講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

「獼猴桃」(びこうとう)という漢字を見て、日本人は何を連想するだろう?「桃」の字があるので、それが果物だと推測できるだろうが、それ以外のイメージは湧かないと思う。
獼猴桃が「キウイフルーツ」のことだと筆者が知ったのは、東洋史学を専攻した大学生時代に、渡部武・先生の「中華獼猴桃」(オニマタタビ)に関する論文を読んだ時だった。

筆者の恩師である渡部先生は、中国農業史や民間習俗史の研究者。中国の辺境などを現地調査し、多くの研究成果を残している。
そうした渡部先生の論文なだけに、中華獼猴桃という果物がキウイフルーツと気づくのに時間を要した。キウイフルーツはニュージーランドの特産品として知られるが、これについて中国農業史の渡部先生が論文を執筆した理由は、この果物が中国原産だからだ。

中国湖北省
獼猴桃という果物は、8世紀の唐詩「磧中作」(せきちゅうのさく)で有名な岑参(しんしん)の作品にも登場する。獼猴桃の名称が使われ始めたのは、唐王朝の時代だったようで、紀元前11~6世紀ごろの詩を集めた「詩経」では、「萇楚」(ちょうそ)と呼ばれていた。北宋時代の12世紀に書かれた「本草衍義」(ほんぞうえんぎ)では、獼猴桃に解熱などの薬効があると解説している。また、山奥の獼猴(マカク属の猿)がこれを食べると言及しており、獼猴桃と呼ばれるゆえんだ。

(1812~1880)
別名「中国から茶を盗んだ男」
彼の中国茶でインド茶産業が発展
幕末の日本でも活動した。
中国の獼猴桃が外国に知られるようになった発端は、アヘン戦争が終結した1842年に香港が英国の植民地になったことにある。
帝国主義の時代は、有用や植物を世界各地で探索する「プラントハンター」の黄金期。その界隈で有名だった英国人のロバート・フォーチュンは、1843年に英領香港に上陸すると、中国人に変装して中国南部で植物を収集し、250種を持ち帰った。こうしたなかで「中華獼猴桃」も英国王立園芸協会に送られた。だが、商品作物とするには至らなかった。
獼猴桃がキウイフルーツに変貌するきっかけは、1904年に湖北省宜昌を旅行したニュージーランド女性の教育者メアリー・イザベル・フレイザーだった。彼女は獼猴桃の種子を母国に持ち帰り、園芸家が栽培に成功。品種改良と商品化を進め、これを「チャイニーズ・グースベリー」と呼んだ。

(1863~1942)
日本経由で中国を訪問
獼猴桃の種子を持って帰国
半世紀後にキウイフルーツが誕生
「キウイフルーツ」の名称は、1957年にニュージーランドの輸出業者が考案した。この名称変更の理由については、炭疽菌に汚染されやすい「グースベリー」では検疫を通過するのが難しかったという説があるほか、輸出先の米国における反中感情に配慮したとも言われる。キウイとはニュージーランドの国鳥であると同時に、同国民の愛称でもある。どちらに由来するのかについても諸説ある。
キウイフルーツと言えば、日本ではニュージーランド産のイメージだろうが、実は世界の生産量の2割に満たず、中国産が半分を占める。現代の中国では国産品を「獼猴桃」と呼び、外国産はキウイの発音にちなんで「奇異果」という。「奇異」とは「不思議、珍しい」という意味だが、中国原産なのに「奇異果」と呼ぶのも、考えてみれば奇異なことだ。