講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
新疆ウイグル自治区は広大であり、その面積は日本の約4.4倍。中国全体の約6分の1を占め、周辺8カ国と国境を接している。
その地形は非常に複雑。「三山挟両盆」(三つの山脈が二つの盆地を挟む)と形容される。
自治区内を東西に走る三つの山脈は、北から順番にアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈。
それらの最高峰は、平均海抜が最も低いアルタイ山脈でも4500メートルもあり、天山山脈と崑崙山脈では7000メートルを超える。
二つの盆地とは、アルタイ山脈と天山山脈に挟まれたジュンガル盆地と天山山脈と崑崙山脈に挟まれたタリム盆地を指す。
ジュンガル盆地はステップ草原や半砂漠地帯が広がる。タリム盆地は大部分がタクラマカン砂漠。山脈と砂漠の境界線に沿って、シルクロードのオアシス都市が点在する。
新疆ウイグル自治区は古代に「西域」と呼ばれた地域。ユーラシア大陸の交易路として栄えた古代のシルクロードは、この複雑な地形の間隙を縫って東西に走る。
中国の歴代王朝は、現代の甘粛省に相当する「河西回廊」と呼ばれた狭い平地を通じ、安全保障や通商活動のため、西域に影響力を及ぼした。こうした「西域経営」を中国の歴代王朝は国家戦略として脈々と受け継いだ。
河西回廊の西端に位置する敦煌で、シルクロードは3つのルートに分岐する。最北の「天山北路」は、北西のトルファンを経由し、区都のウルムチに至るルートだ。さらに天山山脈の北麓に沿ってジュンガル盆地を西に進めば、シルクロードの要衝であるウズベキスタンのサマルカンドに到着する。
この天山北路は現代でも重要であり、中国と欧州を結ぶ鉄道「中欧班列」(トランス・ユーラシア・ロジスティクス)は、このルートを通る。現代ではサマルカンドを目指さず、カザフスタン経由でロシアに向かう。
タクラマカン砂漠の北辺と天山山脈の南麓の間を通るルートは、「天山南路」「漠北路」「西域北道」などと呼ばれる。一方、タクラマカン砂漠の南辺と崑崙山脈の北麓を通るルートは、「西域南路」「漠南路」などと呼ばれる。どちらのルートも、現代では鉄道が敷設されており、シルクロードは健在だ。
これら2つのルートは、タクラマカン砂漠の西端に位置するカシュガルで合流する。要衝のカシュガルからは、5カ所の国境検問所を通じ、8カ国に向かうことが可能。その地理的優位性は「五口通八国」と形容される。
ただし、西の中央アジア諸国を目指すには、平均標高5000メートルのパミール高原を越えなければならない。また、南のパキスタンやインドに向かうなら、7000メートル級のカラコルム山脈を走破する必要がある。
カシュガル周辺には、隣国に通じる道路が整備されている。このうち中国が特に力を入れているのが、「中国パキスタン経済回廊」(CPEC)の建設。カシュガルからパキスタンを縦断し、中国が租借するアラビア海のグワダル港に向かうルートだ。これは中国が推進する「一帯一路」の中核事業。現代の中国も、歴代王朝の「西域経営」を継承している。