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記事・コラム 2026.05.12

プロフェッショナルインタビュー

第5回「志のある若手医師をいかに持ち上げ、育てていくかということが大事なのではないかと思っています。」旭川赤十字病院 副院長 瀧澤克己先生

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!

どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
 情熱大陸

今回は【旭川赤十字病院 脳神経外科 副院長】の瀧澤克己先生のインタビューです!
テーマは 第5回「志のある若手医師をいかに持ち上げ、育てていくかということが大事なのではないかと思っています。」をお話しいただきます。

プロフィール

名前
瀧澤(たきざわ) 克己(かつみ)
病院名
旭川赤十字病院
所属
脳神経外科
日本脳卒中の外科学会、日本頭蓋底外科学会、日本救急医学会、医療の質・安全学会にも所属する。
資格
  • 日本脳神経外科学会専門医
  • 日本脳卒中学会認定医・指導医・評議員
  • 旭川医科大学臨床指導教授
  • 藤田医科大学ばんたね病院客員教授
  • 日本脳神経外科救急学会評議員
  • 日本意識障害学会評議員
  • 病院総合医など。
経歴
  • 1965年北海道虻田郡倶知安町で生まれる。
  • 1990年旭川医科大学を卒業後、旭川医科大学脳神経外科に入局する。
  • 1996年旭川赤十字病院脳神経外科に勤務する。
  • 1998年秋田県立脳血管研究センター(現 秋田県立循環器・脳脊髄センター)研究員となる。
  • 2000年旭川赤十字病院脳神経外科に勤務する。
  • 2007年旭川赤十字病院脳神経外科第三部長に就任する。
  • 2010年旭川赤十字病院脳神経外科第二部長に就任し、医療安全推進室長を兼任する。
  • 2011年旭川医科大学臨床教授を兼任する。
  • 2012年旭川赤十字病院脳神経外科第一部長に就任し、上席院長補佐を兼任する。
  • 2015年藤田医科大学ばんたね病院客員教授を兼任する。
  • 2020年旭川赤十字病院副院長を兼任する。

─ 若手医師の外科離れを実感されることはありますか。

脳神経外科に限らず、外科を志望する人は減ってきた印象はありますし、大学病院でさえ外科医が足りないと言われていますね。それで外科医へのインセンティブをという話にもなっていますが、それは本質ではないと思う一方で、今の若手医師のタイパ、コスパ重視という考え方からすれば、難しいですね。医学部の入学試験の段階で、外科をやりたいという熱意のある人が合格するシステムでもあればいいかもしれません。今のシステムだとペーパーテストと面接なので、試験勉強ができる人が合格するわけです。その面接にしても、医学部受験生は賢く、優秀ですし、高校時代から効率よく準備してきていますので、面接官も本質的なやる気などを見抜くことはできません。そういう効率のよい人たちが「寝ずに働いてもいいぞ」とはなりませんし、「遣り甲斐重視で」という時代ではありません。

─ 難しい問題ですね。

国は結局、遣り甲斐重視なんですよね。働き方改革にしても、国は「医師の身体のために」と言っており、時間外勤務の上限なども定めていますが、仕事量自体は減っていません。医師一人の労働時間を減らすのであれば、人を増やすか、仕事を減らすしかないのに、仕事量は減っていないですからね。そうなると、結局は一部の医師が「自己研鑽」という名目のもとで仕事をすることになっています。先日、NHKのETV特集の「“断らない救急”のリアル」を見ました。神戸市立医療センター中央市民病院を取材したものですが、中央市民病院はあれだけの救急車が来るにもかかわらず、34億円の赤字だそうです。今の日本では中央市民病院に限らず、大学病院をはじめ、多くの病院が赤字になっていますが、そうすると全ての質が落ちていきます。大学病院で赤字が続くと、研究もできなくなります。金を稼がないと病院がなくなるという時代になっていきますね。それから看護師不足も深刻です。看護師は医師よりも足りていません。地方は看護学校の定員も充足出来なくなっています。医療は医師だけでは成り立たないので、看護師の確保も含めて考えていく必要があります。

