記事・コラム 2024.05.10

OUI Inc.清水映輔CEO インタビュー 世界の失明を半分にする

第2回  創業する

講師 清水映輔

OUI Inc.

1987年に神奈川県横浜市で生まれる。2013年に慶應義塾大学を卒業後、東京医療センターで初期研修を行う。2015年に慶應義塾大学眼科学教室に入局し、慶應義塾大学病院で後期研修を行う。2016年に東京歯科大学市川総合病院眼科で後期研修を行う。2016年に株式会社OUIを創業し、代表取締役に就任する。2019年に慶應義塾大学眼科学教室特任助教に就任する。2019年に横浜けいあい眼科和田町院を開業する。2020年に慶應義塾大学眼科学教室特任講師に就任する。

 

日本眼科学会専門医、難病指定医、身体障害者指定医など。

日本角膜学会、日本眼科アレルギー学会、Fight for vision、日本抗加齢医学会、ARVO (The Association for Research in Vision and Ophthalmology)、日本アレルギー学会、日本プライマリ・ケア連合学会、日本眼科AI学会、ドライアイ研究会、日本シェーグレン症候群学会、Kyoto Cornea Clubにも所属する。

 

2018 年にARVO/Alcon Early Career Clinician-Scientist Research Award、2020年に日本眼科アレルギー学会優秀賞、第14回日本シェーグレン症候群学会奨励賞、国際失明予防協会The Eye Health Heroes award、2022年に第76回日本臨床眼科学会学術展示優秀賞、第5回ジャパンSDGsアワードSDGs推進副本部長(外務大臣)賞、2023年に日本弱視斜視学会国内学会若手支援プログラム賞、令和5年度全国発明表彰未来創造発明賞などを受賞する。

第2回 創業する

― 後期研修を始められた年にOUI Inc.を創業されたのですね。

清水:慶應の眼科の教授でいらした坪田一男先生から言われた「眼科医として一流になれ」のために学んでいくことは当然のことですが、それは縦軸であり、私としては横軸も欲しいと思いました。しかし個人では何もできないですので、とりあえず法人を作ろうと考えたんです。それが創業のきっかけです。

― 横軸としてのビジョンは何かおありでしたか。

清水:何もなかったです(笑)。個人でするよりも法人で始めた方が良さそうだなというレベルで、眼科医仲間で始めました。

― 臨床をしながら、どのように起業されていったのですか。

清水:2017年10月に眼科医として、ベトナムに医療支援に行く機会がありました。ベトナムの中でもかなり奥地に行ったのですが、医療機器が全くないところにもかかわらず、先生方が頑張って診断されていたのです。その姿を見て、スマートフォンで眼の診察ができたらいいのになと思ったことがスマートアイカメラを作ったきっかけです。そして帰国してから2年弱をかけ、プロトタイプを作りました。その頃、私は眼科医になって2年目、3年目といったキャリアであり、そのぐらいのキャリアの医師が考えるようなことは世界のどこかでどなたかが始めていたことではあり、スマートアイカメラに似た機械もあったのですが、それに本気で取り組んでいる医師や学問として進めている医師はいませんでした。その原因や理由には諸説あるのでしょうが、私はこの技術で世界の失明を減らしていくのだと決意しました。言い方が適切でないかもしれませんが、眼科医にとっての患者さんの失明は他科の先生方にとっての患者さんが亡くなることと同じ意味を持ちます。それを眼科医2年目、3年目の人間が防ごうと決め、それを本気でやっていこうというのがOUI Inc.の創業経緯です。世界の失明人口は4400万人、30年後には3倍の1億2,000万人を越えると言われています。失明の原因の半分以上は白内障で、これは適切な診断と治療で視力を取り戻すことが可能なのです。OUI Inc.はポータブルで高性能なスマートアイカメラを使って、失明のない世界を創ろうと考えました。

― ベトナムでの医療支援を始めたきっかけはどのようなものでしたか。

清水:現在、私どものけいあい眼科和田町院でも勤務いただいている服部匡志先生との出会いがきっかけです。服部先生は20年以上前からベトナムに単身で行かれ、ボランティアで白内障手術をされているほか、現地の先生方のご指導もなさっています。その服部先生の診療を見学したり、お手伝いをさせていただくことになり、私もベトナムに行きました。

― ベトナムでどのようなことを思われたのですか。

清水:ベトナムで失明の危機に晒されている人たちを見て、これはここだけの問題ではないのではないかと思いました。世界にはここ同様に貧しい地域があり、似たような状況があるはずなので、私もより頑張ろうという気持ちになりました。

― そこでスマートアイカメラをどのように具現化されていったのですか。

清水:医療機器を作った経験もないですし、3Dプリンターでものづくりをするという経験もなかったので、そこから勉強しました。もちろんプロの手も借りました。

― 人材募集はどのようにされたのですか。

清水:創業当初はほとんど紹介ですが、そのうち紹介だけでなく、SNSを使ってお声をかけるようになりました。2024年からは求人を出し、一般的な公募を始めました。

― スマートアイカメラはスマートフォンに取り付けるものなのですね。

清水:スマートアイカメラはスマートフォンのアタッチメントであり、スマートフォンに取り付けることによって、既存の細隙灯顕微鏡と同様に、眼瞼、角結膜、前房、虹彩、水晶体、硝子体の観察を行い、白内障などの眼科疾患を診断することができます。電池交換や充電などの手間がなく、白衣にも入れて持ち運びすることが可能です。また、既存の医療機器と同等の性能や安全性を有するといったエビデンスもあります。

― 開発で苦労されたことはどのようなことですか。

清水:開発初期は眼科医として欲しいスペックを出すことに苦労しました。それまで私と同じようなことを考えていた人はいましたし、スマートアイカメラと似たような機械もあったのですが、決定的なブレイクスルーとして何が違うのかというと、スマートアイカメラではスマートフォンの光だけを使うことにこだわったことです。眼科の基本的な診察では眼に光を当て、跳ね返ってきた光を拡大して見るのですが、眼に光を当てる機構の部分で、開発当初はなかなか眼科医の欲しい光が出なかったのです。ペンライトのようなものを別に付ける機械であれば色々とあるのですが、そうすると機械全体が大きくなってしまい、手が小さい医師や女性医師が扱いにくくなるので、あくまでもスマートフォンの光だけを使えるように試行錯誤しました。その結果、このスマートアイカメラだけがスマートフォンの光のみで眼科の診察が行うことを可能にしました。ほかにも輸出入にあたっては飛行機に電池を持ち込めないなどの規制もありましたが、そういったハードルをいくつもクリアしてきました。

― 創業にあたり、開発以外での苦労もありましたか。

清水:何が何だか分からないまま創業しましたので、全てを調べながら進めていかないといけないというのが大変でした。一方で、「眼科医として一流になる」ことを目指すことは変えたくなかったので、臨床も頑張っていました。医師の中でスタートアップやイノベーションに打ち込む方の中には医師を辞める方もいるのですが、私は臨床も続けて「一流」を目指そうと考えていました。それから財務諸表の「ざ」の字も知らなかったので、その勉強も始めました。これは今もできているかどうかは分からないですね(笑)。

― 資金調達はどのようになさったのですか。

清水:2019年にプレシードラウンドが終わっており、今は調達も考えているところではありますが、日本のみならず、世界各国から助成金をいただいていますので、それで経営している状況です。