講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
中国の国歌は、「義勇軍進行曲」という。スポーツ競技会で中国人選手が金メダルを獲得すると、この曲が演奏される。聞き覚えのある日本人も多いだろう。
その作曲者は聶耳(じょうじ)という男性。1912年に雲南省昆明市に生まれた彼は、幼少から音楽の才に恵まれていた。
1930年に上海に移った聶耳は、音楽家として働く一方、政治活動にも積極的であり、1933年に中国共産党に入党した。
1935年5月に上海で上映された「風雲児女」は、日本軍の侵略への抵抗を呼びかける中国映画。その主題歌が、後に中国の国歌となる「義勇軍進行曲」だった。
この映画の脚本を手掛けた田漢も共産党員。彼は主題歌の作詞も担当し、作曲は聶耳が引き受けた。「義勇軍進行曲」は日本軍と戦う中国軍にも広まり、愛唱された。
聶耳は共産党員に対する弾圧から逃れるため、「風雲児女」の上映直前に、日本に渡航。だが、日本滞在中の1935年7月17日に、聶耳は神奈川県藤沢市で遊泳中に溺れ、23歳で夭折した。彼が亡くなった鵠沼海岸には、1954年に聶耳記念碑が建てられた。その縁で藤沢市と聶耳の出身地である昆明市は、1981年に友好都市提携を結んでいる。
聶耳が作曲した国歌のメロディは、日本人も聞き覚えがあるだろうが、田漢が作った歌詞は、中国語であるため、あまり知られていない。そこで、歌詞の日本語訳を紹介する
<義勇軍進行曲>作詞:田漢、翻訳:筆者
立ち上がれ!奴隷になりたくない人々よ!
我らの血肉で、新たな長城を築き上げよう!
中華民族に最大の危機が迫った時、
すべての人が最後の雄叫びを迫られる。
立ち上がれ!立ち上がれ!立ち上がれ!
我ら万民の心を一つに合わせ、
敵の砲火を冒しつつ、前進!
敵の砲火を冒しつつ、前進!
前進!前進!前進進!
この歌詞の歴史的背景は、フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」に似ている。フランス国歌は1792年に始まった「フランス革命戦争」の際に作られた義勇兵の歌だ。
その歌詞を見ると、「血にまみれた暴君の旗が翻った」、「(残忍な敵兵は)子や妻の喉を掻き切って殺すだろう」、「敵の汚れた血で耕地を染めよ」など、強烈なフレーズが並ぶ。
中国国歌の歌詞が“怖い”と感じる日本人もいるが、フランス国歌よりは温和だろう。
確かに、これらの国歌には、不穏な言葉が並ぶ。ただ、歴史的背景を考慮せずに、歌詞の言葉だけを見て、中国人やフランス人が好戦的と言うのは、少し浅はかと思う。
どちらの国歌も、国家存亡の危機に立ち上がる庶民の愛国心や義勇心を鼓舞する内容。それこそが、人々に愛される理由だろう。
田漢は文化大革命で批判を受け、1968年に獄死した。これが原因で「義勇軍進行曲」は国歌の地位を一時失うが、1982年に復活を果たした。中国の人々は愛国心が高揚すると、国歌を合唱する。今日も「義勇軍進行曲」は愛唱され、中国の人々を鼓舞し続ける。