記事・コラム 2023.10.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【2023年10月】L・グローバーを大きく開花させたもの

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

第76回

今年のPGAツアーで最大の注目を集めた選手は誰かと問われたら、その答えは、きっと何通りもあることだろう。

マスターズで優勝し、グリーンジャケットを羽織った「ジョン・ラーム」、全米オープンを制した「ウインダム・クラーク」、あるいは激しい風雨の中で全英オープン優勝を成し遂げた「ブライアン・ハーマン」と答える人は多いことだろう。

だが、私は、レギュラーシーズン最終戦、ウインダム選手権を制し、その翌週には、プレーオフ・シリーズ第1戦のフェデックス・セントジュード選手権でも勝利を挙げて2週連続優勝を飾った43歳の米国人選手、ルーカス・グローバーこそが、世界中のゴルフファンを驚かせ、最大の注目を集めたのではないかと思っている。

グローバーと言えば、2009年に全米オープンで勝利を挙げたメジャー・チャンピオンである。だが、あの大会は悪天候による不規則進行が選手たちの運・不運を大きく分け、天候の変化とスタート時間の組み合わせが幸運な巡り合わせとなったグローバーは「ラッキー優勝した」などと囁かれた。

とはいえ、グローバーがタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソンといった当時の強豪選手たちを打ち破ったことは紛れもない事実だ。

そして、2005年に初優勝を挙げていたグローバーにとって、あの全米オープンはすでに通算2勝目で、その後も彼は2011年に3勝目、2021年には4勝目も挙げて、底力があることを実証してきた。

だが、それでもなおグローバーが輝くスター選手として注目されなかった理由は、きっと彼の背中に苦労や苦悩があまりにも色濃く滲み出ていたせいではないかと私は思う。

報われるべくして報われた

グローバーは2012年ごろからイップスになり、彼の成績はみるみる下降していった。

そんな夫を案じていたせいなのか、彼の愛妻クリスタは、いつしか精神を病み、家庭内暴力をふるうようになった。

そして2018年に、ついにグローバーは彼自身と彼の実母に暴力をふるって暴れた愛妻をどうすることもできなくなり、警察へ通報。その結果、クリスタは逮捕された。

やがて自宅に戻ってきたクリスタをグローバーは優しく迎え入れ、以後も根気よく妻の治療に取り組んできた。

イップスに関しては、グローバーの長年のマネージャーが野球のメジャーリーグでピッチャーのイップス治療を専門としている元ピッチャーのジェイソン・クーンという人物にたどり着き、クーンの指導を受けたグローバーのイップスは、今春からようやく回復に向かった。

今年のレギュラーシーズン最終戦、ウインダム選手権での勝利は、愛妻のDVと自身のイップスに真正面から向き合い、忍耐と努力を重ねてきたグローバーのネバーギブアップの取り組みの賜物だった。

その勝利によって、ポイントランキングを112位から一気に47位へジャンプアップさせたグローバーは、トップ70に限定されるプレーオフ・シリーズ第1戦のフェデックス・セントジュード選手権に出場した。

そこで再び好プレーを披露し、優勝に躙り寄ったグローバーは、72ホール目でバーディーパットを外し、サドンデス・プレーオフにもつれ込んだが、彼は動じることなく、1ホール目をしっかりパーで収め、2週連続優勝と通算6勝目を挙げた。

あの2週間は、これまで地味で目立たなかったグローバーが、キャリアで初めて光り輝くために用意された2週間と言っても過言ではないほどで、グローバーの見事な復活は、世界のゴルフ界のビッグニュースとなった。

全米オープンを制してメジャー・チャンピオンになったときのグローバーより、今年の2週連続優勝を達成したグローバーのほうが格段に大きな注目を浴びたことは、少々不思議に感じられるかもしれないが、報われるべき選手がようやく報われたことは、とてもうれしい現象だった。

「みんなの故郷を救おう」

そう、グローバーは今季のシーズンエンドに突如として「注目選手」になったが、それは彼が突然変異したというわけではない。これまで粛々と歩んできたからこそ、来るべき日が来たということなのではないだろうか。

愛妻の精神面のケアをする一方で、グローバー自身もイップスからの脱却に取り組み、その一方で、彼は出身地サウス・カロライナ州の地元のゴルフ場の人々にも優しい視線を向け続けてきた。

ゴルフを通じて若者たちを良き方向へ導くための活動団体「コンガリー財団」が同州内に創設されたのは2016年のこと。グローバーは、そのコンガリー財団とアンバサダー契約を結んだ。

そしてコンガリー団体は、経営が行き詰っていた州内の9ホールのゴルフ場「サージェント・ジャスパーCC」を2021年に買い取り、地元の3つのハイスクールのゴルフ部に「ホームコースとして使ってください」と申し出た。ゴルフ部の生徒たちは、好きなときに無料でコースを使用できるようになったことを心の底から喜び、感謝している。

しかし、経営難だったコースを買い取った上に、高校生たちに無料開放しているのだから、経営状態が上向くはずはなかった。

このサージェント・ジャスパーCCは、1960年代に創設された当初はジャック・ニクラスらもプレーしていた18ホールの豪華なコースだったが、時代の変化とともに来場者が激減。経費を節減するため、数年前に9ホールに変わった。

それでも経営難は続き、破綻寸前だったが、その窮状を知り、「サージェント・ジャスパーを救おう」とアクションを起こしたのが、グローバーだった。

「地元の人々が昔から愛してきたゴルフ場は、みんなの心の故郷だ。このゴルフ場があることで仕事が維持できている人々も多い。ホームコースとして愛してくれているハイスクールの学生ゴルファーたちも、自分たちの拠点となるゴルフ場がなくなってしまったら、困るだろうし、何より悲しむ。そんな思いをさせてはいけない」

そう言って、グローバーは「サージェント・ジャスパーを救うキャンペーン」を自ら提案。試合でバーディーを1つ獲るたびに100ドル、イーグルを1つ獲るたびに500ドルを寄付する活動を1人で開始した。 すると、グローバーに賛同したデービス・ラブら数人の選手も、このキャンペーンに加わった。

その甲斐あって、サージェント・ジャスパーは今でもサウス・カロライナのゴルファーの故郷であり続けている。

人知れず、ひっそりと「人助け」「ゴルフ場助け」を行なってきたグローバーは、だからこそ、彼に助けられた人々の感謝とリスペクトの念に押し上げられ、今年、43歳にして大きく開花したのではないだろうか。

そんなグローバーの満開の花は、今年のゴルフ界で最も美しかったと私は思っている。