話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
プロフェッショナル 仕事の流儀、NHKスペシャル
今回のゲストは、奈良県立医科大学病院の「笠原 敬」先生です!
テーマは 第3回「日本のことを知ってから留学することには意味があるということです。」をお話しいただきます。
プロフィール

名 前 | 笠原(かさはら) 敬(けい) |
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病院名 | 奈良県立医科大学病院 |
所 属 | 感染症内科 |
資 格 |
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経 歴 |
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奈良県立医科大学病院 笠原 敬 教授 インタビュー
ー笠原先生が感染症内科に進まれたのはどのような経緯だったのですか。
大学院に入ったのが2001年4月なのですが、ちょうど青木眞先生の『レジデントのための感染症診療マニュアル』が出版されたり、アメリカで感染症の研修をされた岩田健太郎先生、五味晴美先生、大曲貴夫先生たちとメーリングリストを作ったりして、そういう情報が非常に手に入りやすくなってきたんです。
私は2002年ぐらいからそういう先生方とメーリングリストを通じて情報交換を始めたことがきっかけで、臨床感染症に興味を持つようになりました。当時は大学病院にいてもまともな臨床ができるようにならない、天理よろづ相談所病院や聖路加国際病院、虎の門病院のような有名な市中病院に行かないとまともな臨床医になれないというような雰囲気がありましたが、私は大学院で肺炎球菌の研究やマウスでの動物実験
をしていました。青木先生や岩田先生はそういう基礎実験をあまりされていなかったので、奈良医大のような大学病院でも感染症を専門とする医師のキャリアの作り方はあるのではないかと思っていました。感染症には基礎研究という意味では2001年ぐらいから、臨床感染症という意味では2003年ぐらいから関わっています。

ー笠原先生は感染症に携わる中で、どのようなことをされたかったのですか。
私は日本の医療従事者や医療体制、さらに言えば大学病院の医療体制やあり方と、アメリカ流の臨床留学をされた方々との医療の架け橋になりたいなとずっと思っていました。日本では「どうせ、あいつはアメリカ帰りだから」「アメリカかぶれしている」というような見方と、「大学病院のような閉鎖的な環境でぬくぬくと育っている人たち」
、というような見方に二極化されていました。そのようなこともあり、日本にいてもまともな臨床感染症の研修はできないと言われていたんです。特に学会ではアメリカ帰りの人たちを拒む傾向があったように思うので、そこを繋げられるといいなと考えていました。
ー臨床留学のお話も出てきましたが、先生も留学されましたよね。
私は割と早い段階から英語に興味があり、中学、高校では英語の先生に個人で教えてもらっていました。その先生には大変お世話になりました。その頃は英語の先生になりたいと言っていたのですが、その先生からは「英語の先生にはなるものじゃない。英語は使ってなんぼだ」と言われていたので、英語を使えるような形にするのがその先生への恩返しだとずっと考えていました。それで大学時代も英語の教科書を使って、勉強を続けていました。
だから将来は絶対に留学したいと思っていました。
でも、奈良医大の第二内科には留学している先輩がほとんどおられず、コネもなければ、紹介してくれる人もいませんでした。それでも留学を諦めきれなかったところ、ある研究会で中浜力先生にお会いし、「留学したいんですけど、コネもないし、困っているんです」と伝えると、中浜先生が留学されていたペンシルベニア大学のエーデルシュタイン先生のところに繋いでくださったという経緯で留学することになりました。

ー留学の期限などは決めていたのですか。
まずは当時の感染症センターの三笠教授に相談をしたのですが、「お前は留学したほうが後々いいと思うし、そういう話があるのなら行ったらどうや」と言ってくださいました。期限は「とりあえず1年間」と言われたので、1年という形で行きました。
ー留学中にもっと長く学びたいという気持ちはありましたか。
その当時、エーデルシュタイン先生も定年が近く、留学当初も「自分の研究室は規模を縮小しているけれども、それでもいいか」みたいな感じでしたので、その時点では1年で帰ろうということにしました。
ー留学されてみて、良かったことはどのようなことですか。
感染症領域に特化した話になるんですが、臨床微生物検査といって、痰や尿を取って、どんな菌がいるのかを調べたりするような検査があるんです。もちろん日本でもその検査をしています。私が留学したのは医師10年目ぐらいの2009年だったので、留学するタイミングとしては少し遅めでした。ただ、そのお蔭で、日本での感染症の診療や微生物検査がどのように行われているのかを知っていたんです。
でも日本でしていること以外のことは知らなかったので、日本の検査技師さんのスキルや経験はすごいなと思っていました。臨床微生物検査は数値で出たりするようなものではないので、検査技師さんのスキル、キャリア、知識、経験によって、「この菌はこれ」というのが違い、あの人は分かるけれども、あの人は分からないというようなケースが結構あります。私はそういうものだと思っていましたが、アメリカではかなり標準化されており、検査のマニュアルもしっかり決まっていました。
検査体制がシステマティックだったんですね。それで、そういうことは日本はやはりおかしいのだと考えられるようになりました。
その後、日本に帰国し、微生物検査で色々な仕事ができるようになったきっかけの一つかもしれません。留学には臨床留学や研究留学など、様々なスタイルがあり、留学するタイミングの早さ、遅さもありますが、その点に関して、私の経験から言えることは日本である程度のことを知っておかないと、留学先に行っても日本との違いも分からず、違和感にも気づかないので、日本のことを知ってから留学することには意味がある
ということです。
ー留学された1年はとても大きな収穫があったんですね。
カルチャーショックがありましたね。いまだにそこはアメリカには追いつけないなと思っていますし、キャリアにおいてのロールモデル的なものを見られたことはとても大きかったです。

ー今の日本にはアメリカに追いつくポテンシャルはありますか。
まだまだだと思います。そもそも関わっている人数や予算が違うので、アメリカのようになる、あるいはアメリカを追い越すのは難しいでしょう。それとは別に、日本は日本なりの方向性というのがあってもいいですね。アメリカの良さと日本の状況、日本の良さをうまく組み合わせて、日本でできることをやっていけばいいかなとは思っています。ただ、本当に大事なのはそういう現状を見たことがあるのとないのとでは全然違いますので、そこを見てきたことは良かったです。