講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
日本国内を旅行では、各地の“地ビール”(クラフトビール)が楽しみの一つだったりする。中国では“青島ビール”が有名だが、日本と同じくローカルな地ビールが数多くあり、美味いかどうかは別として、味は多様だ。
中国を旅行する機会があれば、各地の地ビールを味見すると、楽しいだろう。味はともなく、話のネタが増えること請け合いだ。
しかし、アルコールが苦手の人には、そうした楽しみがない。そこで、お勧めなのが、中国の“地コーラ”(クラフトコーラ)だ。
コーラと聞いて、多くの日本人が連想するのは、“コカ・コーラ”と“ペプシコーラ”の二種類だけかも知れない。
だが、日本にも多くの地コーラがあり、東京では18年に誕生した“伊良コーラ”が有名。筆者の故郷である福岡県田川郡川崎町では、向山(むかやま)食堂という1世紀半を超える老舗食堂が、オレンジ色の手作りコーラを期間限定で販売し、県内のローカルテレビ放送などで話題となった。中国で修業した六代目の向山皓紀さんが考案したという。
中国のコーラの歴史は意外と長く、地コーラの種類も、日本を大きく超える。コカ・コーラは1886年に米国で誕生し、その輸入品が上海租界にも出回るようになったという。
コカ・コーラが正式に中国市場に参入したのは1927年。英領香港の老舗ドラッグストア“屈臣氏”(ワトソンズ)が、上海にコカ・コーラのボトリング工場を開設し、中国市場に進出した。コカ・コーラの中国名は “可口可楽”。「口にすべし、楽しむべし」という意味であり、その中国語の発音も“クーコウクーラー”と、英語の響きに近い。
上海のボトリング工場は、米国域外で最大規模に発展。中国本土が共産化されるまで、売れ行きは好調だったという。
1979年に米中両国の国交が正常化すると、コカ・コーラは中国市場への復帰を決定した。1981年に北京市などのボトリング工場が稼働。1988年には上海市で濃縮原液の工場が操業を始めた。
米国文化を象徴するコカ・コーラのテレビ広告は、1986年に中国中央電視台(CCTV)でも流れ、人々は新時代の到来を実感した。
すると、中国各地に地コーラが誕生した。1970年代末に上海市では“幸福可楽”が登場。英語名は“ハッピー・コーラ”と思いきや、なぜか“ラッキー・コーラ”だった。
1980年代に重慶市で誕生した“天府可楽”は、中国市場で75%のシェアを獲得したことがある。1990年代には“非常可楽”が登場。英語名は“フューチャー・コーラ”だが、米国では“チャイナ・コーラ”の名で知られる。