今年のお盆休みはベトナム旅行、特にハロン湾ツアーをメインに行ってきた。
ハロン湾(ベトナム語:Vịnh Hạ Long / 泳下龍)は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾である。日本の漢字表記は下龍湾。クアンニン省のハロン市の南に位置し、ハイフォン市カットハイ県に属するカットバー島のほか、石灰岩のカルスト地形からなる大小3,000もの奇岩、島々が存在する場所だ。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、竜の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。カットバー島以外の島々は、現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、モンゴル帝国のベトナム侵攻の際には軍事的に利用された場所でもある(Wikipediaより)。
COVID-19が猛威を振るうようになる以前は、日頃の臨床を離れてお盆休みに短い海外旅行をするのが楽しみの一つだった。ご承知のように夏と冬にpeakを迎える新型コロナウイルス感染症のパターンがあるために、感染を避ける意味で三密になる海外旅行に行くことを、私は医療に従事する者として避けていた。感染してクリニックを休むようでは患者に迷惑をかける。2018年のタイ旅行、2019年のクルーズ船航海以来実に5年の歳月が過ぎていた。
パンデミックサーベイランス
感染当初から、患者に「このコロナはいつまで続くのでしょうか?」と聞かれて、私は「まあ3年から5年くらいはかかるでしょう」と答えるのが常だった。
2009年春にメキシコから始まったブタ由来の新型インフルエンザ、パンデミック(H1N1)2009は、日本で季節性インフルエンザとして終息宣言が出される2011年まで2年を要した。
古くは、大正7年(1918)に始まったいわゆる「スペイン風邪」といわれたインフルエンザのパンデミックは、何回か消長を繰り返し、1921年に終息した。この詳細を記録した内務省の公文書が残されている。「流行性感冒:スペイン風邪大流行の記録(内務省衛生局 編)」がそれだ。
日本医大でマクロライドの少量長期投与療法を開発した工藤翔二先生が、この本を大変褒めて紹介した文書があったので、私も取り寄せてみた。工藤先生の紹介の文書通り素晴らしい記録で、日本のみならず海外にまで局員を派遣して情報を得るなど、積極的な情報収集活動を行っていた記載がある。
内務省といっても、今の我々にはあまり馴染みのない省庁名でピンとこない。これについては、ブリタニカ国際大百科事典(小項目事典)が以下のように解説している。
「1873年 11月 10日警察および地方行政の監督。ならびに国民生活全般の事項を統轄するために設けられた行政機関。初代内務卿大久保利通の考えを反映し、発足当初から国民生活に関する強度の監視を課題としており、単なる行政事務の枠にとどまるものではなかった。 85年内閣制度発足に伴い機構改革がはかられ、官房と総務、県治、警保、土木、地理、戸籍、社寺、衛生、会計の9局を統合する中央集権制の中核的国家機関として確立された。北海道庁長官、各府県知事を監督し、内務省警保局、警視庁、府県警察部を通じて言論、集会、結社を取締り、選挙運動、社会運動、労働運動などに干渉や弾圧を加えるなど、地方制度および国民生活全般にわたって強力な統制を行なった。第2次世界大戦後、地方自治確立の要請と、中央集権制度の中枢的存在であったとの理由から、1947年 12月 31日廃省になった」
こうした強力な監視機構、情報収集能力の高い官庁であったことを背景に、この本の内容は非常に詳細多岐にわたっている。この報告書が書かれた背景には、警察官も含めたコミュニティ単位の積極的サーベイランスと防疫活動がある。当時、警察国家としての日本は、北朝鮮やロシア、その他の独裁主義国家が国民を監視、管理するのと同じように、内務省が統制していたから出来たことだといえばそれまでだが、自由主義国家としての現在の日本にあっても、実施する事の出来る叡智と行動力を、大正時代というタイムトンネルの向こうから学ぶことは可能だろう。
