記事・コラム 2025.02.05

中国よもやま話

【第49回】民衆と権力を動かすチベット仏教~モンゴル人への影響力は今も健在

講師 千原 靖弘

内藤証券投資調査部

1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい

モンゴル人の大多数は、チベット仏教を信仰している。このチベット高原の宗教は、古代から遥か遠方のモンゴル高原に強い影響力を及ぼし、それは現代も続いている。

チベット仏教の「歓喜仏」(ヤブユム)
文殊菩薩(慈悲)と般若波羅密多(知恵)の結合を表現
13世紀の絵画

チベット仏教は民衆に説く「顕教」とインドで発展した「密教」で構成される。密教とは秘密の教義であり、僧の間で伝授される。

密教はインド仏教と異教の摩擦から生まれた。ヒンドゥー教に対抗するため、呪術やセクシャルな要素さえ取り込み、理論化した。

チベット仏教も密教の要素を継承。例えば、「慈悲の方便」を表す男性の仏が、「空の般若(知恵)」を示す女性の伴侶と交わるチベット仏教の「歓喜仏」(ヤブユム)は、「無上瑜伽タントラ」という教義を表現している。

チベット仏教は世俗の権力者と結びつくことで発展した。7世紀に「吐蕃王朝」がチベットを統一すると、その国教となった。吐蕃王朝が9世紀に崩壊すると、各宗派の教団が各地の領主と結びつき、抗争を繰り広げた。

13世紀にモンゴル帝国がチベットに侵攻すると、講和交渉に当たったチベット仏教のサキャ派がモンゴル軍に気に入られ、その武力を後ろ盾にチベットを支配。さらに、モンゴル帝国の第5代ハーンのクビライは、サキャ派のパスパ座主を「帝師」とした。モンゴル人はチベット仏教に帰依し、軍事力を持つ「施主」として、霊的指導者の高僧を崇めた。

モンゴル帝国が崩壊すると、サキャ派は後ろ盾を失い、チベットに乱世が再来。菩薩や如来の化身である高僧が転生する「化身ラマ制度」が広まり、宗派間の抗争が激化した。

チベット仏教に傾倒したアルタン・ハーン
これを機にチベット仏教がモンゴルに広まった
ダライ・ラマ4世はアルタン・ハーンの曽孫

16世紀にチベット仏教は明王朝に接近し、第11代皇帝の正徳帝が傾倒。淫楽の離宮に美女を集め、そこに高僧も招いたという。

モンゴル人の指導者も信仰心に篤かった。アルタン・ハーンは16世紀後半に最大宗派のゲルク派の座主と面会し、「ダライ・ラマ」の称号を贈った。17世紀にはグシ・ハーンがチベットを平定し、中心地をダライ・ラマ5世に寄進。「ガンデンポタン」呼ばれるダライ・ラマ政権が誕生した。清王朝の皇室は、チベット仏教を信奉しつつも、チベット人やモンゴル人への影響力を警戒。世俗権力や教団の恣意的な化身ラマ擁立を防止するため、転生者の認定を抽選方式に一本化した。

1911年末に外蒙古の「大モンゴル国」が独立すると、チベット出身の化身ラマ「ジェプツンダンパ8世」が、「ボグド・ハーン」(聖なる皇帝)として即位。その求心力は絶大であり、ソビエト連邦がモンゴルに介入しても、彼を廃位することは不可能だった。

ジェプツンダンパ10世となる予定の少年(左)
10世はワシントンDCで生まれたモンゴル系米国人
父はモンゴルの大学教授で、母は元国会議員
祖父はモンゴルの財閥創業者
ジェプツンダンパ10世としての教育が始まっている

ジェプツンダンパ8世が崩御すると、「彼の転生は終了した」と、モンゴル政府は民衆に説き、社会主義化を進めた。だが、ダライ・ラマ政権は1990年に9世転生者の存在を公開。モンゴル政府は警戒したが、民衆は9世転生者を熱望。彼はモンゴル国の最高宗教指導者に就任したが、2012年に死去した。すると、ダライ・ラマ政権は2023年にモンゴル系米国人の10世転生者を披露。中国政府がダライ・ラマ政権と対立する背景には、こうしたチベット仏教の歴史と影響力がある。