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東日本大震災後の石巻赤十字病院では石井先生がアウトリーチ、石橋先生が病院での対応という役割分担になったのは金田先生が決められたのですか。

金田:いえ。この人たちが「院内には誰もいない」と思ったのか、勝手に考えたみたいです。それから古田昭彦先生がメロンパンチームというチームを作って、薬の配布などをしていました。皆が自分の役割を色々と考えてくれて、でもほとんどそれが外科医だったのは妙と言えば妙だけれども、非常に立派な人たちだと感心して見ていました。
石井:古田先生の活動は今の災害薬事コーディネーターという制度に繋がっています。その当時の日本には「災害薬事コーディネート」という考え方がなかったのですが、古田先生と薬剤部によるメロンパンチームが薬を必要な人にきちんと届けるという調整をされたことが災害薬事コーディネーター制度に繋がったと言えます。
金田:メロンパンチームがどんなことをやっているのかなと思って、私も2、3回、車に乗せてもらって見に行ったのだけれども、病院に薬を取りにくることができない人たち対して、地域の拠点で薬の説明をして渡すという、とてもいいことをしていた。
石井:引換券付きの処方箋を切って、あとで届けるという仕組みです。これには石巻薬剤師会や保険薬局の協力も得ていました。東日本大震災では津波で家と一緒に持病の薬を流されてしまった人も多かったですし、石巻市医療圏の病院や薬局も被災したので、「薬難民」が大量に発生したんです。石巻赤十字病院の「災害対策マニュアル」では「処方ブース」を病院の1階に設けていましたが、被災者が殺到したので、屋外の病院の正面玄関の入口に移しました。そうしたら今度は寒いということになり、院内のロビーに設置し直して、パソコンも担当薬剤師や事務職員の数も増やしたんです。でも、病院まで薬を受け取りに来ることができる人は良いほうで、問題は避難所にいて、薬を必要としている人たちへの処方でした。そこで循環器内科と心臓血管外科に「通常薬リスト」と「中断不可薬リスト」を依頼し、そのリストをもとに薬剤部で「通常薬セット」と「中断不可薬セット」を作ってもらって、救護チームが出動するときに渡すことにしました。しかしそれはあくまで応急処置であり、持病の薬を含む薬の適切な供給という点ではきわめて不十分です。そこで、救護チームが切った処方箋に従って、薬剤部が準備した薬を後日配布するというのがメロンパンチームでした。
なぜメロンパンという名前になったのですか。
石井:震災の発生直後からの職員の主食が菓子パンで、メロンパンが3食続いた日があったことと、移動パン屋ならぬ移動薬局の意味も含めてのことだそうです。古田先生は私の前の医療社会部長でしたし、災害救護のエキスパートです。その古田先生と薬剤師の関係者が組んで、「石井ちゃん、俺はこっちをやるから」と言ってくれました。
メロンパンチームの車は石井先生が調達されたんですよね。
石井:そうです。妻の親戚にネッツトヨタ仙台に勤めている人がいたので、頼みました。石巻赤十字病院の千葉賢二事務部長が「お金を払ってもいいですよ」と優しく言ってくださったんですよ。これで、メロンパンチームに5台のバンを調達できました。メロンパンチームは3月24日から6月24日まで活動を続け、161カ所の避難所を回り、被災者に薬を提供しました。処方総数は4350枚に上りました。
メロンパンチームのバンのみならず、病院側の出費も大きかったのですね。
金田:最初はどれだけ赤字になるんだろうととても心配でしたよ。赤字経営が続いていたところでしたが、2010年にようやく黒字転換したんですね。そういうもともと赤字の病院ですから、震災をきっかけにその赤字幅が小さくなったんです。入るカネも少ないけれど、出ていくカネも少なくなるからです。通常、医療費というものはどういう仕事をしたかで入ってきます。しかし、当時の石巻赤十字病院は通常の手術などがほとんどできず、患者さんから入ってくる収入はほとんどなかったんです。逆にお金を取れない救命救急や災害医療にほとんどのスタッフを取られていました。そこに国からのサポートが入ったので、必要なものはほとんど賄えたわけです。それで赤字でありながら、赤字幅が小さくなるという変わった経験をしました。
金田先生は副院長として、苦労なさったのですね。

