講師 神津 仁

神津内科クリニック

1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。

 明けましておめでとうございます。若い先生方は、新年を迎えて今年はどんな年になるか楽しみにしていることと思います。医療DX時代の大きな波に負けず、乗り切る皆さんのパワーに期待しています。

 さて、12月号でunexpectedlyの話を書いて、しばらく経ってから、私自身の上にもunexpectedlyな出来事が起きた。正確にいうと、そんな事が起きやしないかと薄々感じながら、またそれも経験の一つ、skill upの一つとして捉えていたことでもあったのだが。

883の燃料計

 以前からお話ししているように、昨年の1月に大型自動二輪の免許を取り、4月にHarley-Davidson XL883R、通称sportsterパパサンの2007年モデルを購入してBike lifeを楽しんでいた。2007年モデルからfuel injectionが搭載され、キックやチョークのお世話にならずにセル一発でエンジン始動する快適なバイクではあるが、やはり古いold fashionなAmerican bikeだ、メーターは速度計一つだけのシンブルなもので、回転計はなく、燃料計も油圧計もない。燃料計がなければ、ガソリンタンクにどれだけ残っていて、あとどれだけ走れるかがわからない。ネットや雑誌を見ると、「まずはタンクを満タンにして、次に給油する時に燃費がどのくらいかを計算し、空になる前に余裕を持ってガソリンスタンドに行くことを勧めます」とあるので、ツーリングする度に燃費を計算して早め早めに給油していた。

 私が走る距離は大体1日に120〜130km程度で、計算すると燃費が良い時で27km/L、悪い時で20km/L程度だった。休日の道路が空いている時を選んで出かけることと、クリニックの休みの平日でも、都下や郊外、行き先が混まない千葉や神奈川県に行く事が多かった。燃料計がない、といったが、一応タンクの燃料が減ってきたことを示す警告ランプは点くのだが、60km程度走行すると点いてしまうので、あまり当てにしていない。これは同じパパサン乗りがパパサンあるあるとしてあちこちで聞く笑い話で、日本車では考えられないアメリカンな話だ。

 自分のバイクを知るために、医学文献を漁るのと同じように、いろいろな「文献」を集めた。その中に、CLUB HARLEY別冊2020に載っていた「フューエルタンク1回給油でどこまで行ける?」という興味深い記事があった。この記事で使われたバイクはスポーツスター XL1200で、883Rとは排気量が違うことと、東名高速を一定の速度で走行するという実験条件が私の日常走る条件とは違うが、タンク容量が12.5Lと同じものなので、参考データにはなる。しかし、この実験では200km過ぎたところで燃料計の警告ランプが点いたことや、総走行距離275.2kmは、我々の医療分野でいえば、いわゆる「チャンピオンデータ」のような気はしていた。

始めてのガス欠

 今考えてみれば当たり前のことなのだが、Selfガススタンドで燃料を入れる際に、プロが入れるようには入れられない。一般的にバイクの燃料タンクは小さいので、よく「噴きこぼれる」といわれる。ガソリンが車体を汚すのが気になって、実際のところ満タンには出来ていないのだ。そのため、走行距離に対して燃料を少なめに入れているので、計算上燃費が良いようなデータとなり、走行中のドライバーの意識上に「まだ行ける、まだ行けそうだ」という錯覚が生じるのだ。

 いつもは目的地を1つ決めて、燃料満タンで行き帰り120km前後のツーリングをして世田谷まで戻り、いつものENEOSのガススタンドでまた満タンにして帰宅する、というパターンを繰り返していた。その日は、走行距離メーターが50km程度を示していたが、ガソリンスタンドで入れる量が2L程度では申し訳ない気がして、帰宅時の給油を怠っていた。「今日は有明の東京港フェリーターミナルを見学に行くだけだから、それほど距離は伸びないだろう」と予測して出発した。

 その後、同じ道を帰るのは面白くないからと、保土ヶ谷SAまで足を延ばした。大黒埠頭を通るその道は景色が良く、適度なカーブが続く楽しいdrive wayだった。フェリーターミナルを出てからすぐに燃料計の警告灯が点灯したが、いつものことだと無視していた。走行中に距離計が120kmを超え、燃料がもつかどうか、という考えが頭をよぎったのを覚えている。

