記事・コラム 2022.03.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第57回】救った子供が未来を救う、だからこそ救いたい

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

29歳のアメリカ人、ダニエル・カンといえば、米LPGAのスター選手の1人だ。今年1月の米女子ツアー開幕戦、トーナメント・オブ・チャンピオンズで最終日に4つスコアを伸ばして逆転優勝を飾り、2年ぶり、通算6勝目を挙げたばかり。現在、世界ランキングは6位に付けている。

勝利から遠ざかってきたこの2年間、カンは自分のゴルフに苦悩し続けていた。

「ここぞというときに、いつも崩れて負けるのは、どうしてなのか?どうしたら心地よくプレーすることができるのか?」

ゴルフにおいては悶々とした日々が続いていたが、そんな日々でも、どんなときでも、彼女が自分以上に苦しむ人々への優しさを忘れたことは一度もなかった。

ユニセフ活動は夢だった

カンはカリフォルニア州サンフランシスコの裕福な家庭に生まれ、両親から深い愛情を注がれながら育った。

ゴルフは12歳から始め、地区予選を勝ち抜いて2007年全米女子オープンに自力出場を果たしたのは、弱冠14歳のときだった。

2010年に全米女子アマチュア選手権を初制覇。2011年に同大会連覇を果たし、同年、ペパーダイン大学を中退して18歳でプロ転向。

2013年には最愛の父が他界し、悲嘆に暮れたが、その悲しみを乗り越え、2017年のKPMG全米女子プロ選手権を制覇。初優勝がメジャー優勝となった。

その大会の最終日、カンはバック9で4連続バーディーを獲得し、勝利に迫っていった。

「あのときのドキドキ感はすごかった。あのドキドキ感を、貧困や暴力で困窮している子どもたちを救うためのドキドキ感につなげることができたら、もっと素敵なのに、、、」

そう考えたカンは、2019年にユニセフと協力し、「より良い未来を築くためのバーディー・キャンペーン」を立ち上げ、バーディーを獲るごとに寄付をする仕掛けを構築。そして、自らがユニセフのブランド・アンバサダーに就任した。

「私は子どものころから、ユニセフとともに何か活動をしたいと思ってきました。子どものころから、困っている子どもたちを救うために何かをしたいと思ってきました。食料を支給したり、シェルターを作ったり、医療を提供したり。できることは何でもしたいと思ってきました」

幼少時代からユニセフとともに活動することを「夢見てきた」というカンは、胸に抱き続けてきた想いを語り、同時に、そうした想いを抱くようになった自身の幼少時代を振り返った。

両親の教え

カンの父親は、日ごろからチャリティ活動にとても熱心だったそうだ。

「子どものころ、父はよく私を連れてカリフォルニアの自宅のそばのハンバーガーショップに行き、ハンバーガーをたくさん買いました。『そんなにたくさん買ってどうするの?』と尋ねると、父は『食べたくても買うことができない人々にあげるんだよ』と答え、ホームレスの人々にハンバーガーを配っていました。その様子は私の脳裏に焼き付き、心が動かされたんです」

カンの父親はいつも「お腹が空いていたら何もできないからね」と口癖のように言いながら、失業や貧困で困窮している人々や子どもたちに食べ物を配っていたという。

カンの母親も父親と同じ考えの持ち主だそうで、カンがプロゴルファーになってからも、いつも娘にこう言っていたそうだ。

「私はアナタがプロゴルファーとして、どれほどグレートであるかは全然気にしていない。それ以前に、まずアナタはグレートな人間でなければいけません」

人々や社会に常に優しい視線を向ける両親に育てられたカンが、チャリティ精神旺盛なプロゴルファーになったことは、なるほどと頷かされる。

「私が20歳のときに父は亡くなってしまいました。でも、父の教えはずっと私の胸の中で生き続けています。『一人の子どもを救ったら、その子供がきっと未来の社会や人々、そしてこの国を救ってくれる』。だから私も、一人でも多くの子どもたちを救い、彼らに、この社会、この国、この世界の未来を救ってほしいと願っています」

「私にできることはないか、、、」

ユニセフのブランド・アンバサダーに就任してからのカンは、ツアー日程の合間を縫って、米国内のさまざまな場所に赴き、ときには米国以外の国や地域へも足を延ばしている。貧困地域を自ら訪ね、若い母親の困窮ぶりに耳を傾けたこともあった。

暴力が絶えないハイスクールを訪ね、教員側にも生徒の側にも、心のケアが必要だと感じ、ユニセフからメンタル・ヘルスの指導員を派遣してコンサルティングを実施。暴力学校を平和なハイスクールに生まれ変わらせたこともあったそうだ。

「宗教的な理由で性教育が行なわれない国もあり、そこにはティーンエイジそこそこで、望まずして妊娠してしまう子どもがいっぱいいて、子どもでありながら無理矢理結婚させられている子どももいっぱいいて、、、、私に何かできることはないかと思案しました」

ユニセフの活動以外にも、できることは何でも行なってきた。

2020年にはコロナ禍で失業した人々や多忙をきわめる医療従事者、それにハリケーンや水害といった災害被害者たちを救済するためのチャリティ・ポーカー・トーナメントにも進んで参加。ミッシェル・ウィやリディア・コーなど米LPGAの仲間たち、そして男子ゴルフのジョン・デーリーやケビン・ナといった選手たちにも声をかけ、プロゴルファーによるポーカー大会を開き、その収益をすべて寄付した。

昨年は、かつての女王アニカ・ソレンスタムの財団が主催するチャリティ・トーナメントにも喜んで参加した。

自分のゴルフが不調続きで勝利から遠ざかり、苦悩していたときでさえ、そうやって困窮している人々や子どもたちを気遣い、できる限りのことをして救いの手を差し延べてきたカンだからこそ、勝利の女神は彼女に微笑み、今年の開幕戦で2年ぶりの復活優勝を彼女に授けたのではないだろうか。

私には、そう思えてならない。