記事・コラム 2024.05.20

中国よもやま話

【2024年5月20日】香港裏社会に暗躍する三合会~返還後の表社会にも及ぶ影響力

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

 香港の三大犯罪組織として知られる「和勝和」「14K」「新義安」は、その創設背景は異なるが、いずれも清王朝の時代に誕生した秘密結社「洪門」の伝統を引き継いでいる。

深水埗の関帝廟を香港警察が捜査
内部では和勝和の入会式が挙行中
男性6人女性1人を逮捕
(2020年12月18日)

 香港を含む広東では、「洪門」から派生した「三合会」が、犯罪組織を意味する言葉となり、これを英国人は“トライアド”と呼んだ。

 「三合会」のヒエラルキーは強固ではない。先輩と後輩の間に師弟関係はあるものの、それ以外は義兄弟の関係にあり、基本的には同格だ。この緩やかなヒエラルキーの頂点に立つ首領は、“坐館”や“龍頭”などと呼ばれる。

 「和勝和」は聖徳太子の十七条憲法と同じく、「和を以て貴しと為す」をモットーとし、二年に一度の選挙で坐館を決める。選挙権があるのは、坐館の経験者である六十人の“叔父”。候補者たちは叔父たちの支持を得るため、彼らへの利益供与合戦を繰り広げる。

中央が中国星集団の向華強・主席
右は周潤華(チョウ・ユンファ)
左は劉徳華(アンディー・ラウ)
3人は映画「賭神」で共演
香港芸能界は新義安の影響力が大きい

 一方、「新義安」では創設者である向前の血縁者が、坐館の地位を継承する世襲制だ。現在の坐館は、向前の十番目の子である向華強(チャールズ・ヒョン)とみられ、彼は上場映画会社「中国星集団」を経営するなど、香港芸能界の有力者でもある。映画監督を務めるだけではなく、自ら出演することもある。

 葛肇煌が創始した「14K」は、息子の葛志雄が二代目の坐館を襲名したが、孫の葛顕徳は跡目を継がなかった。坐館に次ぐ役職は、ナンバー2が“二路元帥”、ナンバー3が“双花紅棍”と呼ばれ、こうした地位に就く複数の実力者が、やがて「14K」を取り仕切るようになった。ちなみに1970~80年代の香港芸能界で活躍した俳優の陳恵敏(マイケル・チャン)は、「14K」の双花紅棍だったという。

 これら三大組織の前身組織であり、香港マフィアの総称でもある「三合会」は、中国本土や英領香港の歴史の裏で暗躍した。

アクション俳優だった陳恵敏
裏の顔は14Kナンバー3の「双花紅棍」
(2019年)

 三合会は清王朝の転覆と明王朝の復興を目指すのが本来の目的だったことから、1851年に勃発した「太平天国の乱」や1911年の「辛亥革命」を歴史の裏から支援した。

 中華民国が成立すると、各地の軍閥は三合会を利用したり、犯罪組織として取り締まったりするなど、その関係は複雑だった。

 1949年に中華人民共和国が成立すると、三合会は“反革命”として鎮圧され、中国本土から一掃された。逮捕者は約260万人で、約71万人が銃殺刑に処せられたという。

1950年代初期の反革命鎮圧運動
国民党の残党、スパイ、秘密結社を鎮圧
約260万人を逮捕、約71万人を処刑
中国本土の三合会は一掃された

 こうしたなかで、三合会が生き残ったのが英領香港だった。1956年に英領香港で中国国民党(国民党)支持の右派市民による「双十暴動」が発生。この59人に上る死者を出した暴動は、国民党を起源とする「14K」が、台湾から指示を受けて扇動したといわれる。

反中デモを襲撃した白衣の集団
逮捕者は和勝和と14Kの構成員が多かった

 香港の主権が中国に返還されると、「新義安」の向華強は、中央政府に恭順の意を表し、いまも香港芸能界で隠然たる影響力を保つ。

 「和勝和」は、2012年に幹部の“上海仔”こと郭永鴻が、梁振英・行政長官と会食していたことが判明。2019年7月に反中デモの参加者が襲撃された事件では、「和勝和」と「14K」の構成員が逮捕されている。香港社会で三合会は、いまも無視できない存在だ。