記事・コラム 2023.08.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【2023年8月】「三つ子の魂」子どもたちのヒーロー

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

第74回

今年4月、PGAツアーのRBCヘリテージを制したのは、28歳の英国人選手、マシュー・フィッツパトリックだった。

フィッツパトリックと言えば、昨年の全米オープンで勝利を挙げたメジャー・チャンピオンだが、彼はメジャー大会ではなくレギュラー大会のRBCヘリテージで勝利したことを「子どものころから、このタイトルが一番欲しかったんだ」と、うれしそうに明かした。

RBCヘリテージの舞台は米サウス・カロライナ州ヒルトンヘッド・アイランドにあるハーバータウン・ゴルフリンクスだ。ハーバータウンは米国でも屈指の名門コースで、18番のフェアウェイ脇にそびえる赤と白の灯台は、ハーバータウンのシンボルとされている。

ふと見ると、フィッツパトリックのゴルフバッグに入れられていたドライバーには、その灯台をデザインした赤と白のヘッドカバーが被せられていた。

英国で生まれ育ったフィッツパトリックが、なぜ、そんなヘッドカバーをわざわざ被せて試合に臨むほど、その灯台に思い入れがあり、そこでの勝利を望んでいたのか。そこには、こんな秘話が隠されていた。

幼少時代からの夢

フィッツパトリックは英国シェフィールド出身だが、彼は6歳のころから毎年、両親と弟のアレックスと4人でヒルトンヘッドに家族旅行に訪れ、歴史の長いこの大会を観戦していたという。そして、彼は当時からこの大会で勝利を収める自身の姿を思い描いていたのだそうだ。

今年のRBCヘリテージ最終日を2位に1打差の単独首位で迎えたフィッツパトリックは、米国人のジョーダン・スピースに並ばれ、サドンデス・プレーオフへ突入。2人の一騎打ちは手に汗握る熱戦となった。

ハーバータウンに詰め掛けていた大観衆は、米国人のスター選手であるスピースを応援し、「USA!USA!」の大コールが起こった。英国人で「アウェイ」のフィッツパトリックは四面楚歌となったが、プレーオフ3ホール目でピン30センチに付ける快打を放つと、グッドショットをきちんと讃えるフェアな大観衆は沸き返った。

そして、30センチのバーディーパットを沈めたフィッツパトリックが「一番欲しかったタイトル」を、ついに手に入れた。

「子どものころ、父や弟と一緒にここでラウンドしながら、いつかここで優勝しようと誓い合った。僕は、あの灯台の下で勝ちたいと願い続けてきた」

フィッツパトリックにとって、ハーバータウンはプロゴルファーになって優勝する夢を最初に見た場所だった。自分にとってのゴルフの「原点」で勝利することができたフィッツパトリックは、感無量の様子だった。

授かった「財産」

日本には「三つ子の魂、百まで」というフレーズがあるが、その言葉が示す通り、フィッツパトリックは幼少時代に感じたこと、思い描いたものを大切に胸に抱き、その想いを糧にプロゴルファーになった。

そのせいなのかもしれない。フィッツパトリックはプロになったばかりのころから、いつも周囲の子どもたちに優しい視線を向けてきた。

米国のノースウエスタン大学へ留学中だった2013年に全米アマで優勝し、2014年にプロ転向したフィッツパトリックは、欧州のDPワールドツアーにデビュー。

早々に通算3勝を挙げた彼は、2017年に英国の地元シェフィールドの小児病院とアンバサダー契約を結び、高額な医療費を必要とする重病や難病の子どもたちのために寄付を募る活動の先頭に立つようになった。

2019年には、エキシビジョンマッチとして創設されたヒーロー・チャレンジで優勝し、その賞金をスコットランドの青少年ゴルファーのために寄付した。

昨年は、ゴルフ関連のマネジメントやサービスを提供するトゥルーン社と協力し合い、ウクライナの国旗になぞらえた青と黄色の特別仕様のゴルフバッグを携えて7月の全英オープンに臨んだ。

そして、その青と黄色のバッグを「見たら寄付をお願いします」と必死に呼びかけた。寄付してくれた方々には「僕からお礼の品々を詰めたスペシャル・パッケージを贈ります」というフォローも忘れなかった。

集まった寄付金の金額は明かされてはいないが、「戦争による被害、とりわけ人権侵害に苦しんでいる人々の支援に役立ててほしい」というフィッツパトリックの想いを込めて、寄付金の全額がウクライナに贈られた。

ディフェンディング・チャンピオンとして今年6月の全米オープンに挑む際は、彼と弟がお世話になった英国シェフィールドのタプトン・スクールという7年生から11年生までの中等教育の学校に、「強くたくましく生きていくために心を鍛えてほしい」という気持ちを込めて、メンタルを強化するトレーニングキットを贈呈した。

そして、「どんなバックグラウンドを持つ子どもにも、ゴルフに触れてほしいし、ゴルフを楽しんでほしい」と願い、ゴルフを始めるためのスターター・キットもプレゼントしたのだそうだ。

残念ながら、フィッツパトリックの全米オープン連覇はならなかったが、メジャー1勝を含むPGAツアー通算2勝、DPワールドツアー通算7勝を誇り、世界ランキングではトップ10入りを果たしている彼は、自分自身の幼少時代やジュニア時代の経験を「何よりの財産だ」と語り、その財産があったからこそ「今の僕がある」と思っている。

そして、その財産を授けてくれたゴルフ場や学校に感謝の意を表し、寄付をしたり、慰問したりしている。1人でも多くの子どもたちに、自分ならではの貴重な財産を手に入れてほしいと願っている。

そんなフィッツパトリックが活躍している姿を見るたびに、英国や世界の子どもたちは「彼のようなプロゴルファーになりたい」と憧れの念を強めていく。

まさに、フィッツパトリックは本物のスター、子どもたちのヒーローだ。