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記事・コラム 2026.02.05

中国よもやま話

【第63回】幻の毒薬は実在したのか?~新発見が揺るがす「鴆」の伝説

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

司馬遷の「史記」など中国の古典を読むと、しばしば「鴆毒」(ちんどく)という毒薬が登場する。例えば、「奇貨居くべし」の故事で知られる呂不韋(りょふい)は、最初の皇帝である「始皇帝」の実父と噂された人物であり、中国統一前の秦国で権勢を振るったが、最期は流刑に処され、鴆毒の入った酒を飲んで自殺した。呂不韋は鴆毒を自殺に使ったが、この猛毒の主な用途は暗殺だ。

鴆の想像図
明王朝の万暦35年(1607年)完成の類書
「三才図会」(さんさいずえ)より
 

例えば、漢王朝初代皇帝「高祖」(劉邦)の皇后だった「呂后」(呂雉)は、斉王の劉肥を鴆毒で殺害しようとした。中国の古典では、高貴な人物の暗殺手段と言えば、この鴆毒が定番だ。枚挙にいとまがない。

「鴆」の字に「鳥」が含まれていることからも分かるように、この猛毒は伝説の毒鳥に由来する。古典によると、「鴆」という鳥は、毒蛇を好んで食べ、その羽毛には無味無臭の猛毒が含まれている。その羽毛一枚を飲み物に浸すだけで、飲んだ人を暗殺できたという。

鴆は長江の南に生息しており、晋王朝の時代には北へ持ち込むことが禁じられたほか、南北朝時代には大規模な駆除が行われたという記録もある。だが、南北朝時代を最後に、鴆に関する記録はなくなり、この鳥はやがて架空の存在として扱われるようになった。

鴆は古代の地理書「山海経」(せんがいきょう)にも収録されている。地理書と言えば聞こえは良いが、これは古代中国人の世界観を盛り込んだ奇書。中華文明の域外の妖怪や空想上の動植物などを挿絵で紹介しており、この中に鴆も登場する。こうしたことも鴆が架空の存在と見なされた一因だろう。

ちなみに上海語では暇を持て余した時の雑談を「談山海経」(デーセヘジン)という。

ズグロモリモズ
体長は20センチあまり、赤褐色と黒の羽毛が特徴
バトラコトキシン化合物の神経毒を持つ
南米のモウドクフキヤガエルが持つ毒と同種

鴆は千数百年にわたり架空の存在と思われていたが、実在した可能性が近年になって急に高まった。「ピトフーイ」というニューギニア島固有の鳥類6種のうち、「ズグロモリモズ」の羽毛から猛毒が発見されたからだ。この鳥を博物館に展示する際、羽毛を触った科学者が熱傷を負ったのがきっかけだった。

この1990年に起きた事件を機に研究が始まり、1992年に世界初となる有毒鳥の存在が報告された。その後、多くの種類のピトフーイが、羽毛などに神経毒を有していることが確認された。このピトフーイや近縁種が鴆の正体だったのかも知れない。


殷王朝の時代の貝貨

はるか南方のニューギニア島に生息する毒鳥が、古代の中国に持ち込まれた可能性もある。古代人の交易は、現代人の想像を超えるほど広域だからだ。例えば、熱帯の海などに生息する「タカラガイ」を貨幣とする風習は世界全域でみられ、中国でも殷王朝の時代から「貝貨」(ばいか)が使われた。なお、現代中国語でも「宝貝」とは宝物を意味する。

発掘された殷王朝時代の貝貨は、南洋の地域との交易を証明した。殷王朝の墓から出土したヒスイも、はるか西方のホータン王国との交易を明らかにした。そもそも殷王朝も昔は伝説だったが、考古学的発見で実在が確定した。毒鳥の発見で、伝説とされた鴆の実在性も、いつの日か解明されるかも知れない。