講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
実在する人物の神格化は、古代より洋の東西を問わずに行われた。西洋では古代のエジプト、ギリシャ、ローマなどで、君主や英雄が存命中や死後に、神として崇められた。
ローマ帝国では元老院の承認を経て、亡くなった皇帝を神格化することが多かった。
八百万神の国である日本は、今日も神格化が盛んだ。例えば、日光東照宮の主祭神「東照大権現」とは、神格化された徳川家康だ。近代では日露戦争で戦死した広瀬武夫・海軍中佐が神格化され、初の「軍神」となった。
日本の神格化は、人種や民族を問わない。ドイツ人細菌学者のコッホも神格化され、北里大学の「コッホ・北里神社」に鎮座する。
山口県下関市の中山神社には、1988年に「愛新覚羅社」が造営され、中国最後の皇帝の弟である愛新覚羅溥傑が祀られている。
台湾澎湖県の大池西林寺
文聖人の孔子(右)に並ぶ聖人とされる。
中国における実在した人物の神格化は、日本ほど多くはないが、漢民族の土着宗教である「道教」にみられる。中国で神として祀られる実在した人物のなかで、特に信仰が盛んなのが、「三国志」に登場する関羽だ。
関羽信仰は明王朝の時代に完成。悠久の中国史では最近のことだ。現代では中華圏だけではなく、世界各地の中華街に、関羽を祀る「関帝廟」が建てられている。関羽は建立された廟が最も多い中国の神と言えるだろう。
関羽の人気は他の宗教にも及び、儒教では「武聖人」として崇拝され、「文聖人」である孔子と肩を並べる。また、中国仏教やチベット仏教でも、日本の神仏習合のように、「護法神」「伽藍菩薩」などとして祀られる。
中国三大宗教である道教、儒教、仏教のすべてが、実在した人物である関羽を崇める。
では、関羽は何の神なのかと言えば、武将だから「武神」であるのは当然だが、商売の神である「財神」としての信仰の方が盛んだ。
では、なぜ関羽は財神なのか?幼少期の関羽は簿記や会計が得意だったという俗説があるが、根拠はなく、後世のこじつけだろう。
最も古い関帝廟は、宋王朝の時代に建てられた山西省陽泉市の「陽泉関王廟」とされる。
山西省は明王朝の時代から、中国で「晋商幇」と呼ばれる山西商人たちの根拠地。関羽信仰は山西商人に始まるといわれる。
山西商人は軍需物資の運送や塩の販売などで富を蓄積。清王朝の時代には金融業を支配した。貴重な商品を運ぶ山西商人たちは、盗賊の襲撃に備えて、武術の修練に励んだ。これが武神の関羽を崇拝する理由の一つだ。
本体は高さ61m、台座は19m
関羽の在世期間と独立した年齢に由来
運城市塩湖区解州鎮は関羽の故郷
関羽は山西商人にとって偉大な祖先
世界最大の関帝廟「解州関帝廟」もこの地にある。
もう一つの理由は、山西商人の独特な共同事業スタイル「東伙制度」にある。資力のある大商人たちは銀貨を拠出し合い、共同事業の持ち分である「銀股」を取得。経営は才覚がある人材たちに任せ、彼らには労働力を提供する見返りとして「身股」を割り当てた。共同事業の利益は、「銀股」や「身股」などの「股分」に応じて分配された。
血縁に頼らない東伙制度で、最も大事なのは信義だ。明王朝の時代には、関羽の信義の厚さが通俗小説「三国志演義」で知られていた。関羽のような信義こそ、商売には不可欠。これこそ関羽が財神である最大の理由だ。