記事・コラム 2023.04.20

中国よもやま話

【第6回】“いままで”と“これから”~EV投資をめぐる視点の違い

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

中国は世界最大の電気自動車(EV)市場に成長した。国際エネルギー機関(IEA)の統計によると、世界の年間EV販売台数は2021年に657万台に達し、10年前の134倍となった。うち中国での販売台数は352万台で、世界全体の53.5%を占めた。

温室効果ガス排出を全体としてゼロとする脱炭素社会の実現に向け、今後も世界的にガソリン車からEVへの移行が続くだろう。

その他の国の年間EV販売台数シェアを見ると、21年は2位のドイツが11%、3位の米国が10%で、日本は0.7%に過ぎない。

“メイド・イン・ジャパン”は家庭用電気製品で力を失い、いまも優位性を保っているのは自動車だが、それも危うい状況だ。

8輪駆動EVのエリーカ
(エコカーフェア 2006 in おおさか)

日本のEVが世界をリードする可能性は、20年前なら確かに存在した。慶應義塾大学の清水浩・教授が04年に開発した“エリーカ”は8輪駆動のEVで、最高時速は370㎞に達した。このエリーカが無音で高速走行する姿は、04年10月2日放送のNHKスペシャルで紹介された。その高性能ぶりに、多くの視聴者がEV時代の到来を予感しただろう。

エリーカにとって最大のボトルネックはバッテリーだった。そこで清水教授が向かったのが、中国の広東省深圳市。携帯電話用リチウムイオン電池メーカーのBYDを訪問した。その様子も番組で紹介された。

清水教授が披露したエリーカの走行シーンを見たBYDの幹部たちは、あまりの高性能ぶりに驚愕し、唖然とするほかなかった。

一方の清水教授は、不安な表情でBYDの幹部たちを見つめていた。おそらく中国企業への不信感があったからだと思われる。

BYDは前年の03年1月にEV製造に向けた第一歩として、小さな自動車メーカーを買収していた。ただ、当時は誰もがEV時代の到来に半信半疑だった。

しかし、エリーカの姿を見て、BYDの幹部は新時代が迫っていることを確信したのだろう。即座に清水教授に提携を申し出た。だが、清水教授はあっさりと断ってしまった。

BYDは05年に初の自社ブランド車を発売。しかし、これはガソリン車であり、性能や外観も外国車に見劣りした。しかし、BYDはEVへの道を諦めなかった。

ウォーレン・バフェット氏とBYDの王伝福・主席

清水教授は“BYDのいままで”を気にしたが、世界的に有名な投資家のウォーレン・バフェットは、“BYDのこれから”に注目した。

バフェットは08年9月にBYDへ2.3億米ドルの出資を決定。BYDは電池メーカーだった強みを生かし、車載バッテリーやパワー半導体も自社で手掛ける“骨太なEVメーカー”に成長した。世界最大のEV市場に発展を遂げた中国でBYDは最大手となり、ついに22年7月には日本進出を発表した。


BYDのスーパーEV“仰望U9”
停止状態から2秒で時速100㎞に達する加速性能

一方、BYDを驚かせたエリーカは、市販化できず、“宝の持ち腐れ”に終わった。もし、あの時にBYDと清水教授が手を組んでいたら、日本のEV市場は、今とは違った姿になっていたかもしれない。いまの日本に必要なのは、“いままで”ばかりに拘らず、“これから”を正しく評価できる力ではないだろうか?