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記事・コラム 2026.05.12

プロフェッショナルインタビュー

第1回「『情熱大陸』とその後」千葉西総合病院 院長  三角和雄

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!

どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
情熱大陸

今回は【千葉西総合病院 院長】の三角和雄 先生のインタビューです!
テーマは 第1回「『情熱大陸』のその後」をお話しいただきます。

プロフィール

名前
三角(みすみ) 和雄(かずお)
病院名
千葉西総合病院
所属
院長
資格
  • 米国内科学会専門医正会員
  • 米国心臓病学会専門医正会員
  • 日本内科学会専門医評議員
  • 日本循環器学会専門医日本循環器学会専門医
  • 日本心血管インターベンション治療学会心血管カテーテル治療専門医・施設代表医
  • 日本冠疾患学会評議員
  • 日本老年病学会専門医
  • 米国カリフォルニア州・ハワイ州医師免許など
経歴
  • 1957年大阪府大阪市で生まれる。
  • 1982年東京医科歯科大学(現 東京科学大学)を卒業、長尾優学術奨励賞(金時計)授与、すぐに東京医科歯科大学第三内科(現 東京科学大学循環器内科)に入局し、東京医科歯科大学医学部附属病院 (現 東京科学大学病院)に勤務する。
  • 1983年横浜南共済病院に勤務する。
  • 1984年東京医科歯科大学医学部附属病院に勤務する。
  • 1985年イリノイ大学医学部シカゴ校に心臓血管病理の研究留学をする。
    その後、ニューヨーク医科大学リンカーン・メディカル&メンタルヘルスセンター内科レジデント、カリフォルニア大学ディヴィス校神経内科レジデント、ピッツバーグ大学メディカルセンター内科レジデント、カリフォルニア大学アーヴァイン校心臓内科クリニカル・フェローとして、研修を行う。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)グッド・サマリタン病院心臓内科で2年半のクリニカル・フェロー研修を行う。
  • 1996年ハワイ大学医学部内科(循環器部門)臨床系助教授に就任する。
  • 1998年千葉西総合病院に心臓センター長、研修委員長として着任する。
  • 2000年千葉西総合病院副院長に就任する。
  • 2003年~2017年東京医科歯科大学(現 東京科学大学)臨床教授を兼任する。
  • 2004年千葉西総合病院病院長に就任する。
  • 2017年~2020年東京医科歯科大学(現 東京科学大学)特命教授を兼任する。

─ 2025年1月19日の「情熱大陸」に登場されました。患者さんがさらに増えたのではありませんか。

テレビには30回以上、出ていますので、もちろん出れば出たなりに患者さんは増えますよ。これまで一番インパクトが強かったのが「これが世界のスーパードクター」という番組でした。「カンブリア宮殿」や「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」も関心を呼びましたが、やはり「これが世界のスーパードクター」でしたね。これの「5」と「6」に出たのですが、大きな反響がありました。

─ 「情熱大陸」ではカテーテルスタジオの様子がインパクトありました。あのスタジオは先生のご設計なんですね。

アメリカにいたときにあちこちの部屋を移動して治療していたんです。当時の私はまだ指導する立場ではなかったのですが、もし将来、指導する立場になったら、こういうスタジオがあると便利だろうなあと自分なりに考えていたわけです。あるとき、アメリカの田舎のほうにある大学病院に見学に行ったときに、規模はかなり小さかったものの、一つの司令室の周りに4つのカテーテル室があり、司令室からカテーテル室を見渡せる設計になっていたのを見て、これはいいなと思いました。でもカテーテル室が4つでは話にならないので、少なくともその1.5倍から2倍の部屋数が欲しいということで、設計を始めました。アニメの「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長の指令室をモデルにしています。設計にあたっては司令塔からの自分の目線を上のほうにして見やすくするなど、色々な使い勝手を考慮していきました。

─ カテーテル室は何室あるのですか。

最初は6室でしたが、色々な治療を始めたので、6室では全く足りなくなり、9室に増やし、2026年には10室になります。不整脈のカテーテル治療をする医師、弁を治療する医師が増えましたし、カテーテルも心臓以外の脳神経外科などでも行っていることで、6室では足りなくなったんです。それで10室になるのですが、これは明らかに日本で最多の規模でしょう。私は治療状況を指令室のモニターで確認し、全ての治療に目を配っていますし、私に相談したい場合は各部屋からコールが来ますので、無線やモニターで指示を送っています。そしてカテーテルスタジオで治療するのは心臓の血管だけではありません。脳内の血管内治療は脳神経外科で行いますが、循環器科では下肢の動脈や頸動脈など、脳以外の全ての血管を治療対象としています。心臓だけ治療しても脚や首の血管が詰まって脳梗塞になって歩けないのであれば生活の質が保てないからです。

