話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。
【出演番組一部抜粋】
・news every (TV)
・読売新聞オンライン 大阪・関西万博特集(記事)
・FNN プライムオンライン(記事)
今回は【大阪赤十字病院 看護部】の川瀨 佐知子 看護係長のインタビューです!
テーマは 第4回「国際救援活動を始める」をお話しいただきます。
目次
- プロフィール
- 2009年に初めての国際救援活動でジンバブエに行かれたのですね。これは手を挙げられたのですか。
- それからバングラデシュやハイチにも行かれて、海外でのスキルも上がっていきましたか。
- 改めて、大学院への進学を希望された理由をお聞かせください。
- ロンドン大学を選ばれたのはどうしてですか。
- 大学院で専攻されたのはどのような分野ですか。
- 修士を取られたのはすごいですね。
- 国際救援活動をするにあたっては留学したり、大学院に進学したほうがいいですか。
- 大学院を修了されて日本に戻られてから、今度はネパールに行かれたのですね。
- そして、バングラデシュに3回行かれたのですね。
- レビューの結果はどうでしたか。
プロフィール
- 名前
- 川瀨(かわせ) 佐知子(さちこ)
- 病院名
- 大阪赤十字病院
- 所属
- 看護部 看護係長
- 経歴
-
- 1978年に大阪府大阪市で生まれる。
- 2000年に大阪赤十字看護専門学校を卒業後、大阪赤十字病院に勤務する。
- 2006年に大阪赤十字病院を退職し、バックパッカーとなる。
- 2007年に大阪赤十字病院に復職する。
- 2008年に日本赤十字社国際医療救援要員として登録する。
- 2009年に日本赤十字社の国際救護要員として、ジンバブエでのコレラ流行に対する医療支援、バングラデシュのサイクロンシドゥル復興支援を行う。
- 2010年、2011年にハイチの大地震後の緊急医療支援、復興支援を行う。
- 2014年にロンドン大学衛生熱帯医学大学院を修了する。
- 2015年にネパールの大地震後の初期アセスメント、緊急救援活動を行う。
- 2017年、2018年、2019年にバングラデシュでの避難民支援事業に携わる。
- 2022年7月からパレスチナ・ガザ地区へのリモート支援を行う。
- 2023年7月3日から11月5日までガザ地区のアルクッズ病院で医療支援事業を行う。帰国後は大阪赤十字病院に勤務する。
- 2025年4月から9月までジュネーブの国際赤十字・赤新月社連盟本部で勤務する。
- 2025年10月から大阪赤十字病院に勤務する。
─ 2009年に初めての国際救援活動でジンバブエに行かれたのですね。これは手を挙げられたのですか。
いえ。声をかけていただきました。初派遣ですので、最初の班では出せないということだったのですが、何班か続く緊急支援事業だったこともあり、私は第2班で現地に行き、コレラの患者さんに対する医療支援を行いました。現地では衛生的な水を入手できないという根本的な問題があったため、コレラトリートメントセンターでの治療に加え、hygiene promotionという衛生教育活動を行いました。この衛生教育活動では5つのタイミングでの手洗いやトイレの使い方、経口補水液(ORS)の作り方や飲み方などを現地の言葉であるショナ語で紙芝居やポスターを作成してお伝えしました。私にとっては初めての派遣でしたし、感染症に対する緊急支援チームの派遣は赤十字としても初めてだったことで不安や戸惑いもありましたが、チームワークも良かったですし、現地のスタッフやほかのNGOとの関係も良好だったので、多くのことを学ぶことができました。
─ それからバングラデシュやハイチにも行かれて、海外でのスキルも上がっていきましたか。
スーパーサイクロンのシドゥルがバングラデシュ南部沿岸地域を襲い、890万人の被災者が出たため、バングラデシュでは現地のボランティアの方々に対する緊急時の公衆衛生トレーニング、地域保健での避難民支援を7カ月半にわたって行いました。また、ハイチには地震後の医療支援クリニックやモバイルでの患者さんへの対応、3種混合、麻疹、風疹のワクチンキャンペーンのために行きました。海外に行くたびに、色々な場面での発見がありました。私としては派遣に出るたびに「こんなことをしたら良かったかな」「こんなスキルがあればな」と宿題を出された気持ちになっていました。派遣に出ると「もう何でも来い」みたいな気持ちにはならず、活動をする者としての責任みたいなものを感じるようになりました。派遣に出るからにはそこで果たさないといけない役割と責任があるということですね。それがどんどんプレッシャーになっていき、結果として大学院に行こうという意志が固まりました。
ロンドン大学の大学院に留学する
─ 改めて、大学院への進学を希望された理由をお聞かせください。
これまでの派遣で公衆衛生に興味を持ったことが大きいです。そして、私自身の知識と経験では不十分で、専門性を持った支援には繋がらないと感じたことが大きな理由です。中途半端な支援ではいけない、支援する側には責任があると強く思ったんですね。将来、このフィールドで活動を続けたいなら、知識をつける必要があると考え、大学院に行くことにしました。
