記事・コラム 2024.09.01

神津仁の名論卓説

【2024年9月】Food Matrix そのII

講師 神津 仁

神津内科クリニック

1950年:長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年:日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、運動部主将会議議長、学生会会長)、第一内科入局後
1980年:神経学教室へ。医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年:米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年:特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年:神津内科クリニック開業。

 The Washington Postに、「溶かし、叩き、押し出す。なぜ多くの超加工食品は健康に悪いのか」という記事が載っていた。一例として、トウモロコシの粒が洗浄され、衛生管理された工場で塩や砂糖を混ぜた水とともに缶に詰められる、というシンプルな加工がなされる場合と、超加工されて最終的にスナック菓子になる場合との比較がイラスト入りで紹介されている。
 Web上に描かれたそのイラストは、縦長で画面をスクロールして閲覧するようになっているのだが、こうしたアナログの文章では紹介しにくい。そこで、原文に載っているイラストを分割して再構成すると、以下のようになる。

 イラストに描かれた図に添えられた説明文を読むと、「水分が抜かれ、粉砕され、押出機でシート状に加工され、さらに叩いて平にしてチップスの形にカット、そのチップスをオーブンで焼き、油でカリカリになるまで揚げ、最後にチーズ、塩、グルタミン酸ナトリウム、砂糖、人工着色料でコーティングされ、袋詰めされる前に様々なスパイスと調味料が加えられる」とある。超加工食品は、かなり長旅をしてくたびれ果て、最後には身も心もバラバラになった旅人のようだ。

食べることの意味を再認識する

 このfood matrixがバラバラになっている状態は、身体に吸収されやすい「前消化状態」が意図的に作られてしまっている、ということを意味している。すなわち、でんぷんの食品マトリックスは内側の硬い細胞膜とともに破壊され、ブドウ糖の長い鎖を含む微細な細粒が壊れる。その結果、前消化状態の食品に含まれる糖分、その他の栄養素の吸収速度は加速し、血糖値とインスリンレベルのより大きなスパイクが引き起こされることが示されている。Pet bottle syndromeならぬJunk food pack syndromeだ。
 食べるという行為は、食べ物を目で見て、触って、匂いを嗅いで、脳の中に記憶された食べ物のリストを読み出し、その食べ物をどのようにprocessingするかを、身体の全てのシステムを稼働させて対処する、壮大な行為だといえよう。腸には免疫細胞の約7割が集まって「腸管免疫」を形成し、ウィルスや病原菌が体内に侵入して害を与えないように監視・警戒・排除機能を働かせている。このシステムは体に害のあるものを選別し、生命活動維持に重要なものとしての消化・吸収・排泄機能と連動させる。手足は食べるために必要な探索用具、五感は食べものを識別するのに必要なセンサーだと考えれば、人間にとって食べることの重要性がよく分かる。
 例えば、ナッツ(tree nuts)には細胞壁(繊維)を持つ小さな細胞が何百万個もあり、その細胞壁の中にある脂肪球はナッツを丸ごと食べると消化しにくいので、未消化の繊維と脂肪が腸管を通って排泄されるため、吸収しきれなかった脂肪、繊維、その他の栄養素は腸内細菌の餌になり、健康なmicrobiotaを保つことが出来る。
 近年では、口腔のみならず腸管管腔にも味覚受容体の機能が存在することも明らかになっており(Roper,S.D. and Chaudhari, N., Nat Rev Neuosci. 18(8) 485-497, 2017)、食品成分や消化分解物の化学受容と脳神経系への作用におけるフードマトリクスの関与も注目されている。

加熱調理で進化した人類

 リオデジャネイロ連邦大学、生物医科学研究所(Institute of Biomedical Sciences)の神経科学者スザーナ・エルクラーノ・アウゼル(Suzana Herculano-Houzel)氏によれば、「真に人間を人間たらしめたものは、“火の利用”ではなく“火を使った調理”だ」という。
 およそ180万年前に人類の脳のサイズが急激に大きくなったのは、加熱調理の登場が直接影響しているという。 現生人類の祖先と考えられているホモ・エレクトスは、加熱調理を覚えて、60万年の間に脳が2倍に進化した。ゴリラやチンパンジーなど大型類人猿は、体の大きさはヒト属とそれほど変わらないが、未加工の食料しか食べないので、脳の拡大が起きなかった。
 研究チームは、さまざまな霊長類の体と脳の質量を測定し、カロリー摂取量や食事時間と比較した。その結果、カロリーと体重の間に直接的な相関関係が認められた。
 しかし、1日の時間は決まっているから、体の大きさには限界がある。食料を探す時間が必要だし、食事そのものにも時間がかかる。「一番大きな類人猿のゴリラでも体重200キロくらいが上限で、キングコングにはならない」そして脳は、体の中で最もカロリー消費効率が悪い組織だ。「もともと十分な栄養を採れない類人猿は、脳と体を同時に大きくすることはできない」「そこでカギを握るのが加熱調理だ」とエルクラーノ・アウゼル氏は話す。
 加熱調理で食料から摂取できる栄養分が増え、さらに、やわらかくなるので食事時間も減る。こうして、人類は大きな脳を発達させ、エサをかむことよりもほかのことに時間を利用できるようになった。空いた時間で、もっと上手な狩りのやり方、もっと楽しい生き方に思いをめぐらし、さまざまな文化、芸術、原始的な技術を生み出せるようになった。それが「人間らしさ」の誕生だという。1万年前の縄文人はグルコースからアルコール発酵により酒を作っていたことが分かっており、4000年前のメソポタニアではチーズ、パン、ビールなどが偶発的に発明されている。