進歩した現代社会と思われている日本で、COVID-19感染症の初期に数少ない保健所職員だけに頼って、とんでもない事態に陥ったのはついこの間のことだ。
先人の知恵と努力
この本の緒言には以下のような著述があり、パンデミックの状況をいかに冷静に、しかも網羅すべきものを網羅し、その時点で最善を尽くし、不知であった物は次の時代の精神に手渡すべくその記録を捧げる、という大きな志を感じる。
「全世界を風靡したる流行性感冒は大正七年秋季以来本邦に波及し爾来大正十年の春季に亘り継続的に三回の流行を来し総計約二千三百八十余万人の患者と約三十八万八千余人の死者を出し疫学上稀に見るの惨状を呈したり。
当局は毎次の流行に対し常に学術上の知見と防疫上の経験とに鑑み最善の施設を行ひ之が予防に努め或は防疫官を海外に派遣して欧米に於ける本病予防上に関する施設の実況を視察せしめ又特に職員を置き専ら予防方法の調査に従事せしめ一面又学者及実地家の意見を徴する等本病予防上荷も遺漏なからんことを期したり。
惟ふに本病の予防方法は尚今後に於ける学術的研究に待つの要あるべしと雖今流行の際に於ける施設は又以て今後の参考資料と為すに足るものあるべきを信ず。
大正十年十二月内務省衛生局」
この本を世に出すために、平凡社の東洋文庫編集部直井裕二氏を通じて力を尽くした西村秀一氏(国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルス疾患研究室長。1955年山形県生まれ。専門は呼吸器系ウイルス感染症、特にインフルエンザ。呼吸器系ウイルス感染症研究の日本における中心人物のひとり。1984年山形大学医学部医学科卒業。医学博士。同大細菌学教室助手を経て、1994年4月から米National Research Councilのフェローとして、米国ジョージア州アトランタにあるCDCのインフルエンザ部門で研究に従事。1996年12月に帰国後、国立感染症研究所ウイルス一部主任研究官を経て、2000年4月より現職)が、本書の最後でこう解説している。
当時、衛生局は組織上内務省におかれており、同じく内務管轄する警察署との協力関係があったようである。各地で警察官吏が防疫活動に携わっていたようすが書かれてある。さらに当時の新聞を見ると、駐在所の巡査が所轄地区の流行状況について頻繁に町の警察本部に電話あるいは電報連絡をしていたことがわかるが、これは現代で言えば、特定の感染症に絞って監視を行う、症候群サーベイランスというやり方に相当する。
内務省衛生局長から地方長官(東京は警視総監とあり、たぶん地方の警察署長のことかと思われる)に対してさまざまなことを要請し、また命令として報告を求めている。流行の極期には毎日書面報告が求められ、電報でできるだけリアルタイムに情報をとりまとめるシステムが張り巡らされており、それらをまとめたものがこの本の統計資料のもとになったと思われる。統計表にあるひとつひとつの数字も、それを得るためにどれだけ現場の努力があったかを思うと、決して無味なものではなくなる。現代であれば定めし特定の医療機関からの電子的情報収集といったところだろうが、ひとりの巡査の守備範囲と報告頻度から考えれば、そうしたものよりも、あの時代のサーベイランスのほうがずっときめ細かかったかもしれない。
グローバルな視点
コロナウィルス流行のさなか、海外の医療・医学的状況はほとんど入ってこなかった。TVは閑散としたロンドンの街並みや、中国の閉鎖された都市の映像を映すばかりで、医師が知りたい信頼し得る学術的、免疫学的、ウィルス学的、疫学的情報は、自分でinternetを探さなければならなかった。外国のメディアは、日本のメディアに比べて、科学的な情報を逸早く、大量に流していた。BBC、ABC、CNN、Washington postなどがそのソースだった。それに加えて、ドイツの大学病院シャリテのウイルス学研究所クリスティアン・ドロステン所長が配信するポドキャストを翻訳したものは大変に参考になった(毎回素晴らしい翻訳を付けて配信して下さった武市知子さんには感謝に堪えない)。
ポドキャストの翻訳を印刷してファイル
2020年のこの頃、日本の科学者が欧米に派遣されて、各国の関係者と密に情報交換をし、その結果を日本国民にタイムリーに情報を提供するといったことがやられたかどうか、寡聞にして知ることはなかった。
