記事・コラム 2017.03.01

高原剛一郎の専門家しか知らない中東情勢 裏のウラ

【第十二回】混迷する中東情勢の行方 サバイバル国家イスラエルに学べ

講師 高原 剛一郎

大阪ヘブル研究所

1960年名古屋出身。大阪教育大学教育学部卒業後、商社にて10年間営業マンとして勤務。
現在では大阪ヘブル研究所主任研究員として活動。イスラエル、中国を中心とした独自の情報収集に基づく講演は、財界でも注目を浴び、外交評論家としても知られている。

弱肉強食の国際社会

澄んだ小川のほとりで子羊が喉の渇きを癒していた。そこに空腹で苛立つ狼がやってきて、子羊に文句をつけた。
「お前はどういう了見で、俺の大切な飲み水を濁らせたのか」
「そんな滅相もございません。私が水飲んでいるのはあなた様よりも20歩も川下でございます」
「いや、確かに水は濁っている。それにお前は去年、俺の悪口をさんざん言い触らしていたそうだな」
「とんでもございません。私は今年になって生まれた子羊です。昨年はこの世におりませんでした」
「では、俺の悪口を言ったのはきっとお前の兄弟に違いない」
「いえいえ、私は一人っ子の長男で、私の他に兄弟は一匹もおりません」
「俺に口答えするのか。とにかくお前ら羊は、俺たち狼のことが大嫌いなんだろう。羊だけではない。羊飼いも、番犬も、お前の仲間はみんな俺のことが大嫌いなのだ。俺は今までその屈辱に耐えてきた。だから名誉を挽回するために、正当な権利として仇をとらなくちゃいけない」と言うやいなや、狼は子羊に飛びかかって平らげた。

ラ・フォンテーヌの寓話の一節である。タイトルは「強い者の言う事は常に正しい」だ。
欲望にたぎる強国に向かって、倫理やモラルを筋道立てて説いても無駄である。はじめから聴く耳は持たないからだ。獲物を喰らうことしか考えていない。これらの大国が信奉してるのは力の論理だけである。今の世界の中で、大国と言えるのは米国、中国、ロシアである。ただし、米国に飢餓感はない。飢えたる大国は、中国とロシアである。

イスラム国を駆逐する米露連合

中東で、力の論理を冷徹に推し進めているのはロシアのプーチン大統領である。
今やシリアのアサド政権は、ロシアの圧倒的軍事力によって国内最大の安定勢力である。
プーチン大統領は、中途半端なことはしない。少しでも弱いところ見せたが最後、混乱はかえってひどくなることを心得ているからだ。だからシリア国内のイスラム国討伐に手段を選ばない。ロシア軍の残酷さは、イスラム国と似たり寄ったりである。だからこそイスラム国は、次々と主要拠点を手放している。シリアから追われたイスラム国勢力は、イラクに逃げ込むことになる。イスラム国の幹部たちは、もともとイラクのサダム・フセイン大統領の部下たちであったからだ。これから主戦場はイラクになる。
トランプ大統領は、ロシアとともにイスラム国討伐に臨むだろう。今までアメリカが支援してきた反アサド勢力への支援も打ち切ることだろう。

トランプ政権の中東戦略

1.ロシアが後押しするアサド政権の存続を認める。アサドは、実に残虐な独裁者である。自国民に化学兵器を使った点で、サダムフセインと同じである。体制維持のために、今なお無慈悲な殺戮を続けている。だが彼は、イスラム原理主義過激派ではない。狂信的なイスラム世界を広げる意図はない。彼は、アラブ社会主義無神論の2代目独裁者にすぎない。父の代から過去4度にわたってイスラエルと戦争し、イスラエルの軍事的実力を熟知している。その結果、アサドはイスラエルがゴラン高原を実質支配する現状を嫌々ながらも認めている。もしアサド政権が倒れたら、彼に代わってシリアを支配する権力者は誰になるのだろう。少なくとも、イスラム原理主義過激派の組織がシリアを支配するよりも、現状維持を望むアサドの方がはるかにマシなのだ。アサドは悪である。しかしイスラム国やアルカイダ系の原理主義組織は、極悪なのだ。アサドはイスラエルにとって味方ではないが、好ましい敵にはなりうるのだ。だからこそ、トランプ政権はロシアが後押しするアサド政権の存続を認める方向に舵を切ることになろう。

2.アメリカ大使館のエルサレムへの移転は当面行わない。トランプ大統領は、選挙キャンペーン中、大統領に当選したらアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すと公約した。しかしこれは、実際に実行にうつされることは当面ない。なぜならイスラエルがそれを望んでいないからである。
アメリカ大使館のための土地は、既にイスラエル政府が用意している。というのは95年にアメリカ議会は、駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転する法案を可決しているからだ。だが3人の歴代大統領は、安全保障上の影響を懸念して大使館移転法を保留とする大統領令を発してきた。ここへきて、トランプ大統領がこの問題を公約として持ち出したが、はっきり言ってイスラエルにとってはありがた迷惑な話なのでる。イスラエル人にとってエルサレムが自国の首都であると言う事実は自明の理である。だが今、ことさらにエルサレム問題で中東世界をかき回すことは、イスラエルの国益にならない。
今のアラブ世界で最大の危機は、イスラム教シーア派大国イランの強大化だ。イランはロシアといっしょになって、シリアにまで足場を築き上げた。イランからシリア、レバノンまで中東世界にシーア派ベルト地帯を作り上げつつあるのだ。サウジアラビアをはじめとするイスラム教スンニ派アラブ諸国は、イランに対抗するために地下でイスラエルと接近している。イランという強力な敵国の存在が、イスラエルとアラブ諸国を結び合わせているのだ。これは、かつて考えられない変化である。だが、ここでエルサレム問題に火がつけばどうだろう。イランは、ここぞとばかりに反撃に出るだろう。スンニ派とシーア派共通の宿敵として、イスラエルにジハードをしかけてくるに違いない。これでは得るものよりも失うものの方が大きくなる。だからイスラエルは大使館移転を望んでいないのだ。

3.トランプ大統領の中東政策は、イスラエルが良いと思う政策への全面的支持である。中東諸国の中で、最初にトランプ大統領と会見したのは、イスラエルのネタニヤフ首相だ。
共同記者会見で、トランプはイスラエルとパレスチナとの2国家共存案にこだわらないとの考えを表明した。「2国家でも1国家でも、両者が望む方を私は望む。イスラエルとパレスチナが1番いいと思うもので結構だ」
トランプ政権が、イスラエルを全面支援する理由については、1月号に紹介した。それに一つ付け加えるなら、イスラエルが地域の中で確固たる存在感を発揮していることだ。小国でありながら、力だけがものをいう世界で、自分の安全保障を確立しているからだ。アメリカに依存するだけの国ではなく、アメリカの世界戦略に利益をもたらす潜在能力を身につけているからだ。つきあってメリットを期待できる国であることが、イスラエルの安全保障を一層確かなものにしているのだ。トランプ政権は、このような自国ファーストの民主国家を好む。

日本も早急に、自国の安全保障を強化する必要がある。何と言っても日本のすぐ隣には、いいがかりをつけるのが上手い猛獣がいるのだから。