講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
内藤証券では毎年4月に新人研修を開催する。筆者は「中国株の基本」という講義の研修講師を毎年引き受けている。だが、日本株すら詳しくない新人に、いきなり中国株の話は早すぎる。そもそも、中国についての知識も、十分とは言えないかもしれない。
そこで、中国株について説明する前に、まずは「中国の概要」について解説する。ただ、この国は複雑かつ多様。日本という国を理解する場合と勝手が違う。
日本については、一部地域の事情が、その他の地域にも当てはまることが多い。だから、日本の一部地域の事情に基づいて、「日本ではこうだよ」、「日本はこんな国だよ」「日本人はこんな人たちだよ」と、外国人に国情を紹介しても、大きな誤りはないだろう。
もちろん、日本にも地域ごとの差異はあるが、国家の分裂を起こしかねないほどの大きな違いはない。地域の差異よりも、それを超越する全国的な共通性の方が大きいからだ。
地域ごとの差異が小さいのは、江戸時代の日本人の8割以上が稲作に従事する農民であり、その生産様式と生活様式がほぼ同じだったからだ。武士や町人の生活様式も、稲作という共通の生産様式の上に成り立っていたので、やはり地域差は控えめとなる。それゆえ、日本人は一つにまとまりやすかった。
例えば、1871年の廃藩置県の時点で、日本は300弱の藩に分かれていた。人の移動は制限され、庶民レベルでは小国分立のような状態。それにもかかわらず、明治時代に人々が「日本国民」として一つになれたのは、生産様式と生活様式の共通性のおかげだ。
一方、中国では人々の生産様式が一様ではない。総人口の9割以上を占める漢民族は農耕民族だが、遊牧民族や狩猟採集民族もいる。
漢民族も南部の稲作と北部の畑作に分かれ、北方人と南方人の対立が存在する。また、漢民族以外の農耕民族も存在するが、山間部での焼き畑農業、砂漠でのオアシス農業、半農半牧など多種多様。こうした生産様式の差異が、社会の在り方や価値観の違いを生み出し、中国の多様性の源泉となっている。
中国では漢民族を含め、56の民族が公認されている。民族の多様性は、生産様式と生活様式の違いによるところが大きい。
中国では自分が属する民族名を意識する場面が多い。各種の申請書や届出書には、民族名の記入欄がある。一方、日本にはアイヌ民族が存在するし、沖縄地方の人々を琉球民族と定義する場合もある。しかし、その他の大多数の日本人は、自分が属する民族名を意識することがない。筆者は新人研修のたびに「自分が何民族か知っていますか?」と日本人の新入社員に質問する。毎度のことだが、新入社員は「日本民族」と答えたり、民族名ではなく「日本人」と回答したりする。これらはいずれも不正解。日本人は中国人と違い、自分の民族名を知らないのが普通だ。
このコラムを読んでいる日本人の方、あなたは答えられますか?あなたがアイヌ民族、琉球民族、あるいは外国にルーツを持つ日本人でなければ、答えは「大和民族」です。