講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
モンゴル国(モンゴル・オルス)の前身である「モンゴル人民共和国」は、世界で2番目の社会主義国であり、1991年まで70年近くソビエト連邦の衛星国だった。
一方、中国の内モンゴル自治区(内モンゴル)は、中華人民共和国が誕生する前の1947年に発足し、社会主義国の一部となった。
遊牧民族の社会主義化は、カール・マルクスの理論や予想を超越した現実だった。
これら「二つのモンゴル」は、同じ社会主義の道を歩んだが、その有り様は別物だった。
モンゴル国のモンゴル人は、ハルハ部という大部族が中心であり、文化は比較的均質。公用語のモンゴル語もハルハ方言を標準とし、ソ連の影響でロシア語と同じキリル文字で表記する。外国人が学習するモンゴル語は、キリル文字のハルハ方言が一般的だ。
一方、内モンゴルは漢民族が人口の8割を占め、モンゴル人は2割。しかし、モンゴル人の数は、モンゴル国よりも内モンゴルの方が、はるかに多い。内モンゴルのモンゴル人は、チャハル部やオルドス部などの諸部族からなり、文化も多様。公用語は中国語のほか、チャハル方言を標準とするモンゴル語。表記には伝統のモンゴル文字(フドゥム)を使う。
ハルハ方言とチャハル方言は差が小さく、互いに意思疎通可能だが、文字の違いから、文章によるコミュニケーションは難しい。
キリル文字が普及しているモンゴル国だが、2025年までにモンゴル文字を全面復活させる方針だ。しかし、モンゴル文字は縦書きしかできず、キリル文字との併記や情報機器への対応が大問題。作業は難航している。
一方、内モンゴルは漢民族が大多数の社会であり、モンゴル語を話せないモンゴル人もいる。モンゴル人と漢民族の夫婦の子では、進学などの優遇政策を目的に、「モンゴル族」として戸籍登録することが多いが、そうした家庭では中国語で会話するのが一般的だ。
モンゴル人と言えば遊牧民を連想するが、現代では本場のモンゴル国でも人口の1割ほど。二つのモンゴルの経済は、いずれも工業とサービス業が中心だ。ただ、経済の格差は大きく、2022年の名目GDP(国内・域内総生産)は、内モンゴルがモンゴル国の約20倍で、1人あたりGDPでも約2.9倍だった。
中国は1978年の改革開放政策で経済の市場化が進展。内モンゴルは資源採掘や工業への投資を背景に、2000年代に全国一の高成長を遂げた。一方、モンゴル国は1991年のソ連崩壊まで計画経済の社会主義国だった。
1992年にモンゴル人民革命党の一党独裁と社会主義を放棄し、市場経済化を進めたが、急激な物価高騰や失業率の上昇に見舞われ、貧富の差も拡大した。モンゴル国の経済は銅、石炭、金など豊富な鉱物資源に依存。海外の景気や商品相場に翻弄される。また、資源依存は産業の発展を遅らせる「資源の呪い」や放漫財政、政治腐敗の温床という指摘もある。
こうした歴史を背景に、二つのモンゴルは血統や文化の相違と経済格差から、時には互いに「ロシアの属国」「中国の属領」と反目。実は同族意識や連帯感が薄かったりする。