講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
チベット自治区は広大だ。面積は日本の約3倍に相当し、中国の8分の1を占める。だが、人口は2021年末で360万人ほど。日本の横浜市と同程度であり、中国の0.3%にすぎない。1㎢の人口密度は3人を下回り、日本の100分の1未満。人跡まばらな土地だ。
人口が少ない原因は、脆弱な食料生産。平均海抜4000メートル以上の過酷な土地では農地が限られ、食料生産は遊牧に依存。余剰生産が乏しく、非食料生産者を養うのは困難。この人間に厳しい環境が、人口増加を妨げる。
また、余剰生産が少ないことから、資本の蓄積が進まず、有望な産業が勃興しなかった。
こうした自然環境による制約を背景に、チベット自治区の域内総生産(GDP)は、22年も省別で全国最下位にあり、1位の広東省の1.7%にすぎない。自治区政府の財政規模も全国最下位であり、中央政府に大きく依存する。中央政府からの交付金は、22年も自治区の歳入の67%を占めた。
産業の育成と経済的な自立は、チベット自治区の大きな課題だ。貧困は社会不安の大きな要因であり、そうした配慮からも、人々の生活水準向上に向けた政策を推進している。
だが、人材の確保は難しい。中国では15歳以上の非識字者率が、21年は全国で3.2%であり、首都の北京では0.8%だった。一方、チベット自治区の非識字率は34.3%。つまり、3人に1人は読み書きができない。男女差も大きく、男性は26.7%だが、女性は42.7%に達する。中国でも突出した高さだ。
それゆえ、人材育成に向けた教育が必要だが、厳しい自然環境と人々の生活様式から、学校に子どもを集めるのも容易ではない。そこで、寄宿舎学校を整備しているが、西側諸国は“チベット民族を漢民族に同化させる政策”と非難する。チベットの人々を守りたい気持ちからの中国批判かも知れないが、それは教育の権利や機会を奪うことにつながる。
チベット自治区では、こうした制約から域内での内発的な産業育成が難しい。そこで、域外からの投資を誘致することで、外発的な産業育成を目指す政策も推進している。
チベット自治区は投資誘致を目的に、08年に税優遇政策を導入。産業別に優遇期間を定め、法人税などを減免した。2010年代に入ると、税優遇に魅かれた多くの上場企業が、会社登記地だけをチベット自治区に移した。
また、意外かも知れないが、チベット自治区の区都ラサ市(拉薩市)にある東方財富証券の営業店は、22年まで5年連続で顧客の証券取引額が中国1位。この会社はラサ市に複数の営業店があり、それらの取引額も全国屈指。投資家に“拉薩天団”と呼ばれる。
本社が上海市にある東方財富証券は、金融情報サイトの運営会社が、法人税率が低いラサ市の証券会社を買収して15年に発足。個人顧客をラサ市の営業店に集中登録した結果、取引額が中国トップとなったわけだ。
地球上で最も“ヘブン”(天国)に近いチベット自治区は、今や中国の“タックス・ヘイブン”(租税回避地)。現地の経済や雇用への恩恵は少なく、“ヘブン”への道程はなお遠い。