講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
日本で広く知られる中華料理は、四川料理が多い。「麻婆豆腐」「回鍋肉」「担担麺」などは、すべて四川料理だ。

歴史は意外に浅く1862年に成都の陳興盛飯舗が考案
「麻婆」は吹き出物(麻点)が多かった女性店主に由来
この名は一時期批判を受け、「麻辣豆腐」に改称した。
中国で「川菜」(チュアンツァイ)と呼ばれる四川料理は、「中国料理の四大系統」の一つ。その大きな特色は、「花椒」(ホアジャオ)の痺れるような辛さと唐辛子のヒリヒリする辛みが合わさった「麻辣」(マーラー)。中国語の発音を模倣した「マーラー味」という呼び名が、日本でも広まりつつある。
四川料理はなぜ辛い?この疑問については、「盆地の四川省は、湿度が高く、日照時間が短いため、発汗を促す辛い料理が発達した」という説が広まっている。これは果たして本当なのだろうか?

四川には3000~4000年前から独自の文明が存在した。
現在の四川省には、有史以前から独自の文化を有する巴国と蜀国という国家が存在していたが、紀元前316年に秦王朝に併呑された。これを機に四川省は、中国の歴史に頻繁に登場するようになる。
この長い時の流れにおいて、唐辛子を使った四川料理は歴史が浅い。なぜなら唐辛子は原産地が中南米であり、1492年にクリストファー・コロンブスが新大陸に到達する以前は、中国のどこにも存在しなかったからだ。


薩摩料理の「豚骨」、沖縄料理の「ラフテー」(羅火腿)
長崎の卓袱料理(しっぽくりょうり)の「東坡煮」の起源
コロンブスの新大陸発見により、旧大陸との間で、物産、人口、病気などの幅広い交換が始まった。この「コロンブス交換」により、唐辛子が東アジアに伝来した。
では、唐辛子がなかった時代の四川料理は、現在のように辛かったのだろうか?唐辛子が伝来する前の四川省では、花椒、生姜、芥子菜のほか、生薬の呉茱萸(ごしゅゆ)などが、辛味の調味料として使われていたようだ。
しかし、四川省は古くからサトウキビの産地。唐辛子が伝わる前は、逆に甘い料理が好まれたという説がある。11世紀の北宋時代の政治家として有名な蘇軾(そしょく)は四川省出身だが、彼が考案した豚肉料理の「東坡肉」は、砂糖で甘く味付けしており、発汗促進の辛さという説には疑問の余地もある。
そうした諸説の真偽はともかく、唐辛子が新大陸から伝来しなければ、今日の四川料理は存在しなかったというのは確実だ。
唐辛子が果たした役割は、四川料理にとどまらない。福岡名産の辛子明太子や朝鮮半島のキムチも、唐辛子がなければ、現在のような姿はしていなかっただろう。
唐辛子はポルトガル人を通じて東アジアに伝来したようだ。書籍に残る植物の記録から、中国への伝来は17世紀末ごろで、四川料理への使用は、さらに遅い時期とみられる。

唐辛子は薩摩経由で沖縄に伝来
今のコーレーグスは調味料を指す。
泡盛に漬け込んでいる。
唐辛子が日本で最も早く伝来した九州では、昔から唐辛子を「コショウ」、胡椒を「洋ゴショウ」と呼ぶ。朝鮮半島では「苦椒」(コチョ)の発音が転訛し、「コチュ」という。沖縄では「コーレーグス」というが、これは「高麗胡椒」に由来する。いずれも唐辛子を外国から来た新種のコショウとみなしたようだ。

英領インド時代に英国人の好みに合わせて創作された。
唐辛子はポルトガル人によって16世紀にインドに伝来
カレーも唐辛子の伝来前は、それほど辛くなかった。
カレーは英国に伝わり、「真の国民食」と呼ばれるほど人気
唐辛子を使った中華料理、キムチ、辛子明太子などは、いまや各地の伝統料理。その伝統を生み出したのは、唐辛子という新奇な香辛料に挑戦した食文化の改革者たちだった。