この報告書を見ると、当時の政府は逸早く各国に防疫官を派遣し、一部はそこに留まって情報収集に努めるといった至極当たり前のストラテジーを展開していた。国内の学者を集めて毎日毎日会議で明け暮れるという現代日本の悪夢のような状況は、大正時代には考えられなかったのではないだろうか。
フランスの状況と予防法のノウハウ
各国の状況、予防措置など、かなり詳細に記載がある。最初に記載されているのはフランスのもので、次がスイス、イギリス、イタリア、アメリカ、ドイツ、その他各国となり、フランスとアメリカの項にはかなりのページを割いて微に入り細に入り書き込まれている。フランスが最初という順番の理由は分からないが、内容を見るとessentialなものをまず最初に挙げたということかも知れない。第一次世界大戦の最中でもあり、軍事的な要素も加味されているのだろう。当時のスペイン風邪が軍隊内で流行したことも理由だろう。内容の一部を抜粋してここに提示させて頂きたい。
第二節 予防措置
第一項 各国に於ける予防措置
一、仏蘭西
一九一八年(大正七年)八月十日陸軍衛生局は布告を発し、全国各地に「グリップ」の流行あり、殊に軍隊に於て肺合併症のため重症者多きを示し、気管支肋膜肺炎患者は之を細菌学的に検査し其の成績を速に報告すべく、又患者発生の状況をも詳報すべしと命じたり。既に重症の「インフルエンザ」が発生し初めたるを知るべし。
(中略)
予防法としては、(一)床を隔つること、(ニ)特別室を設くること、(三)重症、軽症、恢復者を分つこと、鼻口の消毒、(四)同型の患者の集合すること、已むなければ衝立、幕類にて隔つること、(五)重症者の隔離の消毒は特に注意すること 、(六)アメリカ式に従ひ、看護人、医師は「マスク」をかくること。
陸軍衛生局は同九月十三日更に布告を発して、「インフルエンザ」予防には絶対の隔離を根本方策となし、但し細菌学的論拠なきに於ては之を実施すること困難にして殊に本病の如く、病毒汎く、散漫し、伝染急激なるものにありては其の実効を挙ぐること困難なるを説明し、次の三条を注意せり。(一)軍医は軽症患者を有する部隊より診察を始むること、(ニ)発熱者を速に知ること、(三)外来診察室の設備をよくすること。
同十月十八日布告に於ては、外出者を厳重に検査することを命ぜり。
Académie de Medicine にては陸軍省の委託により、 Chantfard, Netter, Vincent, Achard, Bezan-çon 等を挙げて調査委員となし、十月十五日の例会に於て予防に関する報告をなさしめたり。其の要点を挙ぐれば、「インフルエンザ」は非常に感染し易き特殊の急性伝染病にして、潜伏期短く、罹病後には一定の免疫を生ず。肺合併症は二次的感染によるものならんか、合併症も伝染す。感染は人より人に行はる。密集、換気の不良は之を助く。故に之を予防せんには(一)患者との接触を避け、鼻口を消毒し、電車の消毒を行ふ(ニ)患者を隔離す。殊に単純患者と合併症あるものとを別々に収容す。「マスク」の励行(三)病院は訪問を禁ず(四)患者長途の運搬を禁じ、車内の温度に注意す。
これを読むと、パンデミックの当初はスペイン風邪であっても、コロナであっても、ストラテジーとしては同じだといえそうだ。100年後の日本がどれだけ進歩したのか、あるいは変わらないのか、我々は過去に視点を置きながら、未来を臨んでいかなければならない。令和のシステムは大正時代のシテスムに比べて劣っているのではないか。今回のパンデミックを内省しながら、この本から学べることは多そうだ。
1) 100年前のパンデミック-“スペイン風邪”の記録(TBアーカイブだより2021年5月): https://jata.or.jp/rit/rj/398-22.pdf
2) 新型インフルエンザ(A/H1N1)の季節性インフルエンザへの移行について(厚労省): https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000179p0.html
3) 流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録(内務省衛生局 編), 東洋文庫778, 平凡社, 2020年.