講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
香港の面積は札幌市と同程度にすぎないが、域内の“街並み景観”は多様だ。
英領香港の土地は、“王領植民地”(クラウン・コロニー)と中国からの租借地に分かれていた。王領植民地は香港島と九龍地区。租借地は“ニューテリトリー”(新界)と呼ばれ、現在では総面積の約88%を占めている。
王領植民地と租借地では土地制度が異なり、それが街並み景観に影響を及ぼした。
1898年に租借地となった新界は、香港政庁が統治するようになったが、そこはあくまでも、清王朝の土地だった。このため清王朝の慣習に合わせて統治することになり、当初から新界に住んでいた住民に特殊な権利が与えられ、それを満18歳に達した男系子孫(男丁)が継承し続けた。男丁が受け継ぐことから、こうした特殊な権利は“丁権”と呼ばれ、その継承者を“新界原居民”という。
新界原居民は“丁権”に基づき、生涯に一度だけ、三階建てまでの住宅を建てる権利を有する。この権利を行使して建てられた新界の住宅は“丁屋”と呼ばれる。新界には多くの丁屋があり、それが香港島や九龍地区とは異なる街並み景観を生み出している。
丁屋には最高8.22メートル、各階の面積は最大65平米という制限がある。しかし、この規制に違反する丁屋も多く、折に触れて問題となる。
丁権は新界原居民だけが継承可能であり、他の香港市民にない特権だ。香港返還後も丁権は保証され、不公平感を残す課題となっている。また、丁権の継承者が男系子孫に限られるため、性差別という問題にもなっている。
丁屋のほかに新界で目立つのが“ニュータウン”(新市鎮)だ。戦後の英領香港には、中国本土からの難民が流入。難民は空き地などを見つけては、木造のバラック小屋を建設した。九龍地区の石硤尾にはバラック小屋の集落があったが、そこで1953年のクリスマスに大火災が発生。6万人近くが住処を失った。
それまでの香港政庁は、中華系市民の住宅問題に、ほぼ無関心だったが、この大火災を契機に、公営住宅の建設に本腰を入れた。1971年に着任したクロフォード・マレー・マクレホース総督は、10年内に180万人に住宅を提供する計画を推進。公営住宅の建設を加速すると同時に、新界でのニュータウン建設を始めた。新界の屯門や沙田などにみられる高層住宅群が、そうしたニュータウンだ。
新界は亜熱帯の森や山に囲まれ、自然豊かな地域だ。緑地の隙間にニュータウンの高層住宅が林立し、山腹などには丁屋が点在する。
一方、王領植民地だった九龍地区は平地であり、繁華街は派手な看板にあふれ、いかにも香港らしい。面積は香港全体の約4%だが、人口は約三割に達し、過密化が進んでいる。
最初に王領植民地となった香港島は、面積が香港全体の約7%で、人口は約二割。市街地は沿海地域に集中する。ビクトリアピークを中心とした涼しい山地は、自然が豊かで、街の喧騒からも遠く、昔は英国人が住む高級住宅地だった。新界、九龍、香港島の街並み景観の違いには、こうした歴史的背景がある。