記事・コラム 2025.03.20

中国よもやま話

【第52回】生々流転の中国民族興亡史~滅亡が悲劇とは限らない

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

「テルモピュライのレオニダス」(1814)
フランスのジャック=ルイ・ダヴィッド作
ペルシャ戦争で英雄的戦死を遂げたスパルタ王レオニダス
「公民の義務と自己犠牲」のモデルとして描かれた
アウシュビッツを生き延びたユダヤ人の子どもたち
1945年1月にソビエト軍によって解放されたAuschwitz 30

民族とは独自性を共有する人々の集団だ。そうした独自性としては、言語、文化、宗教、血統などが代表的。その独自性から集合的アイデンティティが生じ、それを共有する人々の間に、自民族への帰属意識が芽生え、その共同体に所属したいという欲求を抱く。

そうした所属欲求を背景に、人々は自民族の規範に沿った価値観や行動を好み、同胞から疎外されることを嫌う。時には、自民族のために個性を捨て、自己犠牲さえ厭わない。

一方、他民族に対してはその逆だ。自民族と友好関係を築けなかったり、対立したりすれば、相手の価値観や行動を嫌い、他民族を積極的に疎外、排斥、迫害することさえある。

民族興亡の歴史は、「群れる生き物たる人間」の原初的欲求が背景にある。ただ、民族を形成する独自性は、変化したり、消滅したりする。独自性を保つためには、それを次の世代へ伝え続ける必要がある。独自性の継承が途切れた時、その民族は歴史から姿を消す。

民族人口の激減は、独自性の継承が途絶える要因の一つ。新大陸では白人による侵略と伝染病の蔓延で、無数の民族が人口激減の悲劇に見舞われ、苦しみのうちに滅亡した。


鮮卑が華北東部に樹立した北斉王朝(550~577年)で武安王に封ぜられた徐顕秀の墓に描かれた壁画
当時の鮮卑は漢民族に同化したが、その文化には騎馬民族としての面影が残っている

一方、人口激減の苦難がない民族滅亡もある。例えば、モンゴル高原の騎馬民族だった「鮮卑」。この民族は4世紀から中国に多くの王朝を樹立し、漢民族を支配した。だが、文化面で優位な漢民族に自ら同化し、通婚を続け、歴史から姿を消した。鮮卑の独自性が継承されなくなったからだ。ただ、遺伝子レベルで鮮卑が滅亡したわけではない。例えば、唐王朝の皇室は、鮮卑の血統だ。鮮卑の血筋や文化は、漢民族と中華文明に溶け込み、細胞中のミトコンドリアのように生きている。


香港の女優ロザムンド・クワン
中国名は関之琳
祖先は満族のグワルギャ(瓜爾佳)氏
グワルギャ氏の多くは関に改姓した
関之琳の祖先は貴族階級の満洲旗人

清王朝を樹立して漢民族を支配した満族(満洲族)は、鮮卑のような民族滅亡を警戒。満族の髪形や服装などを漢民族に強制し、独自性を守ろうとした。だが、やはり漢民族は文化面で優位だった。満族は髪形や服装など外面の独自性こそ保てたものの、自らの言語さえ失うほど内面は漢民族化。清王朝が崩壊すると、満族は外面の独自性も喪失し、漢民族化が加速。いまでは血筋のほかに独自性もなく、満族とは身分証に残る民族名に過ぎない。ただ、満族の文化は漢民族に変化を及ぼし、その影響は今も続く。つまり、独自性喪失による民族滅亡とは、他民族に溶け込むこと。同化先の他民族も、存続は保てるが、変質は免れない。すべての民族は生々流転する。


「東アジアのピグミー」と呼ばれた
タロン族の最後の5人

では、独自性を保つために、他民族との接触を断ち、通婚しなければ、どうなるのか。ミャンマーのタロン族は、同族間で近親交配を続けた結果、先天性障害が増加し、純血の男性は今世紀初頭までに1人だけになった。他民族との交流を断てば、民族性は保てても、その民族は最終的に人口激減の悲劇に遭う。


イスラム教徒のチェチェン人
チェチェン紛争の最中で祈る姿

そもそも民族とは、人類の増加と多様化で生じた概念。逆に、人類の人口が激減したり、世界の均質化が進んだりすれば、民族の概念も希薄化あるいは消滅するだろう。人間の生命と平和に比べれば、民族性への執着は、それほど重要なことではないのかも知れない。