─ これから脳神経外科はどのようになっていくと予想されますか。

脳神経外科は絶対に必要な診療科ですので、なくなることはありません。

─ 手術のあり方は変わってきますか。

脳神経外科は手術で治す科ですので、手術がなくなると困るはずです(笑)。しかし手術以外の方法であっても、患者さんがどんどん治るのであればいいですよね。カテーテルも一つの治療方法ですし、動脈瘤にしても、薬で治るのではないかという研究が進んでいます。手術以外の方法であっても病気が治るなら、患者さんは嬉しいでしょう。ただ、やはり脳腫瘍は手術で取るしかありません。この連載の初回でお話ししたように、東南アジアなどの国々の医療環境は40年前の日本と同じです。現在の日本には10000人ほどの脳神経外科医がいますが、タイやマレーシアなどでしたら200人ぐらいしかいません。インドネシアの人口は日本より多いにもかかわらず、脳神経外科医は500人ほどです。したがって、そういう国々とコラボすれば、Win-Winになるでしょう。日本の若手医師の教育にもなりますし、海外の患者さんにしても、地元の医師のみから治療を受けるよりはずっと良い治療を受けられるはずなので、そういう仕組みを組織として作ることができれば、さらにうまくやっていけるようになるのではないかと考えています。

インドでのバイパスハンズオン

─ 若手医師へのメッセージをお願いします。

あまり計算しすぎないことが大事です。計算せずに楽しむということですね。嫌々やっても良いことにはなりません。それは脳神経外科がいい、何科がいいということではありません。私は医師という仕事自体を楽しんでいます。今は脳神経外科医をしていますが、学生のときに勧誘のあった産婦人科を選択していたのであれば、産婦人科の中で色々なチャレンジをしてきたのではないかと思っています。産婦人科と言えば、私は帝王切開で出産した後のお腹の傷を縫ったことがあります。

─ そのエピソードもお聞かせください。

私には子どもが3人いるのですが、3人とも帝王切開で産まれてきました。帝王切開で優先されるのは妊産婦よりも赤ちゃんなので、手術をいかに早く終えるかが大事です。それで、子宮は筋肉ということもあり、赤ちゃんを出したあとの扱いが雑なんです(笑)。時間重視ですから、脳神経外科の手術で使う針よりもかなり太い針でざくざく縫っていきます。だからか女性の身体なのに、皮膚の傷跡も汚いんですよ。それが当たり前という感じでした。妻は1人目と2人目は旭川市内の開業医の先生のところで産んだのですが、3人目は当院で産んだんです。当時の産婦人科での妻の主治医がスキー部の後輩だったので、帝王切開で赤ちゃんが出たあとで、お腹の傷を縫わせてほしいというお願いをしました。そうしたら、「いいですよ」ということにはなったのですが、私はお腹の縫い方はあまり分かっていませんでした。幸いにも外科に以前に他の病院で一緒に働いたことのある医師がいたので、その先生に事情を説明して「お腹を縫うことにしたので、一緒に入っていただけないか」とお願いして、その先生と一緒にお腹を縫ったところ、とても綺麗になりました。

─ 奥様も嬉しく思われたでしょうね。

そのエピソードには続きがあります。上の2人は男の子なのですが、3人目は女の子でした。3人目は当院の手術室で産まれてきましたが、赤ちゃんが出てくると普通は「はい、お父さん」と抱かせてくれますよね。私も帝王切開に立ち会っていたのに、傷を縫うために手を洗って手術室に入っていたので、赤ちゃんを誰よりも先に抱いたのはそのときたまたま手術室に入ってきた上山博康先生でした(笑)。

─ 先生は医師であることを本当に楽しんでいらっしゃるのですね。

計算せずに楽しんでいます。私が秋田に行ったときのお話は以前しましたが、秋田では最初は非常勤扱いだったんです。その前の年は当院に勤務していましたが、時間外手当もついていたので、手取りで月に70万円から80万円ぐらいいただいていました。でも秋田では研修医と同じ扱いでしたので、日給8000円という契約でした。税金は前の年の収入で決まりますから、給与から大幅に引かれます。当時の給与は給料袋に入れられ、手渡しでいただいていたのですが、半年後に正職員にしてもらうまで、5万円しか入っていませんでした。それで、正職員になるまでの半年間はアルバイトをしながら生活を維持していました。

─ それでも秋田に一緒についてこられた奥様は素敵ですね。

今の若手医師が地方になかなか行きたがらないのは奥さんの意向もあるのかもしれません。子どもさんの教育や受験を気にされる方もいますね。それで医局長からの指示に応えられないケースもあるようです。でも、地方でも、どこでもいいから働きたいという志のある若手医師も少なくありません。我々の世代としてはそういう志のある若手医師をいかに持ち上げ、育てていくかということが大事なのではないかと思っています。一方で、若手医師の皆さんにはとにかく仕事を楽しくやりましょうとお伝えしたいですね。

家族とマチュピチュ旅行