酷暑の日には舗装道路の照り返しで、バイクにあたる日差しは60℃にもなるという。ヘルメットにライダースーツの上下を着ていると、走行中は良いのだが、停まるとどっと汗が噴き出る。喉が渇く。早く帰ってビールが飲みたい。
帰宅途中で「信濃屋」に寄り、ビール専門のスタッフに「こんな時に飲んで美味いビールのおすすめは?」と聞いたところ、少し悩んでこれを勧めてくれた。
ラベルに「カプツィーナヴァイツェン」と表記されている。ドイツのクルンバッハ醸造所で、ビール純粋令に基づく伝統的な製法で作られたものだ。無濾過らしい、にごりのある黄金色のビールをコップに注ぐと、さわやかな香りが立つ。微細で柔らかな泡と共にグイッと飲みこむと、うまい!さすがビール専門のスタッフの勧めてくれたビールだ。Amazonでは★4.3だから多くの人がその美味さを認めているようだ。
エール酵母と上面発酵
ビールには、その作り方によって多くの種類があるが、発酵の仕方によって大きく2つに分かられる。一つは上面発酵で、信濃屋のスタッフが勧めてくれたヴァイツェンもこの中に入る。この時に用いられるのが「エール酵母(上面発酵酵母)」と呼ばれる、常温(約15~25度)で発酵するもの。発酵するにつれて泡と共に酵母が上面に浮いてくる。この種のビールは個性的で豊かな味わいとフルーティ、フローラルなどと表現されるエステル香(バナナやリンゴ、プルーンなどフルーツのような香り)が特徴だ。
エステルはesterで1848年にドイツ人化学者のレオポルト・グメリンによって考案・命名された。有機酸または無機酸のオキソ酸と、アルコールまたはフェノールのようなヒドロキシ基を含む化合物との縮合反応で得られる化合物である。単にエステルと呼ぶときはカルボン酸とアルコールから成るカルボン酸エステル(carboxylate ester) を指すことが多く、カルボン酸エステルの特性基(R-COO-R’) をエステル結合(ester bond) と呼ぶ事が多い。エステル結合による重合体はポリエステル(polyester) と呼ばれる。また、低分子量のカルボン酸エステルは果実臭をもち、バナナやマンゴーなどに含まれている(Wikipediaより)。
大学の後輩で「エステル」という名前の女子学生がいた。珍しい名前なので記憶に残っている。「エステル結合のエステルなの?」と聞いたところ、父親が聖書からとった名前だということだった。ペルシャ王の后となったユダヤ人女性エステルの知恵と活躍を描いた『エステル記』(Megillat Esther)が旧約聖書にあるが、そこから取ったのかもしれない。
ビールに含まれる主なエステルの大部分は、発酵中、酵母によって生成される。エステル類は前述のように果実様の香りを有しており、ビールの華やかな香りの骨格部分を担っている。主要なエステルとして、酢酸エチル、酢酸イソアミル、酢酸フェネチル、カプロン酸エチル、カプリル酸エチルなどが知られている。それぞれ酢酸エチルは、セメダインの香りや果実の香り、酢酸イソアミルはバナナ様の香り、酢酸フェネチルはバラ様の香り、カプロン酸エチルはリンゴやパイナップル様のフルーティな香り、カプリル酸エチルもパイナップル様のフルーティな香りになる。カプロン酸エチルとカプリル酸エチルは日本酒の吟醸香としても知られている。
ビール醸造において、発酵初期に酵母に与える酸素の量を増やすと、エステル類が減り、酸素の量を減らすとエステル類が増えるということがわかり、これによりエステル類の濃度制御が可能となっているようだ。酵母の種類を変え、温度を変化させて、酸素量を調節することで、豊富な味のバリエーションが生まれることを知ると、化学式が嫌いな私でも、何となくビール醸造をしてみたいと思ってしまう。
ラガー酵母と下面発酵
