「先生、ありがとう。でも、仕方ないよね」。
「眠っているかと思ったんです。でも、息していなくて・・・」。
急いで駆けつけると、静かに横たわった患者さんの横で、二人の娘さんが状態を報告する。
「夕飯はきちんと食べたんですが、ちょっとむせて、でも静かだったんです」。
聴診器を取り出して心音を聴き、ライトを眼球にかざすが、バイタルサインは患者が死亡していることを示している。
「ご臨終です。でも大往生ですよ、ミツさんは。ここまで、よく頑張ったと思う」。
笑顔で私が答える。
「そうですよね。うん、よく頑張った」。
「ペースメーカーを外しますから、ちょっと傷をつけますけど、いいですか?」
「どうぞ、どうぞ」。
左の前胸壁にメスを入れるが、出血はない。皮下の脂肪組織は粗で、指を入れるとすぐにツルンと機械が取り出せた。
「終わりましたよ」。
「あら、早いですね。どれどれ、へえ、こんなものが入っていたんだ」。
「そうですね。これ、入れた所に返さなくちゃいけないと思いますが」。
「そうでした。この間、病院のペースメーカー外来に行ったら、何かの時にはここに送ってください、って外来の看護婦さんから住所をもらいましたよ。ほら、これ」とメモを差し出した。
「わかりました、こちらでやっておきます」。
縫合してカバンをしまうと、もう次の日の2時だった。
「まあ、気を落とさずに」と玄関で靴を履きながら声を掛ける私。
「はい。長い間、本当にお世話になりました。いずれまた、私達もお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」。
「わかりました。それじゃ」。
外へ出ると、夜の暗さはそのままなのだが、何となく空気がすがすがしい。大きな充実感ではないが、けじめをつけた充足感があった。
心臓マッサージも、ヘレツプンクチオン(心臓注射)も挿管もしない。いろいろな管が入っていて、いろいろな点滴がぶら下がっていて、いつまでも心電図のモニターがピッピッピッ、と無意味な電気信号を送っている、というような病棟での死を多く経験していた若い研修医の頃に比べて、在宅での看取りは、なんと日常的で淡々とした自然な死であろうか(この項、続く)。