【2022年11月】東北大学の教授に就任する
2022年11月15日 公開震災から1年が経って、私は外科に戻り、普通に手術もしていました。ある日、昼食をとっていたら、「消化器内科の下瀬川徹教授からお電話です」と言われたんです。下瀬川教授とは面識がないし、消化器内科がご専門だけに、私が手術で失敗したか、何かを見逃したのかと青ざめながら電話に出たら、「大学で新設のポジションを考えている。応募してみないか」と言われました。

講師 石井 正
東北大学 卒後研修センター
1963年に東京都世田谷区で生まれる。
1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。
1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。
2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。
2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。
2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。
2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。
2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。
現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。
震災から1年が経って、私は外科に戻り、普通に手術もしていました。ある日、昼食をとっていたら、「消化器内科の下瀬川徹教授からお電話です」と言われたんです。下瀬川教授とは面識がないし、消化器内科がご専門だけに、私が手術で失敗したか、何かを見逃したのかと青ざめながら電話に出たら、「大学で新設のポジションを考えている。応募してみないか」と言われました。
著書の『石巻災害医療の全記録』にも書いていないのですが、今は方々で言っているので、ここでもお話ししますね。実は震災時、大学とは喧嘩したんですよ。震災当時、東北大学病院の病院長は私と同じ第二外科(現 総合外科(2018年に第一外科と第二外科が統合))出身の里見進先生でしたが、最初は連絡が取れていなかったんです。
最大の目的は新しく参集してくださる救護チームに対し、私たちの活動を理解していただくことにあったのですが、メディアの方たちにその時点での石巻医療圏の課題を知っていただくプレスリリースでもあり、行政にも私たちの活動を知ってほしいという目的もありました。
震災発生から1週間は日赤救護班の16チームだけだったのですが、8日目以降は全国から様々な救護チームが来てくれました。ただ、石巻赤十字病院に来てくれたチームもあれば、宮城県からの指示で、避難所に直接入ったチームもあり、複数のチームがバッティングする避難所もあれば、救護チームが全く来ない避難所もあったりという問題が出てきたんです。
避難所アセスメントは私のアイディアではありません。避難所が300カ所もあると分かり、どうしようかと思案に暮れていたら、支援に来てくださっていた日赤医療センター国内医療救護部長の丸山嘉一先生が「石井ちゃん、難民キャンプではアセスメントをするんだよ」と教えてくださったんです。
転移している肝臓がんの手術がちょうど終わり、出血がないかどうか確認するドレーンを入れているところでした。手術後に出血すると良くないのでドレーンを入れておき、出血がなければ、翌日抜くのです。
岩手県立遠野病院に行くときは1年と聞いていたのですが、結局3年が経ち、4年目になるときに、第二外科の医局長から「そろそろ動かす」と言われたんです。それで「どこですか」と聞いたら、「岩手県立北上病院か石巻赤十字病院を考えている」と言われたので、「選べるのなら、石巻にします」と言うと、その通りになりました。
私はあまり真面目な学生ではなく、成績が悪いということを自覚していました。精神科に行けば、父と比較されてしまうという気持ちもありました。でも道端で倒れている人にどうにかしてさしあげられる、最低限のプライマリケアを学び、手にスキルをつけたいと考えていたんです。しかし私が卒業した頃、救急医学は未分化で、東北大学にも講座がありませんでしたし、ACLSのコースもありませんでした。そこで「外科かな」と思って、救急にも近い外科にしたのですが、外科も相当に頭を使うことが分かり、非常に苦労しました。
父が精神科の医師だったことがきっかけです。私が毎年6月に1年生に講義をしているというお話は第6回でもしましたが、入学してすぐの学生は受験の勝利者だ、勝ち組だ、選ばれた人間なのだと天下を獲ったような気分になって浮かれているので、そうではないよと言っています。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
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外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。
外科医として初めての手術では先輩から怒られることがあった。通常3~4人で構成される手術チームで、新人が「筋鈎」を引っ張りながら手術を見守る役割を果たす。