講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
現在は主に中国西部の新疆ウイグル自治区に定住するウイグル人だが、9世紀まではモンゴル高原に帝国を築いたテュルク系の遊牧民族であり、人種はモンゴロイドだった。
755年に中国の唐王朝で「安史の乱」が勃発すると、ウイグル帝国は現在の新疆ウイグル自治区に属するジュンガル盆地やタリム盆地に進出。ウイグル帝国が内乱で崩壊すると、ウイグル人はモンゴル高原を去り、タリム盆地や現在の甘粛省などに王国を築いた。これにより、ウイグル人の定住民化が進んだ。
ウイグル人の新天地には、印欧諸語の言語を話すコーカソイド人種のトハラ人やソグド人が住んでいた。彼らと混血した結果、ウイグル人のコーカソイド化が進んだ。ウイグル人の独特な容貌は、こうして生まれた。
さらに、中央アジアで9世紀にテュルク系の遊牧民が、イスラム教を信奉するカラハン王朝を建国し、ウイグル人の諸王国へ侵攻。これを機に、もともとマニ教などを信奉していたウイグル人がムスリム化した。
その後のウイグル人は、契丹族やモンゴル族などの支配を受ける。17~18世紀には“最後の遊牧帝国”と呼ばれるモンゴル系のジュンガル帝国に支配される。ジュンガル帝国は18世紀半ばに中国の清王朝によって滅亡。ウイグル人が暮らす土地は、新しい領土という意味の「新疆」と呼ばれるようになった。
ウイグル人は長期にわたり自らの国家を持たず、その民族意識も19世紀には希薄となっていた。こうしたなか、ユーラシア大陸に広がるテュルク系諸民族の統合を目指す「汎テュルク主義」が台頭すると、ウイグル人の知識層で民族意識が覚醒した。
1912年に清王朝が滅亡し、中華民国が誕生すると、新疆ではウイグル人の独立機運が高揚。一部のウイグル人は1933年に新疆西部で東トルキスタン・イスラム共和国を建国したが、翌年に軍閥の侵攻を受けて瓦解した。
しかし、独立運動の火は消えず、1944年にはソビエト連邦(ソ連)の支援を受けた東トルキスタン共和国が、新疆北西部に誕生。だが、ソ連と中華民国の交渉により、この新国家も1946年に崩壊した。1949年に中華人民共和国が建国されると、中国人民解放軍は中国国民党が残存する新疆に侵攻。新疆全域が中華人民共和国の統治下に入り、1955年に新疆ウイグル自治区が発足した。
新疆ウイグル自治区では民族主義や独立運動などを背景としたテロ事件や騒乱がたびたび発生。海外では亡命ウイグル人の組織が、東トルキスタン独立運動を継続している。
海外の亡命ウイグル人の組織は分散していたが、2004年4月にドイツのミュンヘンでウイグル人の民族自決を標榜する「世界ウイグル会議」が発足。同年9月には米国ワシントンに「東トルキスタン共和国亡命政府」が誕生し、独立運動を強化している。
これら組織の政治宣伝を大義名分に、人権重視の西側諸国は中国を制裁。だが、その影響を受けるは、故郷で働く大多数のウイグル人だ。彼らの人権を守るという制裁が、彼らの生活を奪うことになって欲しくない。