─ 「情熱大陸」ではお子様方に「国語が大切だ」とおっしゃっていたシーンも印象に残りました。

私はガチガチの理系ですが、当時の国立大学では現代国語の試験が必ずありました。現代国語はとても大事です。例えば数学の答案を書くにあたっても、算数ぐらいでしたら数字を書けばいいのですが、大学受験の数学の証明問題では国語力がないと答案が書けません。世界史の記述問題にしても同様です。私はずっと国語が大事だと思っていましたが、意外なことに国語はなおざりにされており、国語が苦手な人はずっと苦手なんです。やはり小さい頃から本を読み、語彙を増やしていかなくてはいけません。小学校の算数はある程度の学力があれば皆ができるようになりますが、国語はそういうわけにはいかないんですね。特に漢字は小さい頃からやっておかないと、あとから「覚えろ」と言われても英単語も覚えないといけないですし、難しいです。それで子どもにはとにかく本を読んで、漢字を覚えるようにと言っています。平仮名だけの日本語はないですし、漢字を使ってきちんとした文章を書くことが学問の基本です。街を歩いていても平仮名だけの世界ではありません。「お~いお茶」も「茶」は漢字ですし、病院の名前も漢字です。漢字が分からなかったら、日本語は分からないんですよ。

─ 国語が大切だとおっしゃった理由がよく分かりました。

でも私は古文が嫌いでした。これが古文が受験科目になかった東京医科歯科大学(現 東京科学大学)を受験した理由でもあります。漢文は得意でしたが、古文は嫌でしたね。「源氏物語」などで女のもとに男が通って、夜明けに帰っていくときに和歌を詠んだり、「会えなくて悲しい」みたいな世界観が性に合わなくて嫌いでした(笑)。もともと日本史が好きでしたが、高校のときの世界史の先生がとてもいい先生だったので、世界史も好きになりました。それから物理と化学も好きでしたし、数学IIIも好きでした。それで大学受験のときに東京大学も考えたのですが、学力の問題もあったのかもしれませんが、東大には古文があったし、一次試験の社会科も2科目が必要だと分かり、とても無理だと思いました(笑)。それで、ほかの大学を見てみると、医科歯科は世界史指定でしたし、得意の物理、化学と数学IIIで35%の配点だと知り、これは有利だと受験を決めました。当時は医学部の定員が全国で2800人しかなく、現役で入ろうとすると学校行事や学校の定期試験もこなさざるを得ず大変でした。本当は大阪大学に行きたかったのですが、受験1カ月前に右目が見えなくなったんです。2つの眼科に行きましたが、眼底出血しており、原因は不明でした。片目では試験問題も読みづらく、計算のスピードも落ちて、受験に失敗しました。でも「人間万事塞翁が馬」です。あのまま大阪大学に行っていたら海外留学することもなかっただろうし、今の立場はないでしょう。一期校(今でいう前期日程)の大阪大学の受験後、二期校(後期日程)の医科歯科を受験し、医科歯科に進学したことは運命だったんですよ。

医師を目指す

─ 小さい頃は医師よりも総理大臣を目指しておられたとご著書で拝見しました。

子ども子どもしていた子どもでしたので、総理大臣が偉い人だろうと思っていたんです。その当時の総理大臣は佐藤栄作さんでした。岸信介さんの弟さんで、安倍晋三さんの大叔父さんでもあります。そういう総理大臣をテレビなどで見て、「偉い人なんだな。どうせなら偉くなりたいな」と考えていた程度でした。

─ それでは医師を目指されたきっかけはどのようなものでしたか。

小学2年生のときにリウマチ熱になったことがきっかけです。父の旧制中学の同級生が小児科医で、近所に小児科医院を開業しており、ベッドもある医院でしたので、そこに入院したんですよ。高熱と腸炎のために、最初はおかゆしか食べられませんでした。治ったら食べたいなと思うものをリストにして紙に書き、楽しみにしていたことを覚えています。そういう辛い経験をしたので、お医者さんの仕事はいいなと考えるようになったのが一つです。もう一つは2人の祖父です。父方の祖父が小学校高学年のときに、母方の祖父が中学1年生のときにそれぞれ亡くなりました。2人ともがんでした。医師になりたいという気持ちは小学校4年生のときに固まってはいましたが、2人の祖父をがんで亡くしたことで、最終的に医師を目指すことになりました。そのときは診療科はまでは決めておらず、まずは「お医者さんになろう」と決めました。