もう一つが「ラガー酵母(下面発酵酵母)」と呼ばれるもので、こちらは約5~10度の低温で発酵する。上面発酵ビールに比べて長期間熟成させるので、発酵後の酵母は下面に沈殿する。低温発酵は雑菌が繁殖しにくく、製造管理がしやすいという利点があり、品質が安定しているため大量生産するのに向いている。日本の大手メーカーのビールはほとんどがこちらだ。ラガー酵母は、エール酵母に比べて香味成分が少なく、穏やかですっきりとしたキレの良い飲み口、さわやかなホップの香りが特徴だ。おもに「ピルスナー」や「ラガー」などのビールに使われている。人気のアサヒスーパードライもこれだ。
モルト(麦芽)の香り
「モルト」とは、ビールの主原料のひとつで、大麦を発芽させてから乾燥した「麦芽」のことを指す。モルトの香りは、使用する大麦の種類によっても異なるが、麦芽を乾燥させる際の温度を変えることで、パンやビスケットのような風味から、コーヒーのような香ばしい香りまで、さまざまな「モルト香」が生まれる。
約80度で乾燥させたものは、色が黄金色の淡色麦芽になる。「金麦」などの宣伝文句が耳に残るが、多くのビールのベースになっている。
約100度以上で乾燥させ、麦芽に焦げ色をつけたものは濃色麦芽と呼ばれる。その濃さから「カラメル麦芽」「チョコレート麦芽」と分けられる。香ばしさや苦味が強く、コーヒーやチョコレートの風味が立つ。黒ビールは焦げるまで焙煎したモルトを使ったもの。ギネス(アイルランドの醸造会社)の作った「スタウト」は有名だ。
ビール特有のホップの苦味
ホップとは、アサ科のつる性多年草植物の、未授精の雌株の花が咲く「毬花(きゅうか)」と呼ばれる部分のことだ。この毬花に含まれる「ルプリン」と呼ばれる成分が、ビール特有の苦味を生み出している。
ホップ香のもととなるのは、ホップに含まれるエッセンシャルオイル(植物から産出される揮発性の油分)で、これがビール独特の爽快な香りを生みだす。品種にもよるが、ヨーロッパ産のホップは雑味が少なく香りが高く、アメリカ産のホップは香りが華やかな傾向があるといわれる。
ホップは、大きく「ファインアロマホップ」「アロマホップ」「ビターホップ」の3種類に分けられる。ファインアロマホップは、香りが比較的穏やかで上品な風味が特徴。「ピルスナー」や「ベルジャンホワイト(ベルギーのヒューガルデン村で生まれた上面発酵タイプの白ビール)」「シュバルツ( ドイツのバイエルン地方が発祥とされる下面発酵の黒ビール)」などに用いられることが多く、日本のビールにも多く使用されている。アロマホップは、グレープフルーツやオレンジなどの柑橘系の香りや、スパイシーな香りが特徴的なホップで、クラフトビール、あるいは「ペールエール」や「IPA(インディア・ペールエール)」などに使用される。ビターホップは「苦味」に特化したホップで、香りよりも苦味を重視している。「スタウト」などによく使用される。
ビールの香りは、酵母、麦、ホップの種類の組み合わせにより、「エステル香」「モルト香」「ホップ香」が複雑に組み合わさってできている。ビールは五感と脳、体全体で味わって悦びを与えてくれて、さらに人の身体を健康にしてくれる。
(次号に続く)
<資料>
- カプツィーナヴァイツェン(Amazon):http://bit.ly/46qcDKy
- 世界の名酒辞典(2010-2011版),p492,講談社
- 野場重都「ビールと発行の科学~アルコール発酵と香り~」;化学と教育,67巻,12,p584-587,2019年:https://bit.ly/48uRekU
- アサヒスーパードライ(アスクルより):https://www.askul.co.jp/p/P237624/
- ビールの香りを生み出す3つの要素とは?たのしいお酒.jp:https://tanoshiiosake.jp/5908