切らないということはそういう不幸な人を作らず、組織を守っていることになる。これまで「明らかに無能だから、切ったほうがいい」と事務方からも医師からも言われた人が数人いたんだけど、「その人は組織の大切なところを守ってくれているんだ。だから絶対に切らない」と言ったら、呆れられたこともある(笑)。組織運営は必ず正規分布になるから、人を切ることは駄目だと思う。
石井:僕はそのお話をずっと覚えています。
石橋:私もその教えを守っています。
石井 正教授
東北大学病院 総合地域医療教育支援部
1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。
日本外科学会認定登録医、日本消化器外科学会認定登録医・消化器外科指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。
金田 巌名誉院長
石巻赤十字病院
1947年に山形県西置賜郡白鷹町で生まれる。1972年に東北大学を卒業後、研修医を経て、東北大学第二外科に入局する。1983年石巻赤十字病院に外科部長として着任する。2012年に石巻赤十字病院院長に就任する。2018年3月に石巻赤十字病院院長を退任する。現在は石巻赤十字病院で非常勤医師を務めている。
石橋 悟院長
石巻赤十字病院
1967年に青森県八戸市で生まれる。1991年に旭川医科大学を卒業後、古川市立病院(現 大崎市民病院)で研修を行う。1994年に東北大学第二外科に入局する。2001年に石巻赤十字病院小児外科に部長として着任する。2006年に石巻赤十字病院医療技術部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院救急部長兼医療技術部長に就任する。2011年に石巻赤十字病院救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2014年に石巻赤十字病院副院長兼救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2018年に石巻赤十字病院院長に就任する。
臨床研修協議会臨床研修プログラム責任者、臨床研修指導医、宮城県難病指定医、宮城県小児慢性特定疾病指定医、宮城県身体障害者福祉法第15条第1項指定医師など。