金田:私たち幹部は去年の黒字を全て吐き出してもよいから、職員を守ろうと思っていましたが、赤字になるからどうしよう、何とかしないといけないという心配もありました。でも、例年の赤字よりも少なくなりました。銀行のコンサルタントへの相談は以前からしていたのですが、震災後にそのコンサルタントから聞いた話では阪神大震災のあとにそういったスキームができて、災害後に医療システムが破壊されないよう、国が支援するという形になったそうです。
石井:住むところがなくなった職員のためにホテルも借り上げましたよね。自宅が被災した職員に拠出した見舞金もありましたし、病院が被災した職員のために拠出した費用は7000万円に上ったと聞きました。
金田:自宅を流された職員が避難所から職場に通ってくることだけは避けたかったので、発災3日後ぐらいに事務職員をホテルに走らせ、全室を確保しようと言いました。その数年後に土木関係の方たちと話をする機会があったのですが、「石巻のホテルが全く取れなかった。日赤が全部抑えてしまった。まいりましたよ」と言われ、「それは全部、私の仕業であり、罪です。すみませんでした」と謝りましたよ。自宅が全壊した職員は118人、大規模半壊が93人、半壊が17人、一部損壊が106人に上りましたが、避難所から通勤するのは避けたかったんです。それに家族もいるわけですから、「家族もホテルに住むのが当たり前だろう。全部、出してやれ」と指示しました。
合同救護チームが一段落したのはいつぐらいですか。
石井:6月ぐらいで一段落して、あとは着地するためのフェードアウトを一生懸命にしていった感じです。僕は4月から外来には出ていましたが、手術にはまだ入れませんでしたね。震災前までは手術の予定や主治医を決めたりするのを金田先生に「お前、やれ」と言われてやっていたのですが、そこから抜けたら、ほかのメンバーに梯子を外されたようでした。「先生は外科に戻らなくていいですよ。俺たちがやっときますから」とうまいこと言われたのですが、今にして思えば、僕が邪魔だったんでしょうか(笑)。
金田:普通の病気を診るようになったのは夏頃だったか。
石橋:外来が1カ月後で、入院が2カ月後です。
金田:そんなに早かったのか。
石橋:結構、早かったですよ。ただフルの体制ではなかったです。予定入院は5月のゴールデンウィーク明けぐらいから再開しました。
金田:俺は6月頃までばたばたしていて、それから一段落したので、6月末から7月初めまで「エスケープするね」と言って、ロンドンに行ってきた。
石橋:6月にはかなり普通に戻っていました。
金田:俺がいなくても大丈夫かなと思った。もともと大丈夫だったけどね(笑)。
石井:僕も確か6月ぐらいに手術に戻ったような記憶があります。秋頃に石巻市立病院の外科の先生方が合流する話が出ましたね。
石巻市立病院は津波で水没して、診療不能になっていたのですよね。

金田:秋頃に話が出て、実際に合流したのは1月でした。石巻市立病院の外科は東北大学の第一外科の関連病院で、私たちの第二外科とは違う医局なのですが、ついでだから、第一外科と第二外科のハイブリッドにしてしまおうと思い、第一外科の教授にお願いに行ったんです。石巻市立病院は被災したままで復旧していなかったので、私どもと一緒に仕事をさせてくれないかと頼んだところ、快諾してもらえ、石巻市立病院から3人が来てくれた。第一外科と第二外科は犬猿の仲みたいなイメージがあったけれども(笑)、その医局同士が一緒になった病院は石巻赤十字病院が初めて。最初は「うまくいくわけがない」と言われていたが、それから10数年が経っているわけだから、うまくいっているんだろうね。
石井:その3人は最初は「消化器外科」という別の部署を立ち上げるのかと思っていたら、金田先生から「一緒にやる」と言われて、驚いたそうです。 金田:彼らがそう考えていたというのは知らなかった。でも日赤のほうでは「どうせなら一緒にやって、彼らのいいところも見てみたい」という声もあったので、一緒にやった。別の部署を作るのであれば、ハイブリッドにはならない。ハイブリッドはあくまでもモーターとエンジンが一緒になることであるわけだし、別々だと意味がないよ。とにかく彼らと一緒に仕事ができたのは良かった。
石井 正教授
東北大学 卒後研修センター
1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。
日本外科学会認定登録医、日本消化器外科学会認定登録医・消化器外科指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。
金田 巌名誉院長
石巻赤十字病院
1947年に山形県西置賜郡白鷹町で生まれる。1972年に東北大学を卒業後、研修医を経て、東北大学第二外科に入局する。1983年石巻赤十字病院に外科部長として着任する。2012年に石巻赤十字病院院長に就任する。2018年3月に石巻赤十字病院院長を退任する。現在は石巻赤十字病院で非常勤医師を務めている。
石橋 悟院長
石巻赤十字病院
1967年に青森県八戸市で生まれる。1991年に旭川医科大学を卒業後、古川市立病院(現 大崎市民病院)で研修を行う。1994年に東北大学第二外科に入局する。2001年に石巻赤十字病院小児外科に部長として着任する。2006年に石巻赤十字病院医療技術部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院救急部長兼医療技術部長に就任する。2011年に石巻赤十字病院救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2014年に石巻赤十字病院副院長兼救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2018年に石巻赤十字病院院長に就任する。
臨床研修協議会臨床研修プログラム責任者、臨床研修指導医、宮城県難病指定医、宮城県小児慢性特定疾病指定医、宮城県身体障害者福祉法第15条第1項指定医師など。