 保土ヶ谷SAを出て、第三京浜を東京に向かって走行中、エンジンが「プツン」といった。昨年の夏に箱根の山を駆け抜けた時に、やはり「プツン」といってガス欠かと恐る恐るアクセルを開けて、辿り着いたガススタンドで給油したのを思い出した。しかし、ハーレーのエンジンは時々クシャミをするのが特徴だ、と聞いたことがある、大丈夫だろう、と思って走っていると、今度はエンジンオイルのランプが点灯した。さすがにやばいと思って、高速道路の路肩に停めてハザードランプを点け、エンジンを切って再度イグニッションキーを押した。幸いにも、スロットルを開けると正常にふけ上がり、燃料計以外の警告ランプは消えていた。燃料は少なくなっていることは分かっていたので、80km/hをキープしながらアクセルは出来るだけ絞らずに走行を継続した。玉川のトールゲートを過ぎ、田園調布方面の環状八号線へ入る右カーブで、「プツン」が「プスン、プスン」となって、急に減速し、環状八号線に入る30m手前でエンジンが動かなくなった。セルを回してもエンジンがかからない。ガス欠だ、と分かった。ついにこの時が来た、と観念した。真ん中の車線にいたが、ハザードを焚いてすぐに左車線の外側、狭い路肩の白線の上に移動した。

 JAFに連絡し、JAFが高速道路パトロールに連絡してくれて、とりあえず一般道に自力でバイクを出すことにした。私がこのXL883Rを買ったBike shopが、停車していた場所から300mも離れていないすぐそばにある。連絡すると、親切にも専用のレッカーで迎えに来てくれることになった。そこでJAFをキャンセルして、高速道路パトロールの人に丁寧にお礼をいってバイク店に運ぶことになった。

 バイクを輸送し、店のバイク置き場でガソリンを2Lほど入れたところ、元気にエンジンが回り見事に復活した。結局、やはりガス欠だった。

 分かってはいたが、経験するのと想像するのではまるで違う。これは我々の医療スキルの習得と似ている。平日の夕方ではあったが、出来る限り適切な避難と迅速な対処をしたので、特に交通渋滞を起すなど、他車へ迷惑をかけることはなかったのが不幸中の幸いだった。この883Rにはまだ8カ月ほどしか乗っていないから、次に何が起こるか分からない。Unexpectedlyな物事を、Expectすることが必要なことなのだと思っている。

Unexpectedlyな縄文人たち

 縄文時代というと、毛皮や布切れを纏った人達が竪穴住居で狩りや木の実をとって生活していたwildな時代を想像する。教科書に載っている彼ら彼女らの格好から想像するに、知的な印象を受けたことはなかった。しかし、unexpectedlyなことに、縄文人たちは現代の我々日本人よりも遥かに豊かで、知的で、科学的な世界で生きていたことに驚く。

 縄文式土器の、日常生活に使用する壷や甕に施した工芸品の始まりともいえる装飾性に驚くとともに、それを修復して使用するために「天然アスファルト」を用いていたこと、装飾品としての翡翠硬玉(ダイアモンドを10とするモース硬度で6.5〜7の硬さがあるもの)に飾り用の穴をあけていたこと、果実やでんぷんなどの発酵によって酒が造られていたこと、日時計を利用した自然周期のパターンから、様々な食料収穫の始まりと終わりを知り、それを感謝するための祭事の日取りを決めていたこと、実は縄文人は牡蠣の養殖もしていたこと、など驚くべきことが少しずつ分かってきた。

 私が個人的に感心したのは、狩りをするためのやじりに、黒曜石のカートリッジを使っていたことだ。矢に装着した小さな黒曜石の刃(細石刃)が脱落した場合や切れが悪くなった時に、事前に用意していた新しい刃を替刃として付け替えていたのだ。

 自分の手で石を割り、細工を施し、獲物を捕らえる。土器で煮炊きをし、火を囲んで談笑する縄文人の豊かな暮らしが目に見えるようだ。自然の移ろいの中で、太陽の動きで季節を知り、日本の四季に合わせて暮らす縄文人は、いつ何を収穫したら良いかの「縄文カレンダー」を持っていたという説を唱える研究者もいる。世界はUnexpectedlyであり、Unbelievable、Incredibleな出来事で満ちている。今年もどんなUnexpectedlyなことを知ることが出来るかと思うとわくわくする。

縄文カレンダー

1) スポーツスター十番勝負「フューエルタンク1回給油でどこまで行ける?」: I LOVE SPORTSTER 2020, P50-51, CLUB HARLEY別冊.

2) 村忠夫「古代日本の超技術」-あっと驚く「古の匠」の智慧-: 講談社Blue Backs B-2249, 2024.

3) NHK for School 石器: https://x.gd/A6jlI

4) 小林達雄「縄文人の世界」: 朝日選書557, 1997.