Food Matrixの定義と現状の理解

 話を元に戻そう。簡単なprocessing、加熱調理や、発酵食品などを食品として食べる行為を何万年と続けてきた人間にとって、近年になって、科学的に計測できるようになったカロリーや栄養素だけが、その食品の人体に及ぼす作用だと限定出来ないことは、容易に想像できる。草木やその根、花、樹皮、木の実、種子、鉱物などを原料とする漢方薬が、その掛け合わせや配合の違いで異なる薬効を表すことについては、現代の医学を持ってしても十分理解されていないのと同様だ。
 松田幹氏は、「フードマトリクスと栄養成分の生体利用率」という論文の中で、フードマトリクスの定義を「食品に含まれる化合物を保持する母体となる食品の高分子成分」としている。ただ、これはかなり単純化した一面的な定義で、高分子成分と低分子化合物やミネラルとの間の物理的相互作用(疎水結合や水素結合などの非共有結合)や低分子化合物間の相互作用を考慮すると、「食品を構成する全ての成分と構造の関与する性質」という抽象的な概念となる、としている。
 「栄養素や生理活性化合物は、その成分を単独で摂取した場合と、まるごとの食品として摂取した場合では、フードマトリクスの効果により消化吸収率や生体利用効率が異なる。特定の栄養素を乳や乳製品として摂取した場合は、他の食品といっしょに、あるいはサプリメントなどで単体として摂取した場合とは生体利用効率が異なることが臨床疫学研究により明らかにされつつある」のが現状のようだ。

Food Matrixの概念は日常の食事摂取バランスを変える

 2024年6月から保険政策が大きく変わった。高血圧、脂質異常症、糖尿病の三疾患に対して、生活習慣病管理料を算定し所定の療養計画書に患者の署名が必要になった。当然のことながら、食事指導を含めた生活指導を医師が行うことになる。高血圧なら減塩やDASH食を、高コレステロール血症であれば、飽和脂肪酸であるラード、バター、チーズの制限や、不飽和脂肪酸、ω3やオリーブオイルの使用の勧奨、糖尿病なら、糖、炭水化物、カロリー制限に運動と減量、と今までの栄養学に則った指導をすることになる。
 しかし、フードマトリクスの考え方を取り入れると、従来いわれていた要素的な禁止・制限食をそのまま患者指導に使って良いものかと疑問に思えてくる。松田幹氏は、論文で以下のような研究結果を紹介している。
 「総摂取カロリーを減らすために乳や乳製品の摂取を減らすことは、良質なタンパク質やビタミン・ミネラルなどの重要な微量栄養素の摂取も同時に減少させることになる。(中略)近年、フードマトリクスの概念を取り入れて、丸ごとの乳製品の摂取という観点での臨床疫学の観察研究が増加しつつある。心血管疾患(Cardiovascular disease: CVD)、高血圧、2型糖尿病などと乳製品の摂取との関連性について、多くの観察研究結果を総合して統計解析したメタ解析研究も報告されている」
 「複数の前向きコホート研究のメタ解析結果では、全乳製品の摂取量は心血管疾患のトータルリスクおよび脳卒中と逆相関を示し、単独の乳製品としてはチーズの摂取量が脳卒中と冠状動脈性心疾患と逆相関を示している。もう一つのメタ解析研究においても、全乳製品の摂取量は脳卒中の低リスクと相関を示し、チーズの摂取量は冠状動脈性心疾患および脳卒中の低リスクと相関しており、先行研究を支持する結果となっている。(中略)チーズはナトリウム含量が高いにもかかわらず、チーズのフードマトリクスとしての効果がナトリウムの作用を抑制していると考えられる。さらに別の系統的調査におけるメタ解析研究では、バターは飽和脂肪酸含量が高いにもかかわらず、その摂取量と心血管系疾患、冠状動脈性心疾患、あるいは脳卒中の発症とは有意な相関を示さないことが報告されている。これもバターのマトリクス効果により、飽和脂肪酸摂取が心血管系疾患のリスクを上昇させる作用が抑制されているためと思われる。このように、飽和脂肪酸の摂取量増加により心血管系疾患のリスクが増大するという臨床疫学研究の成果は、チーズやバターなどの乳製品には必ずしも当てはまらない、ということが統計的に示されており、これは乳製品のフードマトリクス効果を示す一例であると考えられる。(中略)全乳製品、低脂肪乳製品、および乳について、いずれにおいても高血圧発症と直接的な逆相関が示されている」
 「閉経後の女性における骨代謝に関する別の研究において、カルシウムサプリメントあるいは乳製品として1200mgCa/dayのカルシウムを12ヶ月間摂取すると、サプリメントとして摂取した群よりも乳製品として摂取した群において骨盤と背骨の骨密度および全身の骨ミネラル濃度の改善が顕著に認められたことが示されている」

 私は若い頃から、ピーマンの種もナスのヘタも天ぷらにした海老の尻尾も食べる派だった。最近は、スイカの種もガリガリ食べる派になった。丸ごと頂くことの健康度をもう一度考え直してみたい。

1) A. O’Connor and A. Steckelberg; The Washington Post, June 27, 2023 “Melted, pounded, extruded: Why many ultra-processed foods are unhealthy: https://x.gd/5XIFB

2) Lifestyle Health & Wellness: The Power of Synergy and Bioavailability in the Whole Food Matrix: https://x.gd/hlm92

3) 人の脳は加熱調理で進化した?: National Geographics: https://x.gd/Hxy7j

4) Sue Quinn: BBC “Food” Why are scientists so intrigued by the food matrix?: https://x.gd/WoaNN

5) 松田幹:フードマトリクスと栄養成分の生体利用率: 乳業技術, Vol.69. P47-56, 2019.