─ ロンドン大学を選ばれたのはどうしてですか。
最初は日本国内でもいいかなということで、色々と探していたのですが、やはり国際救援の現場で活動するのであれば、そこで使われる言語で学んだり、世界的に活躍されている先生方から学びたい、ネットワークを広げたい思い、海外の大学に行くことにしました。最終的に海外の大学の中でもロンドン大学を選んだのはロンドン大学の先生が講義をされたのを1回だけ聞いたことがあったからです。そのときに、その先生が言われた「right time, right place, right people」という一言が決め手になりました。「キャリアアップに関しては正しいタイミング、正しい環境、正しい人々のもとで学びなさい。優先順位をつけなさい」と言われたんですね。この一言がなければ、ほかの大学に行ったかもしれないので、ロンドン大学への留学を決める一歩となりました。
─ 大学院で専攻されたのはどのような分野ですか。
大学院で入ったコースは途上国における公衆衛生でした。もともと大学院以上の学生しかいないところだったので、専門性の高い人が多くいました。日本で言うところの厚生労働省のような保健省ですとか、そういう国の機関で働いている人もいれば、疫学の研究者やリサーチャーもいましたし、もちろん医師や看護師もいました。公衆衛生という分野の幅の広さを感じましたね。私自身の疫学統計はとても難しいサブジェクトの一つで、本当に修士を取れるのかと不安になったりしましたが、色々な人たちに助けていただきました。この研究はそのあとの自分の活動に繋がる一つのステップになりましたし、私にとっては重要な時間だったと思っています。
─ 修士を取られたのはすごいですね。
イギリスの修士課程は1年なので、とても大変でした。修士課程の人はセカンダリーデータといって、既にあるデータを集めて結果を出していくのが基本なのですが、私の場合はバングラデシュでのプライマリーデータを集めるところから始めたので、大変だったんです。これは知り合いの先生から「ロンドン大学で修士課程に進むのなら、バングラデシュで研究しなさい」と言われたからです。それでバングラデシュに行き、ワクチンに対する受け入れ状況や反応の調査をしました。かなり無茶なことをしましたね(笑)。
─ 国際救援活動をするにあたっては留学したり、大学院に進学したほうがいいですか。
看護師の後輩たちには勧めています。専門性を高めるためには大学院で学び直すのはいいことです。私はガザからの帰国後、ジュネーブの赤新月社の事務局で働いていたのですが、そこでは国際分野で活動している人は修士を取っているのが普通の世界でした。海外ではダブルマスターを持っている人も普通にいますので、この分野で活動するには必須の資格かもしれません。
ネパールやバングラデシュでの国際救援
─ 大学院を修了されて日本に戻られてから、今度はネパールに行かれたのですね。
日本に帰ってきて、しばらくして呼ばれました。ネパールには大地震後の初期のアセスメントのチームということで行き、そのあとで医療チームの1班に合流しました。ここでネパールに行くとなったときに自分の中では「こうだったら、これが必要だな」という引き出しが増えていましたし、大学院で学んだことも活かせそうでした。例えば健康教育で何が求められているのかと考えたときにできるアプローチの数が増えていましたし、「こういう状況に合わせて、こういうことが必要だな」といった、頭の中でイメージするオプションも増えていました。現地の患者さんの中でどういう人たちが来ているのか、そういう疫学的なマッピングの必要性も感じながら活動できたので、すぐに派遣の機会があったことは大学院で学んだことを活かすという意味ではとても良かったです。
─ そして、バングラデシュに3回行かれたのですね。
バングラデシュに最初に行ったのは2009年のサイクロンシドゥルの復興支援でしたが、2017年、2018年、2019年には避難民支援事業のために行きました。ミャンマー国内での衝突から、多くの方々がバングラデシュの南部地方に移住されたので、いわゆる難民キャンプ的なところでの支援活動を行いました。それも最初は初期のアセスメントをして、現地のニーズを確認し、医療支援チームの派遣の必要性を検討するという目的でした。2018年に行ったときはクリニックでの活動もある程度、落ち着いたので、中長期の支援事業のベースを作る段階になっていました。私は公衆衛生を学んでいたので、クリニック内での医療支援にプラスして、地域保健活動も行いました。現地でプロポーザルのようなものを作ったのですが、それに向けての調査などをしました。滞在期間は2カ月ほどだったと思います。2019年には事業のレビューのために行きました。
─ レビューの結果はどうでしたか。
事業自体は現地のボランティアの方々を対象に活動を進めていくというもので、私は地域保健分野のレビュアーだったのですが、ボランティアの方々の育成もとても進んでいました。ボランティアの方々への健康教育を行いつつ、ボランティアの方々が現地の方々に健康教育を発信し、広げていきます。もともとバングラデシュの赤新月社の方々と協力して、健康教育の内容を統一してやっていこうとしていたのですが、教育に関する資器材も充実しており、順調に進んでいたという結果でした。