講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
バイオテクノロジー(生物工学)は人類にとって、言葉の響きこそ新しいが、古くから慣れ親しんでいる技術だ。
バイオテクノロジーとは、生物の機能を利用し、人間にとって有益な物質を獲得することだ。例えば、バイオ医薬品とは“生物由来の医薬品”を意味する。人間の血から作る血液製剤、遺伝子を組み替えた大腸菌が生み出すヒトインスリンなどが、バイオ医薬品だ。
人類は有史以前からバイオテクノロジーを利用していた。その代表例が酒だ。微生物である酵母が糖を分解する発酵作用を利用し、人々はエタノール(酒精)を得ていた。
酒は黄河文明の中心にあった。紀元前17世紀に始まる殷王朝は、飲酒用の青銅器を盛んに鋳造し、祭祀に用いた。“酒池肉林”という言葉も、殷王朝の紂王の故事に由来する。
中国の戦国時代には、遊牧民が河北省で中山国を建国。その王墓の青銅器からは、液状で残った2300年あまりも前の酒が見つかっている。
三国志で知られる曹操は、故郷である亳州の酒造技術をまとめ、西暦196年に“九醞春酒法”という名の醸造法を皇帝に献上した。
ところで、酒は醸造酒と蒸留酒に大別される。日本で“紹興酒”と呼ばれる黄酒(ホワンジュウ)は、もち米などを原料とする醸造酒。一方、“茅台酒”に代表される白酒(バイジュウ)は、高粱などが原料の蒸留酒に該当する。
蒸留酒の製造方法は、13~14世紀の元王朝の時代に、アラブ人から中国に伝わったとみられる。白酒の歴史は醸造酒に比べて浅い。
茅台酒は販売価格が高いことで有名。中国での通販価格は、53度の“貴州飛天茅台”(500ml)で2999元(約6万円)だった。そのうえ、茅台酒は製造会社の株価も高い。2023年6月21日終値での時価総額は、上海市場で断トツ1位の約2兆1805億元(約43兆5100億円)。これは銀行最大手である中国工商銀行(ICBC)の約1.7倍、石油最大手である中国石油天然気(ペトロチャイナ)の約1.8倍、生保最大手である中国人寿保険(チャイナライフ)の約3.0倍に相当する。
銀行、石油、保険の最大手よりも、白酒メーカーの時価総額の方が大きいとは、なんとも奇妙に見える。同じ日の日本の時価総額トップは、トヨタ自動車の約35億円。茅台酒のメーカーは、時価総額が日本車の最大手メーカーをも超えるということになる。ちなみに、同じ日の茅台酒の終値は1735.83元(約3万4600円)であり、日本株と比べても、かなりの“値嵩株”と言える。
販売価格にしろ、時価総額にしろ、株価にしろ、なぜ茅台酒はこんなに高価なのか?その理由を製法から読み解こう。
茅台酒の麹は、小麦などを原料とし、水と種麹を加えて攪拌する。それを木箱に入れ、踏み固める。麹はレンガのような固体の状態で発酵する。麹の発酵温度は60度以上に達し、芳香を生む微生物が内部に蓄積される。
その麹を蒸した高粱に混ぜ、地面で円錐形に堆積させる。この堆積物は高さが2メートルほどに達し、これが“もろみ”となる。その発酵温度も50~60度に達する。
円錐形に堆積した“もろみ”が香気を放つと、これを“窖池”と呼ばれる巨大な地面の穴に投入する。深さ3~4メートルもある窖池には、微生物が独特な生態系を形成しており、彼らが“もろみ”を発酵させる。
古い窖池は数百年の歴史があり、銘酒の生産に欠かせない。窖池の“もろみ”は発酵によって、小山のように膨張する。
窖池の“もろみ”に対しては、原料の投入と蒸留が繰り返される。原料の投入は計9回で、3回目からは“もろみ”の一部を蒸留し、“原酒”を抽出する工程が加わる。つまり、原酒の抽出は、計7回ということになる。
抽出の時期や段階が異なる原酒を混ぜ、味を調整し、こうして茅台酒が完成する。全工程が完了するには、5年近くの歳月を要する。
高温発酵と長期熟成にこだわる茅台酒は、貴州省茅台鎮の風土と職人技が生み出す伝統的バイオテクノロジーの傑作だ。希少性も高い。この酒が高価な理由はそこにある。