講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
急速な近代化や経済発展にともなう労働力需要は、新たな犯罪組織が勃興する契機となる。日本では明治時代がそうだった。
明治時代の前から日本のヤクザ者には、賭場を資金源とする「博徒系」と露天商を営む「的屋系」という二つの系統があった。
博徒系のヤクザは「渡世人」などと呼ばれ、その縄張りは「島」という。「天照大神」を祀り、その倫理観は「任侠道」。有名な清水次郎長や国定忠治などが、これに当たる。現代の住吉会や稲川会は、博徒系の暴力団だ。
一方、的屋系のヤクザは「稼業人」などと呼ばれ、その縄張りは「庭場」という。中国由来の「神農」を祀ることから、的屋業界は「神農界」とも呼ばれ、その倫理観は「神農道」。実在の人物ではないが、映画「男はつらいよ」の車寅次郎は、的屋系のヤクザ者だ。現代では極東会が、的屋系の暴力団だ。
明治時代の日本で近代化が進むと、新しいタイプのヤクザ組織が出現した。明治時代の北九州では、筑豊炭田からの石炭を舟で運ぶ水運業が盛んとなり、「近代ヤクザの祖」と呼ばれる吉田磯吉が台頭。肉体労働者への需要が高まったことで、荒くれ者をまとめる吉田磯吉のような親分肌の人物が、時に組織暴力をちらつかせるような実業家となった。
日本最大の暴力団である神戸の山口組も、元はと言えば、沖仲仕(船内荷役労働者)を集めた山口春吉が創始者。肉体労働者の斡旋組織を原点とするのが、近代ヤクザの特徴だ。
近代ヤクザの祖である吉田磯吉は、1915年に衆議院議員に当選。こうした親分の政界進出は珍しくなく、小泉純一郎・元首相の祖父である小泉又次郎が有名。横須賀軍港への労働者派遣で頭角を現した小泉又次郎は、1929年に入閣。「いれずみ大臣」と呼ばれた。
労働力需要を背景に暴力団が誕生するメカニズムは、中国にも当てはまる。例えば、清王朝の時代から中国の裏社会で暗躍した「青幇」と呼ばれる犯罪組織は、大運河で働く江南地方の水運労働者から誕生した。
1978年12月に始まった改革開放政策は、中国経済を世界2位に押し上げる原動力となった一方で、「黒社会」と呼ばれる犯罪組織が生まれる土壌となった。例えば、黒竜江省ハルビンでは喬四という人物が台頭。組織暴力を背景に、再開発用地の住民移転を“円滑”に進めることから、地元政府や開発業者と親密になり、やがて犯罪組織の首領となった。河南省鄭州では宋留根という人物が、組織暴力を背景に、地元の陸運業を独占した。
こうした黒社会の人物を時には中国共産党の幹部が利用。四川省の劉漢は有名な実業家だったが、その正体は殺人も厭わない犯罪組織の首領。この劉漢を庇護していたのは、中央政治局常務委員を務めた周永康だった。
こうした状況を背景に、中国政府は黒社会の撲滅を推進。2021年3月までの3年間で、3644つの犯罪組織を壊滅させ、24万人弱に上る容疑者を逮捕したという。
だが、黒社会の人口は百万人を超えるという研究結果もある。中国政府と黒社会の戦いは、まだまだ続きそうだ。