話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。
【出演番組一部抜粋】
情熱大陸、いまからサイエンス、ReHacQ、など
今回は【京都大学大学院医学研究科 皮膚科学】の椛島健治 教授のインタビューです!
テーマは 第1回「医師を目指した原点と、世界へ踏み出した学生時代」をお話しいただきます。
地域の人々を昼夜問わず診療する開業医の姿を見て、「医師は人の役に立つ大切な仕事だ」と感じたことが、医師を目指す原点となった椛島健治先生。
京都大学入学後は、医学部3年生から研究室に出入りし、バックパッカーとして30数カ国を旅するなど、学生時代から自らの世界を広げてきました。
第1回では、医師を目指したきっかけから、臨床と研究の両方を志すようになった背景、そしてその後の海外研修へとつながった学生時代の経験について伺いました。
目次
プロフィール
- 名前
- 椛島(かばしま)健治(けんじ)
- 病院名
- 京都大学大学院医学研究科
- 所属
- 皮膚科学 教授
- 資格
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・日本皮膚科学会認定皮膚科専門医・指導医/同学会副理事長
・日本アレルギー学会専門医・指導医
・米国医師免許、医学博士
※役職・資格は2026年7月時点
- 経歴
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- 1970年 岐阜県に生まれ、福岡県北九州市で育つ。
- 1996年 京都大学医学部卒業。横須賀米海軍病院でインターン。
- 1997年 京都大学医学部附属病院皮膚科研修医。米国ワシントン大学医学部附属病院に臨床留学し、内科・皮膚科の研修に従事。
- 1999年 京都大学大学院医学研究科博士課程に入学。
- 2003年 京都大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。京都大学医学部附属病院皮膚科助手。
- 2003年 カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)医学部免疫学教室リサーチアソシエイト。
- 2005年 産業医科大学皮膚科助教授(現・准教授に相当)。
- 2008年 京都大学大学院医学研究科 創薬医学融合拠点准教授(皮膚科兼任)。
- 2010年 京都大学大学院医学研究科 皮膚科学准教授。
- 2015年 京都大学大学院医学研究科 皮膚科学教授。
- 2015年~シンガポールA*STAR/SRISに研究室を開設し、Principal Investigatorを兼任。
現在 京都大学大学院医学研究科 副研究科長 皮膚科学教授。
シンガポールNational Skin Centre Visiting Consultantを兼任。
─ 2025年9月28日の「情熱大陸」にご出演されましたが、どのような反響がありましたか。
放送後は患者さんやご家族、医療者、学生、研究者に加え、それまで皮膚科や医学研究にあまり接点のなかった方々からも想像していた以上に多くのお声をいただきました。「皮膚が人体最大の臓器で、免疫や神経、全身の状態と繋がっていることを初めて知った」「かゆみは単なる不快感ではなく、睡眠や学業、仕事を大きく損なう症状だと分かった」といった感想が特に印象に残っています。
研究や診療の場面だけでなく、走って通勤する姿やトレイルランニングへの反響も大きく、「本当にいつも走っているのですか」と尋ねられることも増えました(笑)。ただ、番組で紹介された仕事は私一人でできるものではありません。教室のスタッフ、国内外の共同研究者、企業の方々、そして研究や治験に協力してくださった患者さんの力があって初めて成り立っています。そのことも含め、臨床と研究が患者さんの未来に繋がっていく過程を多くの方に知っていただけたことをとても有り難く感じました。
若い方から「臨床医でありながら研究を続ける道に興味を持った」と言っていただけたことも嬉しい反響でした。医学は完成した知識を覚えるだけの世界ではなく、患者さんの前で生まれた疑問を次の医療へ繋げていく営みです。その面白さが少しでも伝わったのであれば、出演した意義があったと思います。
医師を目指す
─ 医師を目指したきっかけをお聞かせください。
私が長く育った北九州市小倉の郊外には町全体を支えるような開業医の先生が一人いらっしゃいました。昼夜を問わず地域の方を診療し、困ったときには皆がその先生を頼っていました。子どもながらに、その献身的な姿を見て「医師は人の役に立つ大切な仕事だ」と感じたことが最初のきっかけです。
その後、医学部を受験する頃には、医師は目の前の患者さんを診るだけでなく、病気の原因を解明し、新しい治療法や薬を生み出すこともできると知りました。臨床と研究の両方に関わり、今は治せない病気を将来は治せるようにしたい。漠然とではありますが、その頃から現在に繋がる志を持つようになりました。
─ 京都大学に入学されました。どのような学生時代をお過ごしでしたか。3年生の頃から研究室に出入りされていたとのことですが、そのときのこともお聞かせください。
京都大学の自由な学風に惹かれて入学しました。学生時代は医学の勉強だけに閉じこもるのではなく、本を読み、様々な人に会い、バックパッカーとして30数カ国を旅しました。海外に出ると、日本で当然だと思っていた常識が全く通じません。自分の前提を疑い、異なる価値観の中で考える経験はその後の海外研修や国際共同研究の土台になったと思います。
一方で、臨床と研究の両方をしたいなら、早く研究の作法を学ぶべきだと考え、医学部3年生のときから淀井淳司先生の研究室に出入りしました。そこではアレルギーに関わるIgE受容体をテーマに実験を経験しました。もちろん、学生がすぐに大きな成果を出せるわけではありません。実験が思うように進まないことも多く、研究の難しさを早い段階で知りました。
同時に、研究とは教科書の答えを覚えることではなく、自分で問いを立て、答えがあるかどうかも分からない問題に向き合うことだと学びました。患者さんを診て感じた「なぜ」を自分の手で確かめる。その感覚を学生時代に知ることができたのは、私のキャリアにとって非常に大きかったと思います。
─ 4年生のときに参加されたサマー・スチューデントについて、参加しようと思われたきっかけ、実際の内容、印象に残ったことなどをお聞かせください。
研究を始めたことで、海外の研究室では学生がどのように学び、どのように研究に参加しているのかを実際に見たいと思い、4年生のときに約3カ月半、米国のサマー・スチューデントに参加しました。NIH(米国国立衛生研究所)/FDAではイタリア人女性であるGiovanna Tosato (ジョヴァンナ・トサト)先生の研究室で実験に取り組み、その後、アイオワ大学で医学教育にも触れました。
NIH/FDAで最も印象に残ったのは結果だけでなく、学生が自分で考えたこと自体を大切にする指導です。実験結果を持っていくと、Tosato先生はまず「よく考えたね」「面白い」と評価し、そのうえで次の問いを一緒に考えてくださいました。若い人の可能性を引き出すには細部の誤りを指摘するだけでなく、考えたことを認め、大きな方向性を示すことが重要だと学びました。今の若手指導にもその経験が生きています。
アイオワ大学では模擬患者を用いた実習や症例をもとに治療方針を議論する実践的な授業に参加しました。同学年の学生たちの議論に全く歯が立たず、大きな衝撃を受けました。しかし、その悔しさが「将来、臨床医として働くなら、米国の臨床教育も経験してみたい」という次の目標に繋がり、帰国後すぐに米国医師国家試験であるUSMLEの準備を始めました。