記事・コラム 2011.01.05

スーパードクター特別講義

消化器外科の未来について 第1回

講師 高橋 慶一

がん・感染症センター都立駒込病院

1957年に神奈川県横須賀市で生まれる。
1984年に山形大学を卒業する。
東京都立駒込病院(現 がん・感染症センター都立駒込病院)での研修を
経て、東京都立駒込病院外科に勤務する。
2009年にがん・感染症センター都立駒込病院大腸外科部長に就任する。

外科医を目指す

―― 医師を目指したきっかけをお聞かせください。

高橋 一番のきっかけは父が胃潰瘍の手術を受けたことです。将来は何か人のためになるような職業に就きたいと考えていたときに、たまたま父親が手術を受けたのですが、かなり痛そうに見えました。でもその後、良くなっていくのを見て、医師はこういう形で病気から回復する患者さんに携われる職業なのだと思いました。当時は子どもに何かを教えるのは未来があるようでいいなという気持ちから、教師にも憧れていたのですが、人間を知りたいということと父の病気といった経験がうまくマッチして、医師を目指しました。

―― 外科というのは早くから決めていらっしゃったのですか。

高橋 はい。ポリクリの際に内科的な考え方は私には難しいと感じ、体を動かせる科だということで外科に進もうと決めました。ただ消化器外科に進もうとは具体的に決めていなかったです。卒業の段階でも迷っていました。実を言うと、がんをあまりやりたくなかったのです。今から30年以上前ですから、がんの告知は良くないものであり、どちらかと言うと暗いイメージがありました。それよりは良性疾患を治すことで、患者さんと関わりたかったんです。

―― でも、がんの専門施設である駒込病院にいらしたのですね。

高橋 私は山形大学医学部の6期生でした。一都道府県に一医学部を新設するという政策のもとでできた医学部で、私が入学したときに初めて6学年が揃ったんです。新しい学部ですから学閥もあり、大学の医局に残ればその中でのレールがある程度あります。当時の研修制度はセミローテートかローテートでしたし、最初の研修はきちんとしたシステムのある、良い病院で行いたいと思い、外の病院に出る形を選択しました。それで、いくつかの試験を受けたのですが、駒込病院しか受からなかったんです(笑)。

―― そうだったのですね。

高橋 第一志望は消化器外科だけでなく、脳神経外科や心臓血管外科にも手術の上手な先生がいらした病院でしたが、地方の大学からはなかなか入れなかったですね。都立駒込病院は試験のときに、試験官から「来るのか、来ないのか」と聞かれたので、「分からないです」と答えてしまい、喧嘩になりました(笑)。それでもすぐに合格通知をいただけました。私は地方にいたこともあり、この病院ががん治療で有名だとは知らなかったので、最初は抵抗していました。今の病院名は「がん・感染症センター 都立駒込病院」ですが、当時は「東京都立駒込病院」でしたし、医事新報などで病院情報と試験日を見ただけで、どんな病院なのかは分かりませんでした。ただ、大きな病院なので、そこまでおかしなことはないだろうと思い、採用していただいたご縁もあり、こちらにお世話になることに決めました。

―― 研修当初はいかがでしたか。

高橋 かなりショックでしたね。救急や良性疾患もしたかったのに、ここはほとんどががんの患者さんですから、研修1年目の半年ほど、「手術はいいけど、私が考えていた研修とは違う」と思っていた時期がありました。

―― その気持ちをどう克服されたのですか。

高橋 当時は3年間の研修でしたので、その間に基本的な手術手技や考え方をしっかり勉強できればいいと思っていました。最初の2、3年は手術をさせていただければ、それで良かったといいますか、それだけで精一杯になっていました。そこから少しずつ余裕が出てきて、がんの患者さんに対してどうやって向かい合っていくかという考え方に変わっていきました。手術というのはあくまで一つの治療手段だということが分かったんです。それで、私にはどの程度のものができるのかを挑戦しようというところで3年の研修が終わり、引き続き病院に残る形でそのまま30数年、今に至ります。

―― 3年の研修では外科以外も回られたのですか。

高橋 内科も回っていましたし、産婦人科も小児科も回っていました。今のスーパーローテ-トに近いセミローテ-トという形です。内科は全部を回ってはいませんが、多くの科を回りました。臨床研修制度必修化のかなり前から研修をしている病院だったので、研修のレベルは非常に高かったと思いますね。病院の特徴から言うと、救急あるいは良性疾患などの研修は少し物足りない部分がありました。ただ、外科医としてがんを診るとなると、全身管理から手術の細かい手技が必要ですので、その基本を学びました。上司からは「基本ができていれば救急の外科的な手術は何とでもなる、逆に最初から応用問題を出されても基礎がないとできないのだ」と教わりました。当然、とても古い手術も学びました。その頃は腹腔鏡もないので、手を動かして全てのことをしていくのは非常に面白い分野だと強く感じました。