講師 舩越 園子
フリーライター
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。
在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。
アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
第83回
今年4月。「マスターズ前週の大会」として開催されたPGAツアーのバレロ・テキサス・オープンで、22歳の米国人選手、アクシャイ・バティアが、初日から最終日まで首位を守り通して完全優勝を収めた。
フィアンセや家族に囲まれ、勝利を喜んだバティアを、米メディアの多くは「オーガスタの申し子」と評した。
マスターズ前週までにPGAツアーの大会で優勝すれば、オーガスタ・ナショナルへの切符を手に入れることができる。マスターズ前週に開かれたこのバレロ・テキサス・オープンで勝利したバティアは、オーガスタ・ナショナルへのラスト1枚の切符をぎりぎりで手に入れ、夢にまで見たマスターズに出場することになった。
しかし、だからと言って、バティアが「オーガスタの申し子」と呼ばれたわけではなく、その背景には、10年、いやそれ以上の長い歳月を経たストーリーがあった。
10年前、初めてオーガスタへ
バティアの両親はインド出身だが、バティア自身は両親が米カリフォルニア州へ移住後にロサンゼルスで生まれたため、米国籍だ。
ゴルフのティーチングプロである父親の仕事上の都合で、バティア一家はすぐにノース・カロライナ州へ移り住み、バティアは幼少期をノース・カロライナ州のローリーというゴルフが盛んな街で過ごした。
父親の影響で、まず姉のラエがゴルフを始めると、弟バティアも姉の真似をしてゴルフクラブを振り始めた。めきめき腕を上げた姉と弟は、地元ジュニア大会を経て、州内のジュニア大会にも進出するようになった。
バティアが12歳だった2014年4月。マスターズ開幕直前の日曜日にオーガスタ・ナショナルで第1回ドライブ・チップ&パットが開催された。
この大会は、オーガスタ・ナショナルとUSGA(全米ゴルフ協会)を筆頭とするゴルフ団体が協力して創設したジュニアゴルファーのための新たな競技で、「飛距離(ドライブ)」「寄せ(チップ)」「パット」の3部門をポイント制で競い合うという形式だ。
全米、そして世界中から予選を勝ち抜いたファイナリストだけがオーガスタ・ナショナルの土を踏むことができるのだが、バティアはその1人として第1回ドライブ・チップ&パットに出場。「12歳~13歳の部」で、見事、6位になった。
「ファイナリストは全員、翌日はオーガスタでマスターズ出場選手たちの練習ラウンドを見学することができた。テレビでしか見たことがなかった選手たちが、すごいショットを打つ様子を目の前で見て興奮したけど、僕は子どもながらに、こうやって憧れの選手のショットやパットを間近に見学することは、子どもたちに夢を抱かせるのだなと強く思った」
10年後、再びオーガスタへ
ゴルフ大好き少年だったバティアは、幼少時代は学校へは行かず、家庭内で勉強する「ホーム・スクール・キッズ」だった。
母レニューいわく、「息子の学習能力はきわめて高かった」。両親の母国インドでは「子どもを大学へ進学させることこそが将来の成功につながると固く信じられている」とのこと。母レニューは息子が「どれほどゴルフに夢中であっても、大学にだけは行かせなければならない」と言い続けていたという。
しかし、当の本人は大学には進学せず、ハイスクール卒業後はすぐにプロ転向してツアーに出ることを望み、意見の相違が生まれたバティア一家では、数年間、「落ち着かない日々が続いた」そうだ。
母レニューは、なんとかして息子にプロゴルファーとして生きていくことを断念させ、大学へ進学させようと説得を試みたが、バティアは頑なに拒否し、2019年にプロ転向。
PGAツアーの下部ツアーであるコーンフェリーツアーに出始め、最初のうちは予選落ちが目立ったが、2022年にグレート・エグズマ・クラシックで、ついに初優勝。2023年からはPGAツアーへ昇格できる見込みが立つと、ようやく母レニューは「私の考え方が間違っていた。息子はゴルフの道を進むべき」と態度を変え、それからはバティアの最大の応援者になったのだそうだ。
「アメリカでは夢を追いかけることができて、夢を実現することもできる。私はそれを息子から教わりました」
2023年からPGAツアーにデビューしたバティアは、同年7月にバラクーダ選手権で初優勝を挙げた。しかし、その大会は全英オープンと同週開催で、優勝しても翌年のマスターズ出場資格は得られなかった。
それゆえ、今年4月、バレロ・テキサス・オープンで挙げた通算2勝目が、マスターズ初出場の夢が叶った忘れがたき瞬間となった。
12歳でドライブ・チップ&パットのファイナリストとしてオーガスタの土を踏み、それから10年後の今年、マスターズ出場選手となって再びオーガスタの土を踏むことになった。だからこそ米メディアは、彼のことを「オーガスタの申し子」と名付けたのだ。
母国のゴルフのために
ドライブ・チップ&パットを筆頭に、米国のジュニアゴルフ教育に助けられ、「PGAツアーや下部ツアーがアメリカにあったおかげで夢を叶えることができた」と感謝しているバティアは、自身が優勝した2つの大会のチャリティ活動に最大限、尽力している。
バラクーダ選手権では、大会事務局が創設した「ハイファイブ財団」のアンバサダーを務め、チャリティ・オブ・ザ・イヤーを選出して5000ドルを授けている。
バレロ・テキサス・オープンでも「チャンピオンズ・フォー・チャリティ」のアンバサダーとなり、この秋から活動を開始する。
昨今、インドではゴルフ人気が高まりつつあるが、ジュニアゴルフ教育はまだまだ進んではいないそうで、「母国のゴルフの教育と振興のために、できる限りの協力をしていきたい」と、バティアも父ソニーも意欲を燃やしている。
バティア自身、まだPGAツアー2年目に入ったばかりの22歳。ツアープロとしてのキャリアも、チャリティ活動や社会貢献も、これからが本番だ。
「PGAツアーの希少なインド系米国人選手が務めるゴルフアンバサダーとして、精一杯、頑張りたい」と、バティアは目を輝かせている。