記事・コラム 2022.01.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第55回】バレステロスからラームへ、スペインのヒーロー誕生物語

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

2022年の年明けを世界ランキング1位で迎えたのは、スペイン出身のジョン・ラームだった。2021年終盤には、王座が何度か脅かされそうにもなったのだが、結局、ラームは1位を守り通し、4月に誕生した長男ケパくん、愛妻ケリーとともに幸せいっぱいでニューイヤーを迎えた。

そんなラームの様子を見聞きするにつけ、周囲に愛や幸せを与える者は自ずと幸せを得るのかもしれないなと思わずにはいられなくなる。

ラームは母国スペインや欧州のジュニアゴルフ界で腕を上げ、18歳で単身渡米。名門、アリゾナ州立大学へゴルフ留学した。

元々はスペイン語だけしか話せなかったが、同大学の陸上部に所属していたケリー嬢と在学中から交際を重ねたおかげで英語がすっかり堪能になり、ケリー嬢とは卒業前から婚約していた。

2016年に大学を卒業し、プロ転向。そして翌年1月、早々に米ツアーのファーマーズ・インシュアランス・オープンで初優勝を挙げ、米ゴルフ界を驚かせた。

その後も好成績を挙げていったラームは、2017年夏には世界ランキングでトップ5入りを果たした。2018年はキャリア・ビルダー・チャレンジを制して米ツアー通算2勝目を挙げ、その間、欧州ツアーでは3勝を挙げ、世界でもトッププレーヤーと見なされるようになった。

2019年に米ツアー通算3勝目、2020年7月にメモリアル・トーナメントを制して4勝目を挙げたとき、ラームは早くも世界ランキング1位に輝いた。

プロ入りから4年27日で世界一は、タイガー・ウッズ、ジョーダン・スピースに次ぐ史上3番目のスピード出世だった。スペイン出身で世界ナンバー1に輝いたのは、今は亡きセベ・バレステロスに次ぐ2人目だ。

「母国の歴史に加われたことを喜びながら、これからも頑張っていきたい」

そう語ったラームには、25歳(当時)らしからぬ風格さえ漂っていた。

2020年のシーズンエンドのプレーオフ・シリーズでBMW選手権も制したラームは「次に手に入れたいのはメジャー・タイトル。来年は絶対にメジャーで勝つ」と心に誓った。

感謝と謙虚な心

メジャー優勝を狙いつつ、2021年を迎えたラームだが、なかなかメジャーで勝てない原因は「感情のコントロールができないからだ」と米メディアから何度も指摘されていた。ミスするたびに怒声を上げ、クラブを叩きつけ、ルール委員に詰め寄ったこともあった。

「激しい性格がアダになっている」――しかし、愛妻ケリーは「コースから一歩離れれば、彼はとてもシャイなんです。休みの日に出かける先といえば、近所のレストラン1軒だけ。顔なじみで自分が座る場所が決まっているその店なら安心できる。彼はそういう性格です。コースで激しい態度が出るのは、きっと勝ちたい気持ちの裏返し。他の選手たちは、みなそれを上手に隠すけど、不器用な彼は隠せず表に出してしまう」

2021年4月のマスターズ直前、ラーム夫妻には第一子となる長男ケパくんが誕生した。

「ジョンは良き父親になると誓い、試合中も大人の態度を取ろうと頑張っていました」とケリーは明かした。

そんなラームにさらなる変化が見られたのは、全米オープンの2週間前に開催されたメモリアル・トーナメント3日目終了後だった。

2位に6打差の単独首位で54ホールを終えたとき、ラームはその日の朝に受けたPCR検査の結果が陽性だったことを係員から告げられ、大会連覇がかかっていたというのに即座の棄権と10日間の隔離生活を余儀なくされた。

まさに青天の霹靂。「でも不思議なことに、あのときジョンは怒ることなく慌てることなく、その状況を素直に受け入れたんです」と愛妻ケリーは振り返った。

聞けば、あのときラームの胸の中には予感めいたものが芽生えていたのだそうだ。

「最初はもちろん驚いたけど、何かいいことが起こる予感がした。これは、きっとハッピーエンドになる物語なのだと思った。そして、我が子の良き手本になりたいと思った」

隔離が終わり、ギリギリセーフで全米オープンに滑り込んだラームは、好プレーを続けて優勝争いに絡み、首位に3打差の好位置で最終日を迎えると、大混戦を制して、夢にまで見たメジャー・チャンピオンに輝いた。

「誰が勝っても『スターたちがひしめき合った全米オープンを制したチャンピオン』と呼ばれることになる。その中に僕の名前が含まれることは、それだけですごい栄誉だと思った。だから、結果はさておき、最後まで最高のゴルフをしようと心に誓った」

感謝の心、謙虚な姿勢が芽生えたとき、ラームのメジャー優勝の悲願が達成されたのだ。

英語がほとんどわからず、アメリカに足を踏み入れたことさえなかった外国人選手が、いろいろな人々と出会い、いろいろな形で助けを得ながらビッグな栄冠を掴み取ったことは、世界中のジュニアやヤングゴルファーに勇気と希望をもたらした。

ヒーローからヒーローへ

かつて、母国の英雄セベ・バレステロスに憧れてゴルフクラブを握り、「セベのようになりたい」という気持ちをモチベーションにして、メジャー・チャンプになり、世界一になったラームは、バレステロスと母国スペインに何か恩返しをしたいと考えた。

スペインの子どもたちがゴルフに触れ、楽しさを知り、ゴルフが大好きになってくれたら、それが何よりの恩返しになるのではないか。そう思ったラームは、今は亡きバレステロスが残した3人の息子たちとともに「セベ&ジョン、ゴルフ・フォー・キッズ」というプロジェクトを創設した。

スペイン国内の5か所で子どもたちがドライバーショットとチップ&パットを競う予選大会を開催。1人の子どもが参加できるのは1予選のみとし、各予選に参加できる人数は最大120人までと規定。各予選で勝ち残った子どもたちは12月の決勝大会に進む。16歳以下の男女なら誰でも参加可能とし、約3000円ほどのエントリーフィーはスペイン国内の子ども育成機関に寄付されるという仕掛けで、2021年に初開催され、最大人数の600人がフル参加して大いなる盛り上がりを見せたそうだ。

「セベは僕のヒーローだった。セベがいてくれたおかげで僕はゴルフクラブを握り、世界一を目指して前進できた。そのセベの息子たちと手を取り合い、セベと僕の名を冠したイベントを開催し、母国の大勢の子どもたちの未来のために役立てることは、この上ない喜びであり、何より誇りに思います」

スペインの英雄バレステロスが、次なるスペインの英雄ラームを生み、今度はラームが、母国の子どもたちのヒーローとなって次代を担う英雄を生み出していく。そんなスペインのヒーロー誕生物語は、世界のゴルフ史に残る逸話になるのではないだろうか。