─ 東京医科歯科大学を選ばれたのは先ほどの理由ですね。

そうですね。阪大に行けるぐらいの成績はありましたし、医科歯科は倍率が54倍でしたので、難しいと言われていました。私も通るとは思っていなかったです。ただ54倍と言っても欠席者もいますから、実際の倍率は下がります。私は物理も化学も満点だったことは分かっていましたし、世界史も1つしか間違わず、数学もほぼ満点だったので、これで落ちたらそれも自分の実力だから、それでいいと言っていたんです。私立大学には合格していましたが、そこに行くつもりもなく、1年浪人するつもりで予備校の面接に行きました。面接後に帰宅してドアを開けたら、母が「どうする」と言うんですよ。「どうするって、何が」「だから、どうするの」「どうするって、何や」「通ってるねん」「えっ。ほんま?補欠?」「補欠じゃない。正規や」という会話のあとで、「通ってるなら、これも縁だから、そこに行くわ」と決めました。全部、巡り合わせなんですよ。そのときに医科歯科に行っていなかったら、こうはなっていないし、第三内科にも入っていないし、留学もしていないでしょう。自分で言うのは恐縮ですが、カテーテルの仕事もこれだけできていなかったでしょうし、当院にコロナ病棟もできなかったでしょう。当院は全国で初めてコロナ病棟を作ったんです。これも全て神様が決めたことだと思っています。

─ 循環器を専攻しようと思われたのはどうしてですか。

小学生のときにリウマチ熱にかかったことがきっかけで医師を目指したこともあり、最初は小児科志望だったんです。それで医学部6年生の夏休みにフィラデルフィア小児病院に実習に行きました。そこに小児循環器カテーテル治療の世界的権威であるウィリアム・ラシュキンド教授がいらっしゃいました。私は受験英語は得意でしたが、英会話はそこまで得意ではなかったにもかかわらず、ラシュキンド教授はそういう極東から来た一学生でも平等に扱って下さいました。カルテをポンと1冊渡され、「今から45分やるから、あそこの患者さんを診察して、所見を書いて、ディスカッションしよう。じゃあな」と言われました。「じゃあなと言われたって、どうするんだ」と戸惑いましたが、仕方がないので、患者さんの名前を呼びました。そうすると外国人の男の子が来ましたが、その子に加え、兄弟2人とご両親も来ました。どうしようかと焦りましたが、向こうは私を医師だと思っていますし、こうなったら腹をくくってやるしかないと、コホンと偉そうに咳払いして始めたんです(笑)。そしてラシュキンド教授とのディスカッション後にカテーテル室に呼ばれ、プロテクターをつけるように言われました。ただ手洗いはしていなかったので、後ろで見学することになりました。その患者さんはわざわざヨーロッパから来た人で、先天性心疾患の特殊な治療を受け、ラシュキンド教授はまだ医学生だった私に丁寧に説明してくれました。人間の身体を傷つけることなく治せるのはいいな、面白いなと思いながら帰国しました。

─ 医学生時代にそういう経験があったのですね。

私は成績が良かったこともあり、帰国後は色々な医局からリクルートの声がかかりました。「うちだとドラフト1位だよ」みたいな、プロ野球の世界のような感じです。でも私が選んだのは第三内科でした。ドラフト会議で何十人も指名するような球団ではなく、ドラフト会議に参加すらしていないような球団に入るようなものですよ(笑)。第三内科を選んだのはクリーブランドに留学経験のある先生がいらして、「君の性格は日本には合わないから、アメリカがいいんじゃない。アメリカに行くならウチはいいよ。ガチガチに縛られないから、アメリカに行くといって医局を抜けても誰も文句を言わない」と言われたからです。「日本に合わない」というのは誉められた気がしませんでしたが、たしかにそうだなとも思えましたし、アメリカに行くという目標もできました。

─ 当時は医局に入るのが当たり前だったんですよね。

今のような臨床研修制度がないので、一部の特殊なことをやりたいと思っていた人は徳洲会や沖縄県立中部病院のような病院で研修していましたが、同級生の95、6%は医局に入っていました。当時、医科歯科の内科の看板は第一内科や第二内科で、特に第二内科にはベストセラーになった『内科診断学』を書かれた武内重五郎教授がおられ、大きな医局でした。しかし第三内科は人気がなくて、小さい医局だったんですね。医局員も関連病院も少なかったです。第三内科では循環器と糖尿病をメインにしながら、消化器も少し扱っており、循環器の主な疾患は動脈硬化でした。私は1年目は大学病院、2年目は横浜南共済病院で研修し、3年目に大学病院に帰ってきました。医局に入る前に先輩が「簡単に留学させてくれる医局」と言っていたのは本当で、簡単に行かせてくれました(笑)。