講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
日本でウイグル人の姿を目にした人は、きっと少ないだろう。一方、中国駐在の経験がある日本人などは、中国の街角で彼らを見かけ、強い印象を持ったのではないかと思う。
ウイグル人のステレオタイプな容貌は、鼻筋が高く、髪や眼の色も“東アジア人”と異なる。中国の街角で彼らの姿は、人目を惹く。
2022年2月4日に挙行された北京冬季五輪の開会式では、聖火リレーの最終走者となった男女ペアのうち、女性がウイグル人だった。彼女はクロスカントリースキーの選手で、名はディルニガル・イルハムジャン(中国語:迪妮格爾・衣拉木江)。ただ、その顔をみると、東アジア人とあまり変わらず、上記のようなステレオタイプの容貌と異なる。
ウイグル人は西洋のコーカソイド人種と東洋のモンゴロイド人種の両方に遺伝的ルーツを持つ。同じウイグル人であっても、顔立ちが漢民族とかなり違う人もいれば、大差ない人もいる。ウイグル人という民族は、人種的変容のスペクトラム(連続体)でもある。
民族の人種が変化するのは、人類史において割と起きる現象だ。例えば、ブルガリア人、ハンガリー人(マジャル人)、トルコ人などは「コーカソイド化したモンゴロイド」だ。
彼らは東洋から西洋への民族移動によって混血が進み、人種的変容を遂げた。しかし、モンゴロイドだった時の痕跡は残り、ハンガリー人のマジャル語は、アジアに起源をもつウラル語族に属す。彼らの名前は、姓が前で、名が後であり、これも東洋的だ。
トルコ人のトルコ語も同じく祖先から受け継いだ言葉であり、モンゴル高原付近にルーツを持つテュルク諸語に属す。
一方、ブルガリア人は本来、テュルク諸語に属す言語を使っていたが、スラブ人との混血が進んだ結果、現在は印欧諸語の南スラブ語群に属すブルガリア語を話している。
では、人種的変容にバラツキがあるウイグル人はどうなのだろう?彼らが話すウイグル語は、テュルク諸語に属し、言語的ルーツはモンゴル高原にあった。755年に中国の唐王朝で「安史の乱」が勃発すると、モンゴル高原に帝国を築いていたウイグル人は、古くから“西域”と呼ばれたタリム盆地周辺に進出。これを機に人種的変容が進んだ。
タリム盆地を中心とした西域の事情は、紀元前156年に即位した漢王朝の武帝の時代に、中国でも知られるようになった。
この地域は「西域三十六国」と呼ばれ、多様な民族が、多くの都市国家を築き、シルクロード交易を担っていた。ここにはソグド人やトカラ人など、印欧諸語の言葉を話すコーカソイド人種もいた。
新疆ウイグル自治区の楼蘭付近で1980年に発掘された女性のミイラは、“楼蘭の美女”と異名で知られる。この約3800年前に埋葬された女性の容貌は、コーカソイド人種だった。彼女のほかにも、タリム盆地では多くのミイラが発掘されているが、その多くがコーカソイド人種の特徴を持つ。
こうした人々とモンゴル高原の遊牧民が融合し、現代ウイグル人の容貌が生まれた。